北海道新聞08/24 16:00、08/24 21:18 更新

3作目となるCD「銀の滴・金の滴」を発売した児玉たけ子さん
【旭川】度重なる病を乗り越え、歌手になった旭川市の飲食店経営児玉たけ子さん(67)が今月、CDデビュー5周年を迎えた。「この間、入院せずに活動を続けて来られたのは歌のおかげ」と亡き恩師への感謝を込め、シングル3作目として、恩師が生前に作曲した「銀の滴・金の滴」をリリースした。
児玉さんは30年前に心筋梗塞で倒れて以来、脳梗塞や子宮筋腫、肺炎と、何度も生死の境をさまよった。生きがいを求め、二十数年前から体調の良いときに市内のカラオケ教室に通い、2012年に徳間ジャパンコミュニケーションズ(東京)からCDを発売。現在も後遺症に苦しみながら、年間30回ほど地元の祭りなどのステージに立っている。
「銀の滴―」はアイヌ民族の叙事詩ユーカラをアイヌ民族として初めて本格的に日本語に訳した知里幸恵の心情を歌った歌謡曲。優しいメロディーが印象的だ。作曲者はカラオケ教室の講師、境田寛さんで、生徒によく指導していた。
境田さんは児玉さんのデビュー翌年、69歳で亡くなった。歌を気に入っていた児玉さんは「私が歌わなければ、歌が眠ってしまう」と、境田さんが亡くなる3カ月前に歌わせてほしいと頼み込んだという。
「レコーディングの際は先生を思い出して涙が止まらなかった」と児玉さん。亡き恩師に力をもらいながら、「歌を通じて、多くの人に癒やしや喜びを与えたい」と話している。CDは味の鈴乃屋(旭川市春光2の9)などで購入できる。(高田かすみ)
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/area/dohoku/1-0308142.html

3作目となるCD「銀の滴・金の滴」を発売した児玉たけ子さん
【旭川】度重なる病を乗り越え、歌手になった旭川市の飲食店経営児玉たけ子さん(67)が今月、CDデビュー5周年を迎えた。「この間、入院せずに活動を続けて来られたのは歌のおかげ」と亡き恩師への感謝を込め、シングル3作目として、恩師が生前に作曲した「銀の滴・金の滴」をリリースした。
児玉さんは30年前に心筋梗塞で倒れて以来、脳梗塞や子宮筋腫、肺炎と、何度も生死の境をさまよった。生きがいを求め、二十数年前から体調の良いときに市内のカラオケ教室に通い、2012年に徳間ジャパンコミュニケーションズ(東京)からCDを発売。現在も後遺症に苦しみながら、年間30回ほど地元の祭りなどのステージに立っている。
「銀の滴―」はアイヌ民族の叙事詩ユーカラをアイヌ民族として初めて本格的に日本語に訳した知里幸恵の心情を歌った歌謡曲。優しいメロディーが印象的だ。作曲者はカラオケ教室の講師、境田寛さんで、生徒によく指導していた。
境田さんは児玉さんのデビュー翌年、69歳で亡くなった。歌を気に入っていた児玉さんは「私が歌わなければ、歌が眠ってしまう」と、境田さんが亡くなる3カ月前に歌わせてほしいと頼み込んだという。
「レコーディングの際は先生を思い出して涙が止まらなかった」と児玉さん。亡き恩師に力をもらいながら、「歌を通じて、多くの人に癒やしや喜びを与えたい」と話している。CDは味の鈴乃屋(旭川市春光2の9)などで購入できる。(高田かすみ)
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/area/dohoku/1-0308142.html