体の主成分はたんぱく質で、そのはしばしに至り
これまで生きてきた記憶が、重層的に織りこまれている。
体は日々代謝を繰り返しながら、不足分は自らの体じたいを
分解して必要箇所や機能に転用する。食べずにいると痩せるのもそれだ。
胃袋に食べ物のあれば、先にそれが使われる。
昨日の食事にはきのうの記憶・思い出がともに結ばれている。
さように表層から溶かされるゆえ、昔の記憶ほど忘れにくいともいえる。
記憶のあいまいな高齢の方であれ、何十年も前のことは
存外はっきり思いだせるもの。
長年の稼働により内臓が衰えてくると、食べる量も、
きちんと消化する力も弱まるため、
一般的には年を経ると痩せてくる。
半分は、過去から積み立てた自分の体を食べて生きている。
ただカロリーのみの話ではなく、蓄積されたミネラルも少しずつ
切り崩しながら。
ミネラル(鉱物)は骨等の材料のみならで
体内いっさいの各働きを担う、酵素にとって不可欠なものだ。
さて、こうして自分のからだをちょっとずつ解かしながら
生きていくと、たとえば10年前に蓄積された体の一部の成分を
分解、消費した際は、なんと10年前の記憶がふわっと湧いてくる。
体はたえず新陳代謝を繰り返しているとはいえ、
濃縮された高分子として付着したる要素は、長年付随しつづけるもの。
だから、血管の内側に未消化のたんぱく質や中性脂肪が
溜まって、血栓や高血圧、伝達ミス等の不調が慢性化する。
以前、祖父が病で入院し、みるみる痩せていった時期、
祖父はしきりに昔の記憶を紙につづり、そこには
二・二六事件、五・一五事件とも書かれていた。
大正の末から神田で生まれそだった祖父の少年時代の、
忘れ得ぬ経験だったのだろう。
そして、多くの臨死体験者は、死の間際に2人のひとがあらわれたと語っている。
みずからのたんぱく質を消費しながら、過去へ過去へと思い出が
たどられて、いよいよ最期のそのとき
あらわれる、ふたりの誰か。
それは 両親の
精子と卵子。
はじまりの記憶さえも、体には宿っている。
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