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先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

タスマニアにある壮大な自然の宝庫は ワイルドなトレッキングコースが人気

2016-08-31 | 先住民族関連
インフォシーク-2016/08/30 12:00

Magnificent View #1064
クレイドル山・セントクレア湖国立公園(オーストラリア)
(C)Jochen Schlenker / Masterfile / amanaimages
 その規模は、東京23区の約3倍。タスマニア島の北西部にあるこの公園には、クレイドル山とセントクレア湖を中心に、雄大な自然が広がっている。
 公園の北端にあるクレイドル山は野草の宝庫。夏にはワイルドフラワーが咲き誇り、秋には美しい紅葉を見ることができる。
 南側にある水深167メートルのセントクレア湖は、オーストラリアで最深の氷河湖。かつて周辺で生活していた先住民族のアボリジニはこの湖を「眠れる水」と呼んでいた。北岸には、その名にふさわしい静かな入り江がある。
 深い樹林や無数の湖、野生動物……。そんな手つかずの自然を存分に体験できるのが、公園内にあるタスマニア屈指のトレッキングルートだ。約65キロの行程を6日間ほどかけ、山小屋に宿泊しながら歩くコースは、ハイカーの憧れとなっている。文=芹澤和美
http://woman.infoseek.co.jp/news/trend/creabunshun_11235

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ふるさとの山々 高きが故に貴からず チセヌプリ 北海道・共和町、蘭越町=1134メートル

2016-08-31 | アイヌ民族関連
毎日新聞2016年8月30日 地方版
夏の緑水面に映え
 ニセコはパウダースノーで有名なスキーリゾートだが、夏は湿原と高山植物に彩られた緑豊かな山々へ大きく様変わりする。最高峰のニセコアンヌプリをはじめとするニトヌプリ、チセヌプリなどの山々と、神仙沼、大沼、大谷地などの高層湿原とが整備された登山道によってつながり、多彩なルートで楽しめる。
 今回は、ニセコを代表する静寂な神仙沼や長沼に映るチセヌプリを眺めながら山頂を目指そう。
 この山はおわんを伏せたような形の火山で、山名はアイヌ語の「チセ・ヌプリ(家の形をした山)」による。登山口となる神仙沼までJRニセコ駅からのバスは便数が少なく、マイカーかタクシー利用が一般的だ。
 神仙沼の入り口には、広い駐車場と休息所があり、木道が設置されている。日本のボーイスカウト創始期の下田豊松氏が1928年にこの地を訪れ「皆が神、仙人の住み給(たま)う所と言い」と命名したとされている。標高750メートルを超え、個性的な形をしたアカエゾマツに囲まれた沼で、夏には山々の緑、秋には紅葉が湖面に映る。ニセコ山系では最も美しく神秘的な沼と称される。
 神仙沼に接する湿原を一周した後、長沼へ向かう。長沼はかんがい用水にも使われており、沼沿いの道は降雨後は増水して水たまりができる。雨上がりはぬかるので、スパッツを着用した方がいい。
 道は次第にチシマザサに覆われ、緩やかな登りの後、シャクナゲ岳とのコル(鞍部(あんぶ))に着く。その先のチセヌプリ分岐から左へ急登が始まる。高山植物も多くなり、北海道にしか自生していないフギレオオバキスミレやコケモモの群落に出合えるだろう。急登が終わると、もう山頂である。
 頂上は台地状で小さな沼もある。展望も素晴らしく、渡島半島の最高峰である狩場山、南には有珠山と洞爺湖、東はニセコアンヌプリと羊蹄山を望む。眺望を楽しんだら、来た道を戻る。
 ヒグマの生息地に入るため、鈴などを携帯し、事前に人間の存在を知らせるようにしてほしい。クマの出没情報は共和町役場(0135・73・2011)で事前に確認したい。(北海道山岳ガイド協会・辻野健治)
 ■ガイドの目
秘湯など温泉も
 登山道は、神仙沼までは木道で歩きやすい。分岐点には、標識が設置されているが、その都度地図で位置の確認をしよう。帰路の頂上からの下りでは、転倒防止にストックがあると便利だろう。
 登山口にはトイレがある。コース途中に水場はないので事前に準備しよう。
 ニセコ山系には温泉が多い。秘湯として有名な五色温泉、静閑な昆布温泉、建て直された国民宿舎の(ニセコ)湯本温泉など迷うほどだ。
 ▽参考タイム
 登山口(20分)神仙沼(2時間)山頂(1時間30分)神仙沼(20分)登山口(神仙沼一周は約30分)
http://mainichi.jp/articles/20160830/ddl/k06/040/054000c

