毎日新聞 2012年08月20日 地方版
風が通る小高い丘。札幌芸術の森(札幌市南区)に、高さ約5・4メートルの2本の大木の横に、朽ちて折れた同じ2本の木が異様に横たわる一角がある。粉々になった茶色い木片上をアリが歩き回り、隙間(すきま)から生えたササにトンボが止まっていた。
「これ、美術の授業で習ったよ。倒れても、土に返るまでが芸術だと作者が遺言したんでしょ」。家族と訪れた札幌市東区の中学1年、隠岐菜々子さん(13)が足を止めた。北海道を代表する彫刻家、砂澤ビッキさんの晩年の代表作「四つの風」だ。
◇アカエゾマツの木柱4本で四季を表現し、ビッキさんの芸術観を示す「風雪の鑿(のみ)」という有名な言葉を残した作品だね。
市郊外の約40ヘクタールという広大な森の中にある芸術の森には、野外美術館があり、ビッキさんが美術館の依頼を受けて86年に制作した。木彫りの作品は野外展示には不向きで、現在、展示される73点の中でも唯一だが、ビッキさんは<自然の力が彫刻を完成させる>という意味のその言葉とともに作品を提供した。
「ビッキさんにとって木は、自分より長い時間を生きた畏敬(いけい)の対象。人間は自然の一部を借りて生きている。作品が朽ちても、そのメッセージはより強く発信できると考えた」と、副館長の吉崎元章さん(49)は解説する。
4本ある木柱は制作から四半世紀を経て、一昨年から毎年1本ずつ倒れた。美術館はビッキさんの「遺志」として、撤去・保存や積極的な補強をしなかった。残る2本もいずれは倒れる運命にあるが、吉崎さんは「全て倒れてしまってもいいのかという声もあり、今後の展示策は多くの声を聞いて真剣に検討したい」と話す。
◇ビッキさんが晩年を過ごした音威子府村にある「オトイネップタワー」は、村が年内にも全て屋内展示に切り替えるそうだね。
かつて駅前にあった高さ約15メートルの「オトイネップタワー」(80年)は90年に折損したが、既にバラバラに崩壊した上部は03年からアトリエを改築した「エコミュージアムおさしまセンター」の館内に移して、土に寝かせ展示している。展示名は「トーテムポールの木霊(こだま)」。「生あるものは土に返る」という思想を具現化したといい、残る下部についても早ければ年内に移したい考えだ。
一方、出身地でもある旭川市の旭川工業高専に87年に寄贈された2本の木像からなる「芽」は同校の校舎中庭に展示されていたが、土台の腐食が進み05年撤去。現在は敷地内の倉庫に、木製の足場を組み横に寝かせて保存している。同校の小笠原守総務課長(57)によると、室内展示も検討したというが、約3メートルの高さがネック。公共施設への貸与なども検討しているが、活用策は未定だ。
◇ビッキさんの遺志はあるにしろ、作品はできるだけ大事にしたいよね。
ビッキさんに関する著作がある元道立近代美術館学芸部長の浅川泰さん(61)は「風雪の鑿というのはビッキの謎かけ。いろいろな答えがあっていい」と話す。「彫刻は普通、完成された作品として展示されるが、ビッキの彫刻は時間軸の要素を加えた『環境彫刻』。キノコが生え、鳥が巣を作ってもいい。自然とともに変化するものととらえている」。だが「風雪の鑿が作品を壊す」とは言っていない点は注意が必要という。「旭川高専が倒壊前に作品を横たえて保存し、ゆっくり朽ちる道を選んだのは選択肢の一つ。そのままの形で公開展示するのが理想だと思う」と。
ビッキさん本人が実際にどう考えていたかは、今となっては分かりようもない。ただ、こんなエピソードもある。
札幌芸術の森は、昨年6月、木柱倒壊の記録を残そうとビデオカメラを作品近くに設置し、24時間録画した。2本目の倒壊が見つかった7月4日朝。職員は固唾(かたず)をのんで録画を再生したが、夜間の出来事で画面は真っ暗。倒壊の音も聞こえず、風の音とカエルの鳴き声が響くだけだった。
「ビッキ」はアイヌ語でカエルの意味。謎かけに答えようとする私たちの営為を、ビッキさんはじっと見つめているのかもしれない。
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◆同行記者の一言
◇矛盾の意味とは
雪深い音威子府の廃校で巨木を彫り続けたビッキさん。豪放かつ繊細な人柄が愛され、作品には多くの村民も鑿を入れた。「ビッキがいた10年間は豊かで幸せな日々でした」。当時村で木材工場を営み、最大の協力者でもあった河上実さん(74)は寂しそうに笑う。
急逝から20年余。故人の遺志を体現した彫刻作品が朽ち、朽ちることすら遺志という矛盾。自然を乗り越えようとする人の営みが災いを生み続ける21世紀の今こそ、その矛盾の意味を考えたい。【伊藤直孝】
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◆「四つの風」へのコメント(抜粋)◆
私はよく自然の中を彷徨(ほうこう)するけれども、自然を探求したり理解しようとはあまりしてない。
自然と交感し、思索する。そこに、あからさまな自己が見えてくる。人が手を加えない状態、つまり、自然のままの樹木を素材とする。したがってそれは生きものである。生きているものが衰退し、崩壊してゆくのは至極当然である。それをさらに再構成してゆく。
自然は、ここに立った作品に、風雪という名の鑿(のみ)を加えてゆくはずである。
http://mainichi.jp/feature/news/20120820ddlk01040108000c.html
