フォロ・ロマーノからコロッセオに足を運ぶと、途中、否応なしに目に飛び込んでくるのが、「コンスタンティヌスの凱旋門」である。皇帝コンスタンティヌスが、ミルヴィオ橋の戦いで、前帝マクセンティウスに勝利したことを祝して、建てられたもの。
北側から見た凱旋門
南側から見た凱旋門
ここには、もともとハドリアヌス帝の凱旋門があったのだが、その門の一部の装飾を取り除き、コンスタンティヌスへの献辞や浮彫りを埋め込んだという。また、それだけでは門の全てを装飾するのに充分ではなかったため、他の公共建造物からも取り外して付け加えている。というわけで、この凱旋門は、それ以前に作られたものの集合体になってしまっている。
①トライアヌス帝時代の彫像 : 正面と裏面の最上階に並ぶ、合計8体のダキア人の捕虜たちの彫像
②ハドリアヌス帝時代のもの : 門本体と、正面と裏面の第二階を飾る円形の8つの浮彫
③マルクス・アウレリウス帝時代の浮彫 : 正面と裏面の最上階のダキア人の彫像の間にある8枚の浮彫
④コンスタンティヌス帝時代の浮彫 : 正面と裏面の、中央と左右のアーチのすぐ上の部分の浮彫
2体のダキア人の捕虜の間に見えるのが、マルクス・アウレリウス帝時代の浮彫。どちらの浮彫にも、五賢帝の一人であるマルクス・アウレリウスの姿が描かれている。
左の円形の浮彫は、狩ったライオンを前にするハドリアヌス帝。右の方は、ヘラクレスの犠牲式の情景です。そのすぐ下の横長の浮彫がコンスタンティヌス帝時代のものであり、小麦の無料配給を受けるローマ市民の情景が描かれている。
左側が、演説するマルクス・アウレリウス帝。右が、犠牲式の光景。兵士が持つ串焼きのような形のものは、ローマの軍団旗である。銀製の鷲の下に、各軍団別を示す標章が付いていた。
左が、蛮族の代表を引見する皇帝。右が、蛮族の捕虜を検分する皇帝。
円形左側が、狩りに出発するハドリアヌス帝。その右が、シルヴァヌス神への犠牲式。それらの下は、コンスタンティヌスによるヴェローナ攻略の図。
円形左側、熊狩りの光景。右側、ディアナ神への犠牲式。それらの下に、マクセンティウスを破ったミルヴィオ橋の戦いの図が描かれている。
中央上部に彫られた献呈の言葉。「ローマ元老院とローマ市民は、勝利への祝いとしてこの門を、インペラトール・カエサル・フラヴィウス・コンスタンティヌス・マクシムス・ピウス・フェリックス・アウグストゥスに贈呈する。そしてこの皇帝が、神にも等しい感覚の冴えと偉大なる意志力で率いた軍勢による正義の戦争によって、暴君を滅ぼしたことをここに記す」とラテン語で記されている。滅ぼされた暴君とは、もちろん前皇帝マクセンティウスである。日本にも、「勝てば官軍、負ければ賊軍」という諺があるが、どこの国においても同じような歴史が繰り返されているのだということを実感させられました。
※参考文献:塩野七生著「最後の努力 / ローマ人の物語XⅢ」
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