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私たちがこの100年で、失ったものって何だろう? 自然とともにある暮らしを撮り続け「民映研」に聞く、日本人の根底にある豊かさ

2016-08-31 | アイヌ民族関連
greenz.jp-2016.08.30
どこに住み、どんな暮らしをつくるのか。本当に必要なものは何か。「暮らしのものさし」は、株式会社SuMiKaと共同で、自分らしい住まいや好きな暮らし方を見つけるためのヒントを提供するインタビュー企画。こちらの記事は、社会から降りて自由に生きる、そんな生きかたのリテラシーを探る連載「消費されない生きかた」との共同企画です。
みなさんは、たとえば100年前に私たち日本人がどんな暮らしをしていたか、知っていますか?
1900年頃というのは、明治時代の中頃。日本は、農業中心の国から工業中心の国へと変わろうとしていた時代です。東京の銀座や丸の内には煉瓦街ができ、日本で初めてのエレベーター付きのビルや公衆電話ができたのもこの頃でした。
一方で、都市部においても電気やガス、水道などはまだ家庭に届いておらず、水は井戸から汲み、食事は薪や炭を燃やしてつくり、油をつかった行燈(あんどん)で明かりをつけていました。里山では、斧などの道具で木を切り倒して家をつくっては、川から水を引き込み、火をおこして暖をとって、山や川からとれる食べ物でつつましく暮らしていたのでした。
たった100年の間に、劇的に変わったともいえる、私たち日本人の暮らし。その過程で失われてしまったものの中に、未来をつくるためのヒントがあるような気がしてなりません。
そこで今回は、自然とともに生きる人々の暮らしを撮り続ける「民族文化映像研究所」(以後、民映研)の番頭をつとめる箒有寛(ほうき・ありひろ)さんに、その失われてしまったものについて聞き、現在・未来の私たちの暮らしに役立つヒントを探ることにしました。
『奥会津の木地師』に映されていた、生きることのリアル
この日本列島には、長い時間の中で培われた、自然との深い共生の暮らしがあります。その私たちの根底にある暮らしの在りようを“基層(きそう)文化”と捉え、庶民の暮らしをありのままに映像に残す活動をしているのが、「民映研」です。
今から40年ほど前、所長・姫田忠義(ひめだまさよし、故人)、カメラマン・伊藤碩男(いとうみつお)、事務局長・小泉修吉(こいずみしゅうきち、故人)の3人によって立ち上げられました。
姫田と伊藤は、宮本常一(みやもとつねいち)という民俗学者に師事していたんです。宮本先生に、今撮っておかないといけないものがたくさんあるから、君たちは映像を撮りなさいと言われたのが、そもそもの始まりと聞いています。
これまでの40年にわたる活動で映像として記録されたのは、16mmフィルム作品が119本、それ以外にもビデオ作品が150本。そして16mmフィルム作品の119本のうち、117本をDVD化して貸し出しをしています。
まずは、代表作のひとつである『奥会津の木地師』(1976年作品)を紹介しましょう。
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/politics/politics/1-0310248.html?memberonly=true
日本には、昭和初期まで定住せず、移動性の暮らしをする人がたくさんいました。山から山へ移動して椀(わん)などをつくって暮らす“木地師(きじし)”もそうでした。
この『奥会津の木地師』は40年前に撮影されたものですが、その内容は、撮影当時からさらに50年ほど前の暮らしと技術を再現したもの。つまり、今から90年ほど前の暮らしぶりが、ありありと映っているのです。
福島県・奥会津の山間地で、木地師であることをやめてしまった末裔たちが、かつてそうしていたように簡素な小屋をつくり、谷から水をひき、住まいが整うと山の神をまつって、椀をつくるためのシンプルな道具をつくり始めます。
そして道具が完成すると、斧1本で倒したブナの木に切り込みを入れて、お椀の原型となる型をつくり、女性たちがそれを小屋へと運び、男性たちは座って足で椀を押さえ、信じられないような鍛錬された技で椀を彫り、さらには手引きロクロで仕上げていきます。
人の力で回される手引きロクロは、奈良時代に大陸から導入されたもの。既に移動性の暮らしをやめて、手引きロクロの作業もしなくなって50年ほど過ぎていたにも関わらず、彼らの身体には、1000年を越す技術の伝統が息づいていたのでした。
映像におさめられているのは、残念ながら今はもう誰も真似できないであろう暮らしの技術と、生々しい当時の表情や息づかい。観る人の心を捉えてやまない、有無を言わせぬ生きることのリアルでした。
