商は本来、殷の宮殿の意味ですので2字を統合しました。
殷 イン・アン・さかん 殳部
解字 甲骨文は「身(腹を強調した人)+先端の尖ったものを手にもつ形」で、人の腹部を突くさまを表している。甲骨文字では祭祀儀礼の意味で用いられており、おそらく人犠牲を捧げる儀礼の様子であろう[甲骨文字辞典]。なお同字典は「甲骨文字の段階では殷王朝の意味はない。殷王朝は後の西周代の命名である」としている。金文は、身の部分が左右反転した形になった。意味は、①商(殷の都)の意。②大きな祭り、となっている[簡明金文漢詞典]。篆文は[説文解字]が、「楽ガクを作(な)す之(の)盛んなさまを殷と稱(い)う。㐆(身の反転形)に従い殳に従う」とし、音楽を奏することが盛んな有様をいう。このように意味が変化したが、これは身の意味を妊娠した形とみて、楽器を打ち祝福する意味としたものと思われる。
意味 (1)さかん(殷ん)。さかんに。ゆたか。「殷賑インシン」(にぎやかで活気あふれる)「殷富インフ」(さかえてゆたか) (2)ねんごろ。まごころ。ていねい。「殷勤インギン」(=慇懃インギン) (3)音の強くひびくさま。「殷殷インイン」(鐘・雷などの音がとどろくさま)「殷雷インライ」(鳴り響くかみなり) (4)古代王朝の名。紀元前16世紀~同11世紀頃まで栄えた。「殷墟インキョ」(河南省安陽市にある殷王朝後期の都市遺跡。甲骨文字が発掘されたことで名高い)
古代王朝の殷インは、周代になってからの命名
殷墟・二里岡遺跡(「中国語スクリプト」中国の歴史・殷より)
甲骨文字の殷は祭祀犠牲の意味だったが、周代(金文)になってから周が滅ぼした前代の王朝の意味として殷が使われた。殷はBC1600年頃に夏王朝を滅ぼして成立し、初期の都を二里岡(河南省鄭州市)に置いた。のちBC1400年頃に都を商(河南省安陽市)に移し、BC1046年に滅ぼされるまで続いた。都があった安陽市に殷墟がある。甲骨文字がまとまって発見されたのは殷代後期の殷墟からである。
イメージ
「さかん」(殷)
意味(2)の「ねんごろ」(慇)
音の変化 イン:殷・慇
ねんごろ
慇 イン 心部
解字 「心(こころ)+殷(ねんごろ)」の会意形声。殷には、ねんごろの意があり、心をつけてこの意味を強調した字。心づかいのこまやかなこと。
意味 (1)ねんごろ。心づかいのこまやか。「慇懃インギン」(ていねいに気をくばる。ねんごろなこと)「慇懃無礼インギンブレイ」(うわべは丁寧だが、実は尊大なこと)(2)いたむ。心をいためる。「慇慇インイン」(心をいためるさま)
商 ショウ <殷の宮殿>
商 ショウ・あきなう 亠部
解字 甲骨文字では古代王朝・殷イン代後期の首都の意味で使われた。上の第一字は初期に多く「冠の形+建物」で王の宮殿を意味する[甲骨文字辞典]。末期に出現する下の第二字および金文以降は、冠の形が変化し下部に口(入口)が付く。篆文は上が辛シン字形となったが、現代字は上部が帝かんむり(帝から巾を除いた形)に変わった。意味は殷の首都のほか、殷が亡びてのち、その民が行商を業としたので商いの意味を表わすといわれるが、[甲骨文字辞典]は「甲骨文字の段階から仮借カシャ(当て字)の用法で下賜する意があり、金文から賠償の意が加わっているので、そこからの転義とするのが妥当である」とする。
意味 (1)あきなう(商う)。あきない(商い)。「商売ショウバイ」「通商ツウショウ」 (2)あきんど。商人。「豪商ゴウショウ」「隊商タイショウ」 (3)はかる(商る)。相談する。「商議ショウギ」「商量ショウリョウ」(あれこれと考える) (4)割り算の答え。 (5)中国古代王朝の名。殷インとも呼ばれる。「商代ショウダイ」「商朝ショウチョウ」「商書ショウショ」(書経の殷代を書いた部分) (6)甲骨文字の意味。殷代後期の首都。
<紫色は常用漢字>
バックナンバーの検索方法
※一般の検索サイト(グーグル・ヤフーなど)で、「漢字の音符」と入れてから、調べたい漢字1字を入力して検索すると、その漢字の音符ページが上位で表示されます。
