産経ニュース-2017.5.7 08:42

北海道の大自然と向き合い、木々と対話しながら彫刻を制作した砂澤ビッキ。戦後日本の彫刻界に確固たる地位を築いた彫刻家の展覧会「木魂(こだま)を彫る」が神奈川県立近代美術館葉山で開かれている。北海道以外の公立美術館での個展は初となる。
彼の木彫はいたって素朴。着色されているわけでも、ピカピカに削っているわけでもない。手の込んだ細工はなく、とらえた形のエッセンスだけを抽出した形態といえるだろう。
高さ2メートルほどの「神の舌」は、シンプルなフォルムの木彫。正面から見るとどっしりとした姿だが、横に回るとシャープに反っている。不必要な部分をざっくりとそぎ落とした造形の圧倒的な迫力。気高く、見る者を吸い寄せる。しかも祈りたくなるような神聖さを秘めている。木が生きている証しを示すように、彫刻のところどころには大きなヒビ。人の手に負えない大きな自然の力に委ねられているようだ。「木魂を彫る」という展覧会タイトルが示唆するように、自然と交感し木の魂を彫りだしているかのように思えてくる。
ビッキはアイヌを両親に北海道旭川市で生まれた。幼年期に民族の伝統的な木彫の技術を身につけたという。20歳を過ぎてから阿寒湖畔の母親が営む土産物店で働き、時折上京。神奈川県・鎌倉の文化人サークルに出入りし、東京の美術の公募展に出品して創作活動を開始。30代半ばに札幌に転居し、工芸的な小さな作品を数多く手がけた。作風が大きく転換したのは昭和53年、北海道北部の音威子府(おといねっぷ)村に転居してからだった。脂が乗り始めた40代後半、廃校となった小学校をアトリエとして使い、雄大な自然と対峙(たいじ)しながら大作に打ち込んだ。「神の舌」や、トーテムポールをイメージさせる高さ3メートルほどの「TOH」など存在感のある作品は、都会から離れた自然の中から誕生した。
http://www.sankei.com/life/news/170507/lif1705070016-n1.html

北海道の大自然と向き合い、木々と対話しながら彫刻を制作した砂澤ビッキ。戦後日本の彫刻界に確固たる地位を築いた彫刻家の展覧会「木魂(こだま)を彫る」が神奈川県立近代美術館葉山で開かれている。北海道以外の公立美術館での個展は初となる。
彼の木彫はいたって素朴。着色されているわけでも、ピカピカに削っているわけでもない。手の込んだ細工はなく、とらえた形のエッセンスだけを抽出した形態といえるだろう。
高さ2メートルほどの「神の舌」は、シンプルなフォルムの木彫。正面から見るとどっしりとした姿だが、横に回るとシャープに反っている。不必要な部分をざっくりとそぎ落とした造形の圧倒的な迫力。気高く、見る者を吸い寄せる。しかも祈りたくなるような神聖さを秘めている。木が生きている証しを示すように、彫刻のところどころには大きなヒビ。人の手に負えない大きな自然の力に委ねられているようだ。「木魂を彫る」という展覧会タイトルが示唆するように、自然と交感し木の魂を彫りだしているかのように思えてくる。
ビッキはアイヌを両親に北海道旭川市で生まれた。幼年期に民族の伝統的な木彫の技術を身につけたという。20歳を過ぎてから阿寒湖畔の母親が営む土産物店で働き、時折上京。神奈川県・鎌倉の文化人サークルに出入りし、東京の美術の公募展に出品して創作活動を開始。30代半ばに札幌に転居し、工芸的な小さな作品を数多く手がけた。作風が大きく転換したのは昭和53年、北海道北部の音威子府(おといねっぷ)村に転居してからだった。脂が乗り始めた40代後半、廃校となった小学校をアトリエとして使い、雄大な自然と対峙(たいじ)しながら大作に打ち込んだ。「神の舌」や、トーテムポールをイメージさせる高さ3メートルほどの「TOH」など存在感のある作品は、都会から離れた自然の中から誕生した。
http://www.sankei.com/life/news/170507/lif1705070016-n1.html