主義主張のないドキュメンタリー
これまでに撮影をした作品のうち、自主制作は十数本で、それ以外は地域の暮らしやお祭りなどを記録するために予算がついた委嘱作品です。
何か事象があって、それを伝える映像を“ドキュメンタリー”といいますが、現在のドキュメンタリーは、作品に何かしらの主義主張があるんです。
例えば、3.11の後に反原発を訴えるドキュメンタリー映像が公開される。民映研の作品には、じつは主義主張がまったくありません。だから逆に、観終わると「一体何だったんだ?」と疑問が残る。一緒に観た人と気づいたことをシェアし合わないと完結しないんです。
民映研の活動が始まる40年前は、カラーテレビも多少出回っていたけれど、一般家庭には白黒テレビが置かれていた時代。当時は、観たことがないものを自宅で観ることができるというだけでドキュメンタリーでした。
たとえばアフリカ大陸に行って、歩いている象を撮ってくるだけでドキュメンタリーだったのに、今となっては、象が密猟されているとか、象という事象に、何かもうひとつないとドキュメンタリーとはいえない。これは、ある意味で、ドキュメンタリーが撮る人の主義主張を伝えるための道具になってしまったとも言えるかもしれない、と箒さんは指摘します。
民映研の映像は、あくまで“素材”です。気づきをシェアしたり、自分が気づかなかったことを人からシェアされることで、観終わったあとの言葉にできない疑問が深い問いになって、問いに対する答えが少しずつ見えていきます。
いや、答えなんて簡単に見つからないかもしれない。その人にとっての大切な問いとなって、その問いをたずさえて生きていくことになるのかもしれません。
高度成長を経て、失われてしまったもの
先ほど紹介した『奥会津の木地師』のほかに、もうひとつ作品を紹介しておきましょう。こちらも代表作のひとつである、アイヌの自然観、生命観が凝縮した『イヨマンテ〜熊おくり』(1977年作品)。
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/politics/politics/1-0310248.html?memberonly=true
「イヨマンテ」とは、熊の魂を神の国へ送り返すまつりのこと。アイヌの人々にとって、熊は重要な狩猟対象であるとともに、神そのものであり、親しみと畏敬の対象でもありました。
熊を狩る際、子熊は集落に連れ帰り、最初は人間の子どもと同じように家の中で育て、やがて大きくなると檻に移し、上等な食事で1〜2年ほど育ててから、集落をあげての儀礼として、熊をし、その肉を人々に振る舞います。
その儀式には、アイヌ文化として長く続いてきた命の循環と尊厳があるものの、1955年には野蛮な儀式として北海道知事から事実上禁止の通達があり、さらに2007年には通達が撤回されるという歴史もあります。
イヨマンテもそうですが、神事として、猪とかキジの頭を飾ったりしますよね。以前は公開されていましたけど、現在は批判も多く、そうした世の中の風潮というものもあって、神社を支える地域の住民でさえも見ることができないというのが現実です。そういったことで、古くから存在する文化が消えていくわけです。
また一昨年、東京・代々木公園周辺でデング熱が発症し、感染源である蚊を退治するために殺虫剤が散布されました。
そりゃデング熱は怖いですよ。でも、蚊だけをピンポイントに退治するなんて技術は、まだ私たち人間は持ち合わせていないわけです。殺虫剤をつかったことで、少なからず生態系が狂ってしまったと思います。
明治神宮は人工の森だけど、100年かけてつくられた天然林でもある。世界的にみても素晴らしい事例なんだけど、一瞬のデング熱という事象への対処のために、効率的な選択してしまう。見方にもよるけど、広い、そして長い視点でみると、浅はかだと思いますよ。
イヨマンテにしても、デング熱への対応にしても、「その事象における部分しか見ていない、全体を見ていないのではないか」と箒さんは言います。何かに対処をするには、部分へアプローチをすることになります。でももしかすると、そのアプローチは、合理的ではあっても全体でみると好ましくない手段であるケースが多いのかもしれません。
もうひとつ例を挙げると、私が暮らしている長野県・諏訪地方には、1200年ほど前から行われている、7年に一度の「御柱祭」という儀式がありますが、山の大木を切り倒して運び、その木を諏訪大社の柱として建てるという工程のなかで、毎回のように生死に関わる事故があるのも事実です。
つい先日、危険なのにどうして御柱祭を続けるのかと、中止を求める申し立てがあり、これを最高裁は棄却しました。人の命ほど大切なものはないけれど、例えば巨木を扱うと危ないからといって、プラスチック製のもので代用したら、縄文時代から続いてきた精神性は失われてしまうのではないか。
