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廌 タイ・チ 广部 zhì
解字 甲骨文字は二本の角がある動物の象形でおそらく山羊のような獣であろう。祭祀犠牲に用いられている[甲骨文字辞典]。商代末の金文は、ほぼ同じ形で氏族名(廌父タイフ)として使われている。篆文になるとかなり字形が変化し、上の角が中央が高い山形になった。これを基に現代字はさらに変化した廌タイになった。[学研漢和]はこの字を「鹿と馬を合わせたような聖獣」、[字統]は「羊に似た神聖な獣」といい、最古の部首別字典である[説文解字]は「牛に似た一角獣」とし、それぞれ異なるが、現在の字形からみると「鹿+馬」が、字の部分的組み合わせとして覚えやすい。この聖獣は何をするのか。[説文解字]は、「古(いにしえ)裁判をするとき不直(正直でない)なる者に触らせる」とし、悪者を指摘する裁判官のような役割をする、としている。
甲骨・金文で山羊と思われる獣が、なぜ神判をする聖獣となったのか?
白川静氏は[字統]などで春秋時代の思想家・墨子の影響を指摘している。私なりに解釈すると、墨子は「明鬼、下」でこの世には耳目では接することのできない鬼神キシン(超人的な能力を有する存在)がおり、この鬼神は世の中を明察することができ、賢を賞し暴を罰する存在であると説く。天下が乱れたのは人々が鬼神の存在を疑うようになったからだとし、一つの説話を挙げて鬼神の存在を説明した。
墨子。春秋末~戦国初期の思想家(「維基百科」より)
「むかし春秋時代の斉の荘君(斉の第25代君主)の臣二人が訴訟で争って三年しても決着がつかなかった。そこで斉君は羊神判を行なうことにし、各自に羊一頭ずつを神社に供えて盟(ちかい)をさせた。そのとき羊の頸ケイ(首)を切って血をとり社に注がせた。一人の臣は神への誓辞(誓いの言葉)をよみあげたが、なんの異常もなかった。ところがもう一人がその誓辞をよみ進めて半ばにもならぬうちに、羊がおきあがってその臣に触れた。するとこの臣は脚をよろけてつまずいた。すると神霊が至りこの臣を打ち殺した。」この出来事は広く人々の間に伝わり斉の春秋の書に記録されている。墨子は、この書の説くところは「神前の盟(ちか)いにおいて誠実が欠ける者は鬼神の罰を受ける」と説いた。
羊から廌タイへ
[字統]は、廌タイは羊に似た神羊であるとする。墨子の「明鬼、下」の神社に供えた羊は悪い者に触れて鬼神の役割をしており、甲骨文字で山羊のような獣とされた廌タイが鬼神の役割を兼ねた聖獣として用いられたのであろう。なお、後漢の[説文解字]が「牛に似た一角獣」とするように、後代の廌は一角獣の形に変化している。
字の覚え方 鹿の上部+馬の上部を一に略した字=廌
中国の陝西歷史博物館藏の解廌カイタイは一角獣の姿をしている。
陝西歷史博物館藏の解廌(「法獸解廌」より)
日本では橘守国の『絵本写宝袋』(下図)に一角獣の獬豸カイチが描かれている。
意味 神判のとき用いる聖獣。「解廌カイタイ」(「獬廌カイタイ」とも。①中国の伝説上の動物。正義・公正・法治を司る。②牛に似た神獣の名。人が争うのをみれば、悪い方を角で突くという。=解豸カイチ。豸は廌の側面形とされる。)
イメージ
「神判をする聖獣」(廌・薦・慶)
音の変化 タイ:廌 セン:薦 ケイ:慶
神判をする聖獣
薦 セン・すすめる 艸部 jiàn
解字 「艸(くさ)+廌(神判をする聖獣)」の会意。聖獣が食べる草の意。転じて、この草をきちんと揃えて聖獣にお供えし、すすめる意となる。また、草をそろえて供える形から敷物・こも(薦)の意ともなる。
