MSN産経ニュース 2012.3.14 03:28
■「自国を真に愛するものは、自国の欠点に目を閉ざしはしない」(新渡戸稲造『日本文化の講義』)
第一次世界大戦の戦後処理を協議していたパリ講和会議で、日本代表団が主張していた人種差別撤廃の理念が、米英の反対で国際連盟規約に盛り込まれなかったことは以前、しるした。これについて“浪人中”だった日本民俗学の祖、柳田国男は興味深い草稿を残している。
《実に惨澹(さんたん)たる経験でありました。(中略)平生(へいぜい)立派な人道論を唱へて居た諸外国の大政治家連の多くが、何人にも納得の出来ぬやうな屁理屈(へりくつ)をつけて、こんな大きな問題の討議を避け、臆病者の醜名を千載(せんざい)に流したのは同じですが、それでも問題の出しやうがぶま(不間)であつて、斯云(かくい)ふ変な結末に陥らせたのは、主として日本の責任でありました》
柳田は提案を葬(ほうむ)った米英各国だけでなく、日本も批判している。なぜか。
国内の朝鮮人やアイヌ民族に対する「待遇問題」が棚上げされているうえ、《世には釈迦(しゃか)に説法、両替屋に算盤(そろばん)などゝ云ふ諺(ことわざ)があります。(中略)米国其他(そのほか)も亦(また)、決してお釈迦様では無かつた(中略)まづ両替屋ぐらゐの所ではあつた。我々は無鉄砲にも、之に向つて算盤を教へようとした》と考えたからだった。
柳田の論旨に“青さ”を感じる方もおられるだろう。しかし、冒頭の新渡戸稲造の一文もまた、真である。彼が国際連盟事務局次長として柳田を連盟の委任統治委員会に推薦したといわれるのもうなずけよう。(文化部編集委員 関厚夫)
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120314/art12031403290001-n1.htm
■「自国を真に愛するものは、自国の欠点に目を閉ざしはしない」(新渡戸稲造『日本文化の講義』)
第一次世界大戦の戦後処理を協議していたパリ講和会議で、日本代表団が主張していた人種差別撤廃の理念が、米英の反対で国際連盟規約に盛り込まれなかったことは以前、しるした。これについて“浪人中”だった日本民俗学の祖、柳田国男は興味深い草稿を残している。
《実に惨澹(さんたん)たる経験でありました。(中略)平生(へいぜい)立派な人道論を唱へて居た諸外国の大政治家連の多くが、何人にも納得の出来ぬやうな屁理屈(へりくつ)をつけて、こんな大きな問題の討議を避け、臆病者の醜名を千載(せんざい)に流したのは同じですが、それでも問題の出しやうがぶま(不間)であつて、斯云(かくい)ふ変な結末に陥らせたのは、主として日本の責任でありました》
柳田は提案を葬(ほうむ)った米英各国だけでなく、日本も批判している。なぜか。
国内の朝鮮人やアイヌ民族に対する「待遇問題」が棚上げされているうえ、《世には釈迦(しゃか)に説法、両替屋に算盤(そろばん)などゝ云ふ諺(ことわざ)があります。(中略)米国其他(そのほか)も亦(また)、決してお釈迦様では無かつた(中略)まづ両替屋ぐらゐの所ではあつた。我々は無鉄砲にも、之に向つて算盤を教へようとした》と考えたからだった。
柳田の論旨に“青さ”を感じる方もおられるだろう。しかし、冒頭の新渡戸稲造の一文もまた、真である。彼が国際連盟事務局次長として柳田を連盟の委任統治委員会に推薦したといわれるのもうなずけよう。(文化部編集委員 関厚夫)
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120314/art12031403290001-n1.htm