動物、植物、あらゆる生きものが地球の上に生きているけれど、人間だけが人間のつくった経済や合理性の上に生きていて、高度に複雑化して、個人がさまざまな権利を主張し合うことで、全体が見えにくくなってしまっている。そう考えることもできるのではないでしょうか。
大切にしたい“豊かさ”って何だろう?
見えにくくなってしまっている全体性にこそ、豊かさがあるのではないか。民映研の映像には、失われてしまった豊かさが、どの作品にもありのままに映されていると箒さんは話します。
映像を観終わって、豊かな世界だったね、とみんな言うんです。それと同時に、でもやっぱりあの暮らしはつらい、冬は寒いなどと考えたりもする。それはつまり、豊かさとは楽なことだと思っているわけです。
豊かさって、大変だとか寒いといったマイナスの要素と、達成感や美味しいといったプラスの要素のバランスがとれた状態のこと。つらいけど頑張るから、楽しくなるんです。
便利さはコンビニエンスストアで手に入るけど、そこには苦労がないから、豊かではない。逆に言うと、豊かな暮らしをしているからつらさはゼロなんてことは、ないということです。
私たちは、自然というか“野生”と分離しすぎましたね。みんな“個”の世界で生きている。もっと複雑に、たくさんの恩恵を受けていて、個では生きられないはずなんです。
以前はその恩恵と向き合って、全体性のなかで生きていた。そうした誰もが持っていたはずの、私たちの根底にあるものは何なのかを問い続けることが、今、必要だと思います。
もうひとつ、私たちは安易に“日本人”という括りかたをしてしまいますが、日本人という言葉はややこしい、と箒さんは指摘します。
アイヌ人もいれば、琉球民族もいる。アイヌ人は日本人ではないんだよね。彼らはさんざん差別をされてきた歴史があって、アイヌ人ですと胸を張って生きている人もいれば、隠して生きている人もいる。
国連は、沖縄に暮らす人々は先住民であると認定しているけど、日本政府は認めていない。連綿とつながっているのに、歴史上は切り離されてしまった。だから僕らは日本人という言葉はつかわないんです。
問いをたずさえて生きる
現在は、京都・丹波地方の86歳、84歳、82歳のおばあさんが暮らす、限界過疎地域の収録をしていると話す箒さん。ひとつの作品の収録のために、場合によっては10年単位で撮影チームの誰かが住み続けたり、季節ごとに滞在したり、時を経てまた足を運んでみたりと、足繁く現地を訪れるのだそう。
これは宮本常一の教えなんですが、どこかに足を運んだら、そのが見渡せるところにまず行きなさい、と。そうすると鎮守の森があるとか、地形がどうなっているとか、いろんなことが分かってくる。そして旅館に泊まらずに、村人の家に泊まらせてもらう。公民館でもいい。撮影のために行って、すぐ帰るというやり方では、僕らの仕事は成立しないんです。
民映研の作品は、マニアックのように見えるかもしれないけど、じつは部分ではなくて全体の話。ある作品では丸木舟ができ上がるし、ある作品ではアイヌ人の暮らしぶりが見えたりするけれども、どの作品を観ても、そこには自然とともに暮らす豊かさが映されているのです。
これはどういうことなんだろう、という「問い」に出会えるって幸せですね。「興味」って非常に浅いですよ。今どきの人は、ツアーを組んで体験するんだけど、体験して終わっちゃう。
自分で行って、自分の目で見るというのはとても大切なことだけど、一度体験してみただけで知ったつもりになっちゃいけない。だから興味じゃだめなんです。問いをたずさえないと。
日本列島は、地球のなかでも恵まれた場所にあります。海があり、森があり、水が豊かで、温暖。四季折々、多様な植生があるから、地域によって食べるものが異なったり、食べかたの工夫も山ほどあります。この豊かな日本列島で培われてきた様々な文化が失われつつあるのは、ほんの、ここ100年くらいの話です。
便利さやスピードといったものをすべて捨てて以前の暮らしに戻ることはできないだろうと思います。でも、世の中の風潮やスピードに惑わされずに、自分なりにコントロールすること、そして自分なりの問いを見つけ、答えを探していくことは、できるのではないでしょうか。
ちなみに、民映研の映像作品は、60分以内の作品であれば8,000円で借りることができます。10人集まればひとり800円。まずは民映研の映像作品をひとつ、仲間と一緒に観ることから始めてみませんか?
(撮影: 関口佳代)
民映研の映像をみんなで観よう!
お問い合わせはこちら(minneiken@alpha.ocn.ne.jp)
http://greenz.jp/2016/08/30/mineiken/