意味 (1)草。細かい草 (2)すすめる(薦める)。人を選んで推挙する。「推薦スイセン」「薦挙センキョ」(人を挙げてすすめる)「自薦他薦ジセンタセン」 (3)しく。敷物。こも(薦)。あらく織ったむしろ。もとはマコモを利用したが、現在は藁を用いる。「薦席センセキ」(①こもを敷いた席、②ご馳走の席)「薦掛(こもが)け」(薦を掛けて樹木や土塀を保護する)「薦被(こもかぶ)り」(薦でつつんだ酒樽。薦樽こもだる)
金沢武家屋敷跡の薦掛(こもが)け
薦樽こもだる(「日本の食べ物用語辞典」より)
慶 ケイ・よろこぶ 心部 qìng
解字 金文は「心(こころ)+廌タイ(神判をする聖獣)」の会意。「心」はもともと心臓をかたどった字であったが、金文では感情さらに思想や精神を意味するようになった。慶の字は、不正を指摘する聖獣である廌タイに心(感情や精神)がある意で、心をもつ廌タイは正しい側の人を指摘する聖獣の意となる。転じて、よろこばしい・めでたい意となる。字形は篆文から心の下に夂(下向きの足)がつくが、これは金文の廌の後ろ足と尻尾が変化した形。
意味 (1)よろこぶ(慶ぶ)。いわう。めでたい。「慶事ケイジ」「慶祝ケイシュク」(慶び祝う)「慶雲ケイウン」(良い前兆の雲)「慶弔ケイチョウ」(慶び事と弔いごと)(2)たまもの。ほうび。「天慶テンケイ・テンギョウ」(①テンケイ:天から授かった賜物。②テンギョウ:日本の元号の一つ。938年から947年までの期間。平安時代中期)(3)日本の元号。「慶應ケイオウ」(江戸期の1865.4.7~1868.9.8まで。次年号は明治。[文選]の「慶雲ケイウン應(まさ)に輝くべし」より命名)
「慶應大学(慶應義塾大学)」(大分県中津藩士の福沢諭吉は大阪の適塾で蘭学を学び、のち江戸の中津藩邸で蘭学塾の講師となった。折しも幕府の咸臨丸が米国へ派遣される際に船長の随員となり、万延元年(1860年)に渡米した。その際、これからは英語が世界の主流言語となると確信し、蘭学塾を英語塾に改めた。文久元年(1861年)には欧州各国へ派遣された幕府使節団に加わり翌年に帰国した。尊王攘夷の騒然としたなか、慶應3年(1867)4月に芝の新銭座の屋敷に引っ越し慶應義塾と称したのが慶應大学の始まり(明治元年は、この年の9月8日~)。明治3年に港区三田の一万二千坪もある島原藩の中屋敷跡地へ移転し、ここが以後の慶應義塾の中心地となった)
※なお、不正を指摘されることを灋ホウといい、「氵(水)+廌タイ+去(さる)」の会意。灋ホウは、廌タイが悪者の非をとがめて水(海)に流し去ること。すなわち、聖獣による神判に敗れた人を海に追放する刑罰。刑罰を示すことで、のり・きまりの意味を表わす。現代字は、灋から廌を省いた法となった。
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廌 タイ・チ 广部 zhì
解字 甲骨文字は二本の角がある動物の象形でおそらく山羊のような獣であろう。祭祀犠牲に用いられている[甲骨文字辞典]。商代末の金文は、ほぼ同じ形で氏族名(廌父タイフ)として使われている。篆文になるとかなり字形が変化し、上の角が中央が高い山形になった。これを基に現代字はさらに変化した廌タイになった。[学研漢和]はこの字を「鹿と馬を合わせたような聖獣」、[字統]は「羊に似た神聖な獣」といい、最古の部首別字典である[説文解字]は「牛に似た一角獣」とし、それぞれ異なるが、現在の字形からみると「鹿+馬」が、字の部分的組み合わせとして覚えやすい。この聖獣は何をするのか。[説文解字]は、「古(いにしえ)裁判をするとき不直(正直でない)なる者に触らせる」とし、悪者を指摘する裁判官のような役割をする、としている。
甲骨・金文で山羊と思われる獣が、なぜ神判をする聖獣となったのか?
