特に市街地において、雑草はことごとく刈られる運命にあるが、
虫が出るという理由は後づけであり、
本質は見た目として荒廃して映るからだろう。
しかしそれは、雑草が荒れてるのではなく、家自体が、
雑草と相容れない、雑草の繁茂に似合わない造りと素材と
デザインの家だからだ。その不調和による違和感といえる。
だから、もしアフリカのある地域にあるような、土で塗り固めた
ドーム型の住居であれば、その周りにどんなに草の茂れるとも
荒れた印象はなく、すっぴんの地面よりむしろ自然にみえる。
しかし、ただ雑草に似合う家かどうかだけの問題でもなさそう。
梅雨から夏にじめじめする日本では、風通しのよさが
いにしえより家の生命線であったから、わさわさの草で
蒸れてしまわぬように苅りととのえる必要はあっただろう。
だけれど、刈れば湿度が解消されるものでもない。
風の道さえ確保すれば、のこった植物は
かえって地面の水分をどんどん吸い上げて生長や蒸散をするから、
草は適度に生えていたほうが、さらっと涼しさを呼び快適をもたらす。
それを、たいていは丸坊主に苅ってしまうから、夏はぎらぎら暑い。
しかも、苅った草はわざわざゴミ袋にまとめて収集に出される。
草はその場に寝かしておくか、浅めに埋めておけばそのうち分解される。
虫が困るといっても、第一苅ったほうが虫が来る。
虫は、弱った部分や枯れた草を食べるからだ。
と、そこへはムクドリたちがやってきて、虫たちをついばむバランスがある。
草を埋めておけば、飛来する虫は減る。
土の中で、ミミズと団子虫とハサミ虫という人畜無害の虫が活動するだけ。
人にとって困るといえば、主に蚊にムカデ、茶毒蛾、すずめ蜂くらいのものだ。
生まれもった苦手でなければ、自然とかけ離れて育ってきた
現代人が、虫と見れば反射的に嫌悪し、
存在するだけの理由で薬を撒いて生態系をこわし、
環境さえ汚染する。
自然と共生するには、草は、ちゅっくらいに刈り、
風の道は確保しつつもカマキリ等天敵の棲み家をのこすこと。
根こそぎ抜くのは土の流出と飛散を招いて迷惑となるので、
多年草の占領を防ぐ場合に限る。
自然との共生といっても、そもそも人自体も自然の片隅で
汗するイキモノにすぎない。
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