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北海道150年、関心いまいち 記念事業意見低調 検討会議「道民議論の機運を」

2016-08-31 | アイヌ民族関連
北海道新聞08/30 05:00
 道が2018年に予定している北海道150年記念事業で「150年」自体の認知度アップが課題となっている。事業のアイデアや意見を募るアンケートは回答の集まりが低調だ。北海道の名付け親の探検家・ 松浦武四郎 の功績など歴史やアイヌ文化を発信する好機としたいだけに、道は「一人一人に関心を持ってもらい、盛り上げていきたい」と意気込んでいる。
 「先人が積み重ねた努力、歴史を振り返り、次の50年につなげる」。高橋はるみ知事は10日、札幌市内で開いた 政治資金 パーティーでこう語った。150年記念事業は昨年4月の選挙で公約にした4期目の肝いり政策だ。
 18年は、明治政府が蝦夷地(えぞち)の名称を北海道と定めた1869年(明治2年)から150年目。道は6月、事業のあり方を検討する有識者検討会議(委員長・山口佳三北大学長)を立ち上げ、経済界の代表や北海道アイヌ協会の加藤忠理事長らが名を連ねる。
 道は事業の視点やアイデア、次の世代に伝えたいキーワードを尋ねるアンケートをホームページ(HP)やファクスで実施。しかし、8月15日までの約3カ月で95件。1日1、2件のペースだ。
 「北海道150年を知っていますか」との質問には「知っている」が41%、「知らない」が37%。「HPを見ている人は関心がある人。実際の知名度はもっと低い」(道幹部)
 寄せられたアイデアには「各市町村の木を活用し、植樹する『木づなリレー』」「松浦賞の創設」「179市町村お宝自慢大会」などがある。道は引き続きアンケートを行い、事業の基本的考え方や記念セレモニーの展開などを盛り込んだ基本方針(原案)についての意見も、今月31日まで募っている。
 検討会議委員の小磯修二北大公共政策大学院特任教授は「150年の歴史や営みを見つめ直す大事な機会。あらゆる機会でオール北海道で議論する機運を高めるべきだ」と指摘する。問い合わせは、道の北海道150年事業準備室(電)011・204・5995へ。
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/politics/politics/1-0310248.html?memberonly=true


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生活悩む道外アイヌ民族 電話相談に170件 政府、新法検討に反映