白川静氏は[字統]などで春秋時代の思想家・墨子の影響を指摘している。私なりに解釈すると、墨子は「明鬼、下」でこの世には耳目では接することのできない鬼神キシン(超人的な能力を有する存在)がおり、この鬼神は世の中を明察することができ、賢を賞し暴を罰する存在であると説く。天下が乱れたのは人々が鬼神の存在を疑うようになったからだとし、一つの説話を挙げて鬼神の存在を説明した。
墨子。春秋末~戦国初期の思想家(「維基百科」より)
「むかし春秋時代の斉の荘君(斉の第25代君主)の臣二人が訴訟で争って三年しても決着がつかなかった。そこで斉君は羊神判を行なうことにし、各自に羊一頭ずつを神社に供えて盟(ちかい)をさせた。そのとき羊の頸ケイ(首)を切って血をとり社に注がせた。一人の臣は神への誓辞(誓いの言葉)をよみあげたが、なんの異常もなかった。ところがもう一人がその誓辞をよみ進めて半ばにもならぬうちに、羊がおきあがってその臣に触れた。するとこの臣は脚をよろけてつまずいた。すると神霊が至りこの臣を打ち殺した。」この出来事は広く人々の間に伝わり斉の春秋の書に記録されている。墨子は、この書の説くところは「神前の盟(ちか)いにおいて誠実が欠ける者は鬼神の罰を受ける」と説いた。
羊から廌タイへ
[字統]は、廌タイは羊に似た神羊であるとする。墨子の「明鬼、下」の神社に供えた羊は悪い者に触れて鬼神の役割をしており、甲骨文字で山羊のような獣とされた廌タイが鬼神の役割を兼ねた聖獣として用いられたのであろう。なお、後漢の[説文解字]が「牛に似た一角獣」とするように、後代の廌は一角獣の形に変化している。
字の覚え方 鹿の上部+馬の上部を一に略した字=廌
中国の陝西歷史博物館藏の解廌カイタイは一角獣の姿をしている。
陝西歷史博物館藏の解廌(「法獸解廌」より)
日本では橘守国の『絵本写宝袋』(下図)に一角獣の獬豸カイチが描かれている。
意味 神判のとき用いる聖獣。「解廌カイタイ」(「獬廌カイタイ」とも。①中国の伝説上の動物。正義・公正・法治を司る。②牛に似た神獣の名。人が争うのをみれば、悪い方を角で突くという。=解豸カイチ。豸は廌の側面形とされる。)
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「神判をする聖獣」(廌・薦・慶)
音の変化 タイ:廌 セン:薦 ケイ:慶
神判をする聖獣
薦 セン・すすめる 艸部 jiàn
解字 「艸(くさ)+廌(神判をする聖獣)」の会意。聖獣が食べる草の意。転じて、この草をきちんと揃えて聖獣にお供えし、すすめる意となる。また、草をそろえて供える形から敷物・こも(薦)の意ともなる。
意味 (1)草。細かい草 (2)すすめる(薦める)。人を選んで推挙する。「推薦スイセン」「薦挙センキョ」(人を挙げてすすめる)「自薦他薦ジセンタセン」 (3)しく。敷物。こも(薦)。あらく織ったむしろ。もとはマコモを利用したが、現在は藁を用いる。「薦席センセキ」(①こもを敷いた席、②ご馳走の席)「薦掛(こもが)け」(薦を掛けて樹木や土塀を保護する)「薦被(こもかぶ)り」(薦でつつんだ酒樽。薦樽こもだる)
金沢武家屋敷跡の薦掛(こもが)け
薦樽こもだる(「日本の食べ物用語辞典」より)
慶 ケイ・よろこぶ 心部 qìng
解字 金文は「心(こころ)+廌タイ(神判をする聖獣)」の会意。「心」はもともと心臓をかたどった字であったが、金文では感情さらに思想や精神を意味するようになった。慶の字は、不正を指摘する聖獣である廌タイに心(感情や精神)がある意で、心をもつ廌タイは正しい側の人を指摘する聖獣の意となる。転じて、よろこばしい・めでたい意となる。字形は篆文から心の下に夂(下向きの足)がつくが、これは金文の廌の後ろ足と尻尾が変化した形。
意味 (1)よろこぶ(慶ぶ)。いわう。めでたい。「慶事ケイジ」「慶祝ケイシュク」(慶び祝う)「慶雲ケイウン」(良い前兆の雲)「慶弔ケイチョウ」(慶び事と弔いごと)(2)たまもの。ほうび。「天慶テンケイ・テンギョウ」(①テンケイ:天から授かった賜物。②テンギョウ:日本の元号の一つ。938年から947年までの期間。平安時代中期)(3)日本の元号。「慶應ケイオウ」(江戸期の1865.4.7~1868.9.8まで。次年号は明治。[文選]の「慶雲ケイウン應(まさ)に輝くべし」より命名)
「慶應大学(慶應義塾大学)」(大分県中津藩士の福沢諭吉は大阪の適塾で蘭学を学び、のち江戸の中津藩邸で蘭学塾の講師となった。折しも幕府の咸臨丸が米国へ派遣される際に船長の随員となり、万延元年(1860年)に渡米した。その際、これからは英語が世界の主流言語となると確信し、蘭学塾を英語塾に改めた。文久元年(1861年)には欧州各国へ派遣された幕府使節団に加わり翌年に帰国した。尊王攘夷の騒然としたなか、慶應3年(1867)4月に芝の新銭座の屋敷に引っ越し慶應義塾と称したのが慶應大学の始まり(明治元年は、この年の9月8日~)。明治3年に港区三田の一万二千坪もある島原藩の中屋敷跡地へ移転し、ここが以後の慶應義塾の中心地となった)
※なお、不正を指摘されることを灋ホウといい、「氵(水)+廌タイ+去(さる)」の会意。灋ホウは、廌タイが悪者の非をとがめて水(海)に流し去ること。すなわち、聖獣による神判に敗れた人を海に追放する刑罰。刑罰を示すことで、のり・きまりの意味を表わす。現代字は、灋から廌を省いた法となった。
「法ホウ」へ
<紫色は常用漢字>
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