殷 イン・アン・さかん 殳部
解字 甲骨文は「身(腹を強調した人)+先端の尖ったものを手にもつ形」で、人の腹部を突くさまを表している。甲骨文字では祭祀儀礼の意味で用いられており、おそらく人犠牲を捧げる儀礼の様子であろう[甲骨文字辞典]。なお同字典は「甲骨文字の段階では殷王朝の意味はない。殷王朝は後の西周代の命名である」としている。金文は、身の部分が左右反転した形になった。意味は、①商(殷の都)の意。②大きな祭り、となっている[簡明金文漢詞典]。篆文は[説文解字]が、「楽ガクを作(な)す之(の)盛んなさまを殷と稱(い)う。㐆(身の反転形)に従い殳に従う」とし、音楽を奏することが盛んな有様をいう。このように意味が変化したが、これは身の意味を妊娠した形とみて、楽器を打ち祝福する意味としたものと思われる。
意味 (1)さかん(殷ん)。さかんに。ゆたか。「殷賑インシン」(にぎやかで活気あふれる)「殷富インフ」(さかえてゆたか) (2)ねんごろ。まごころ。ていねい。「殷勤インギン」(=慇懃インギン) (3)音の強くひびくさま。「殷殷インイン」(鐘・雷などの音がとどろくさま)「殷雷インライ」(鳴り響くかみなり) (4)古代王朝の名。紀元前16世紀~同11世紀頃まで栄えた。「殷墟インキョ」(河南省安陽市にある殷王朝後期の都市遺跡。甲骨文字が発掘されたことで名高い)
古代王朝の殷インは、周代になってからの命名
殷墟・二里岡遺跡(「中国語スクリプト」中国の歴史・殷より)
甲骨文字の殷は祭祀犠牲の意味だったが、周代(金文)になってから周が滅ぼした前代の王朝の意味として殷が使われた。殷はBC1600年頃に夏王朝を滅ぼして成立し、初期の都を二里岡(河南省鄭州市)に置いた。のちBC1400年頃に都を商(河南省安陽市)に移し、BC1046年に滅ぼされるまで続いた。都があった安陽市に殷墟がある。甲骨文字がまとまって発見されたのは殷代後期の殷墟からである。
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「さかん」(殷)
意味(2)の「ねんごろ」(慇)
音の変化 イン:殷・慇
ねんごろ
慇 イン 心部
解字 「心(こころ)+殷(ねんごろ)」の会意形声。殷には、ねんごろの意があり、心をつけてこの意味を強調した字。心づかいのこまやかなこと。
意味 (1)ねんごろ。心づかいのこまやか。「慇懃インギン」(ていねいに気をくばる。ねんごろなこと)「慇懃無礼インギンブレイ」(うわべは丁寧だが、実は尊大なこと)(2)いたむ。心をいためる。「慇慇インイン」(心をいためるさま)
商 ショウ <殷の宮殿>
商 ショウ・あきなう 亠部
解字 甲骨文字では古代王朝・殷イン代後期の首都の意味で使われた。上の第一字は初期に多く「冠の形+建物」で王の宮殿を意味する[甲骨文字辞典]。末期に出現する下の第二字および金文以降は、冠の形が変化し下部に口(入口)が付く。篆文は上が辛シン字形となったが、現代字は上部が帝かんむり(帝から巾を除いた形)に変わった。意味は殷の首都のほか、殷が亡びてのち、その民が行商を業としたので商いの意味を表わすといわれるが、[甲骨文字辞典]は「甲骨文字の段階から仮借カシャ(当て字)の用法で下賜する意があり、金文から賠償の意が加わっているので、そこからの転義とするのが妥当である」とする。
意味 (1)あきなう(商う)。あきない(商い)。「商売ショウバイ」「通商ツウショウ」 (2)あきんど。商人。「豪商ゴウショウ」「隊商タイショウ」 (3)はかる(商る)。相談する。「商議ショウギ」「商量ショウリョウ」(あれこれと考える) (4)割り算の答え。 (5)中国古代王朝の名。殷インとも呼ばれる。「商代ショウダイ」「商朝ショウチョウ」「商書ショウショ」(書経の殷代を書いた部分) (6)甲骨文字の意味。殷代後期の首都。
<紫色は常用漢字>
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