風が通る小高い丘。札幌芸術の森(札幌市南区)に、高さ約5・4メートルの2本の大木の横に、朽ちて折れた同じ2本の木が異様に横たわる一角がある。粉々になった茶色い木片上をアリが歩き回り、隙間(すきま)から生えたササにトンボが止まっていた。
「これ、美術の授業で習ったよ。倒れても、土に返るまでが芸術だと作者が遺言したんでしょ」。家族と訪れた札幌市東区の中学1年、隠岐菜々子さん(13)が足を止めた。北海道を代表する彫刻家、砂澤ビッキさんの晩年の代表作「四つの風」だ。
◇アカエゾマツの木柱4本で四季を表現し、ビッキさんの芸術観を示す「風雪の鑿(のみ)」という有名な言葉を残した作品だね。
市郊外の約40ヘクタールという広大な森の中にある芸術の森には、野外美術館があり、ビッキさんが美術館の依頼を受けて86年に制作した。木彫りの作品は野外展示には不向きで、現在、展示される73点の中でも唯一だが、ビッキさんは<自然の力が彫刻を完成させる>という意味のその言葉とともに作品を提供した。
「ビッキさんにとって木は、自分より長い時間を生きた畏敬(いけい)の対象。人間は自然の一部を借りて生きている。作品が朽ちても、そのメッセージはより強く発信できると考えた」と、副館長の吉崎元章さん(49)は解説する。
4本ある木柱は制作から四半世紀を経て、一昨年から毎年1本ずつ倒れた。美術館はビッキさんの「遺志」として、撤去・保存や積極的な補強をしなかった。残る2本もいずれは倒れる運命にあるが、吉崎さんは「全て倒れてしまってもいいのかという声もあり、今後の展示策は多くの声を聞いて真剣に検討したい」と話す。
◇ビッキさんが晩年を過ごした音威子府村にある「オトイネップタワー」は、村が年内にも全て屋内展示に切り替えるそうだね。
かつて駅前にあった高さ約15メートルの「オトイネップタワー」(80年)は90年に折損したが、既にバラバラに崩壊した上部は03年からアトリエを改築した「エコミュージアムおさしまセンター」の館内に移して、土に寝かせ展示している。展示名は「トーテムポールの木霊(こだま)」。「生あるものは土に返る」という思想を具現化したといい、残る下部についても早ければ年内に移したい考えだ。
一方、出身地でもある旭川市の旭川工業高専に87年に寄贈された2本の木像からなる「芽」は同校の校舎中庭に展示されていたが、土台の腐食が進み05年撤去。現在は敷地内の倉庫に、木製の足場を組み横に寝かせて保存している。同校の小笠原守総務課長(57)によると、室内展示も検討したというが、約3メートルの高さがネック。公共施設への貸与なども検討しているが、活用策は未定だ。
◇ビッキさんの遺志はあるにしろ、作品はできるだけ大事にしたいよね。
ビッキさんに関する著作がある元道立近代美術館学芸部長の浅川泰さん(61)は「風雪の鑿というのはビッキの謎かけ。いろいろな答えがあっていい」と話す。「彫刻は普通、完成された作品として展示されるが、ビッキの彫刻は時間軸の要素を加えた『環境彫刻』。キノコが生え、鳥が巣を作ってもいい。自然とともに変化するものととらえている」。だが「風雪の鑿が作品を壊す」とは言っていない点は注意が必要という。「旭川高専が倒壊前に作品を横たえて保存し、ゆっくり朽ちる道を選んだのは選択肢の一つ。そのままの形で公開展示するのが理想だと思う」と。
ビッキさん本人が実際にどう考えていたかは、今となっては分かりようもない。ただ、こんなエピソードもある。
札幌芸術の森は、昨年6月、木柱倒壊の記録を残そうとビデオカメラを作品近くに設置し、24時間録画した。2本目の倒壊が見つかった7月4日朝。職員は固唾(かたず)をのんで録画を再生したが、夜間の出来事で画面は真っ暗。倒壊の音も聞こえず、風の音とカエルの鳴き声が響くだけだった。
「ビッキ」はアイヌ語でカエルの意味。謎かけに答えようとする私たちの営為を、ビッキさんはじっと見つめているのかもしれない。
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◆同行記者の一言
◇矛盾の意味とは
雪深い音威子府の廃校で巨木を彫り続けたビッキさん。豪放かつ繊細な人柄が愛され、作品には多くの村民も鑿を入れた。「ビッキがいた10年間は豊かで幸せな日々でした」。当時村で木材工場を営み、最大の協力者でもあった河上実さん(74)は寂しそうに笑う。
急逝から20年余。故人の遺志を体現した彫刻作品が朽ち、朽ちることすら遺志という矛盾。自然を乗り越えようとする人の営みが災いを生み続ける21世紀の今こそ、その矛盾の意味を考えたい。【伊藤直孝】
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◆「四つの風」へのコメント(抜粋)◆
私はよく自然の中を彷徨(ほうこう)するけれども、自然を探求したり理解しようとはあまりしてない。
自然と交感し、思索する。そこに、あからさまな自己が見えてくる。人が手を加えない状態、つまり、自然のままの樹木を素材とする。したがってそれは生きものである。生きているものが衰退し、崩壊してゆくのは至極当然である。それをさらに再構成してゆく。
自然は、ここに立った作品に、風雪という名の鑿(のみ)を加えてゆくはずである。
http://mainichi.jp/feature/news/20120820ddlk01040108000c.html