2016-08-31 | アイヌ民族関連
北海道新聞08/30 05:00

道外在住のアイヌ民族から寄せられる電話相談に応じる八幡智子さん
 道外で暮らすアイヌ民族を対象に、政府が6月に開設した電話相談窓口に生活上の悩みや支援の必要性を訴える電話が相次いでいる。8月29日現在で約170件あり、「アイヌ民族であることを理由とした差別」など切実な内容も多い。政府は、生活・教育支援を目的とした新法制定の検討に反映させたい考えだ。
 電話窓口は厚生労働省が公益財団法人「人権教育啓発推進センター」に委託して6月上旬に開設。相談員は、アイヌ民族の女性3人と元法務省職員の計4人が持ち回りで対応している。
 アイヌ民族の相談員の1人は、千葉県在住の八幡智子さん(64)。八幡さんが当番の際には「差別のせいで年金がもらえるような正規の職に就けなかった」「北海道で受けられた教育支援を道外でも受けられるようにしてほしい」などの悩みや注文があったという。
 道外のアイヌ民族の生活相談は、多くの自治体に窓口がある道内と違って手薄だ。厚労省が2013、14年度、人権教育啓発推進センターで試験的に相談窓口を開いた際にも、予想を超える753件の相談があった。14年度の相談内容は「身体の悩み」109件、「暮らし向き」105件、「アイヌ民族であることを理由とした差別」93件などで、同センターは「道外のアイヌ民族の差別や貧困問題はより深刻」と分析する。
 道外在住のアイヌ民族に対しては、政府が14年度から職業訓練の相談会を始めたほか、日本学生支援機構の無利子奨学金の申請基準も緩和した。ただ、いずれも利用者は数人にとどまる。内閣官房アイヌ総合政策室は利用が少ないことについて、「道外のアイヌ民族は実態を把握するのが難しく、政府の施策について効果的な発信ができていない」と話す。
 政府は今回の電話相談で寄せられた内容から、道外在住のアイヌ民族が置かれている状況の把握につなげ、新法制定を検討する際の参考にする考え。関東ウタリ会の丸子美記子会長は「道外のアイヌ民族は、支援策から切り捨てられている。平等な政策を施すべきだ」と訴えている。

 人権教育啓発推進センターの相談窓口は(電)0120・771・208(無料)。地元で相談しづらい道内在住者も受け付けており、平日の午前9時~午後5時。
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/society/society/1-0310255.html?memberonly=true


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開発予算17%増、6336億円要求 港湾、食関連に重点

2016-08-31 | アイヌ民族関連
北海道新聞08/30 05:00
 国土交通省は29日、2017年度の北海道開発予算の 概算要求 額を発表した。総額は16年度当初予算と比べ17%増の6336億4500万円で、3年連続で6千億円台に乗せた。港湾やアイヌ民族の文化関連、北海道の強みである食と観光など主要施策を中心に盛り込んだ。
 港湾関係は16年度当初予算比5%増の177億9千万円を計上した。ばら積み貨物(バルク)の輸入拠点「 国際バルク戦略港湾 」に指定されている釧路港について、大型輸送船が入港できる国際物流ターミナルの整備を進める。17年度中の完成を目指す。
 アイヌ民族の伝統・文化関連は同2・9倍の7億8100万円と大きく膨らんだ。胆振管内白老町に開設するアイヌ文化復興の拠点「民族共生象徴空間」のうち、公園部分となる「国立民族共生公園」の敷地造成を予定しているためだ。
 一方、食関連は農地の大区画化やかんがい排水事業などを進めるため、農林水産基盤整備に同21%増の1351億2900万円を充てる。
 観光分野では、訪日外国人の増加で利用が急増している 新千歳空港 国際線対策として、空港南側に新設する航空機誘導路など空港関連に同26%増の128億4千万円を要求した。
 年末の予算編成の査定では減額が予想され、16年度は6303億円の概算要求額に対し、当初予算段階で14%減の5417億円に減額された。国交省北海道局は「北海道が食や観光分野でさらに強みを発揮できれば、国が掲げる観光立国の推進にもつながることを訴えたい」と話している。
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/economy/economy/1-0310238.html

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