先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

フィリピンのミンダナオ島に戒厳令

2017-05-24 | 先住民族関連
共同通信2017/5/24 00:46
フィリピンのアベリヤ大統領報道官は、南部ミンダナオ島全土に23日夜、戒厳令が敷かれたと明らかにした。
https://this.kiji.is/239776580799170039?c=110564226228225532


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アイヌ民族の文化伝承施設、平成32年4月開業を確認 政府のアイヌ政策推進会議

2017-05-24 | アイヌ民族関連
産経ニュース2017.5.23 20:47
 政府は23日、首相官邸でアイヌ政策推進会議(座長・菅義偉官房長官)を開き、アイヌ民族の文化伝承を目的とした国立施設「民族共生象徴空間」を北海道白老町に整備し、平成32年4月に開業させることを確認した。
 菅氏は「(一般公開まで)すでに3年を切っている。皆さんと力を合わせて準備を進めていきたい」と述べた。
http://www.sankei.com/politics/news/170523/plt1705230033-n1.html


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共生空間、20年4月24日公開=アイヌ政策会議

2017-05-24 | 先住民族関連
時事通信社(2017/05/23-18:58)
 フィリピンのミンダナオ島に戒厳令 政府は23日、アイヌ政策推進会議(座長・菅義偉官房長官)を首相官邸で開き、アイヌ文化伝承のため北海道白老町に設ける国立施設「民族共生象徴空間」について、公開日を2020年4月24日とすることを決定した。来場目標者数を年間100万人に設定し、今後、広報・宣伝活動を強化する。
 菅長官は会議で「固定観念や先入観を取り払い、アイヌの方々に寄り添った政策にしっかり取り組んでいかなければならない」と語った。
http://www.jiji.com/jc/article?k=2017052301121&g=pol

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アイヌ民族博物館 ダフール族交流 民族衣装で歌や踊り/北海道

2017-05-24 | アイヌ民族関連
会員限定有料記事 毎日新聞2017年5月24日 地方版
 中国北部の少数民族ダフール族が23日、白老町のアイヌ民族博物館(野本正博館長)を訪れ、歌や踊りを通じた文化交流をした。
 ダフール族の留学生が昨秋に博物館の交流事業に参加したのがきっかけで実現。在日本ダフール族文化交流協会の榎原霞会長や留学生、現地などから計20人が訪れた。
 一行は、アイヌ家屋の「チセ」を訪問。民…
残り138文字(全文295文字)
https://mainichi.jp/articles/20170524/ddl/k01/040/146000c

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官房長官 アイヌ民族の地位確立へ法整備目指す

2017-05-24 | アイヌ民族関連
NHK 5月23日 20時50分

菅官房長官は、政府のアイヌ政策推進会議で、アイヌ民族の地位の確立に向けて、先住民族と明確に位置づけることなどを盛り込んだ法整備を行うことを目指す考えを示しました。
総理大臣官邸で開かれたアイヌ政策推進会議には、座長を務める菅官房長官や、北海道の高橋知事、それに北海道アイヌ協会の加藤忠理事長らが出席しました。
この中で、菅官房長官は「アイヌ政策の総合的な検討については、固定観念や先入観を取り払い、アイヌの方々に寄り添った政策とするように、しっかり取り組んでいかなければならない」と述べました。そのうえで、菅官房長官は「先住民族政策の基本的事項を整理し、立法措置を含めて検討を行っていく」と述べ、アイヌ民族の地位の確立に向けて、先住民族と明確に位置づけることなどを盛り込んだ法整備を行うことを目指す考えを示しました。
また菅官房長官は、北海道白老町で整備を予定している、博物館や公園などからなる「民族共生象徴空間」について、地元の要望を踏まえ、2020年の4月下旬の開業を目標に準備を進める考えを示しました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170523/k10010992351000.html

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東京五輪聖火リレー出発地 沖縄と被災地で議論

2017-05-24 | アイヌ民族関連
日刊スポーツ-[2017年5月23日15時4分]
 2020年東京五輪・パラリンピックの聖火リレー検討委員会の第4回が23日に都内で行われ、出発地候補として沖縄県と東日本大震災の被災地が挙がり、議論が行われた。
 組織委によると64年東京五輪、72年札幌冬季五輪、98年長野冬季五輪ではいずれも沖縄が出発地の1つだったという。現在は国際オリンピック委員会(IOC)の内規で「100日以内」「一筆書き」が原則。開会式が行われる20年7月24日の100日前は4月15日だが、東京大会では100日よりも期間を延ばせるようIOCと交渉しており、出発日時は3月下旬から4月上旬となる可能性がある。
 春先のスタートとなれば北海道や東北は気候的に寒く、大会組織委員会の布村幸彦副事務総長は「桜前線とともに北に上がっていくという議論があった」と説明した。
 被災地である東北の出発地案についても意見が交わされた。宮城県石巻市は東日本大震災最大の被災地であり現在、国立競技場の聖火台が置かれていることから、出発地として立候補している。
 会議内では面積が1番広い北海道について、ルート案の概略を示した。人口規模が大きい都市、アイヌ文化の配慮、札幌五輪に縁のある場所などが経由地例として挙がった。
 47都道府県を回ることは決まっているが、コンセプトや概要が決まれば、細かいルート選定は各都道府県に任せる方針。組織委の担当者は「98年長野五輪はそのようにルートを引いた。交通事情など、各県警の力を借りないと難しい」と語った。
 また、8月にIOCに提出予定のコンセプトは「明るく元気に」をテーマに今後、詰めていくことが決まった。
http://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/1828275.html


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高木正勝『YMENE』「山咲み」 自己表現の音楽からコミュニティー・ミュージックへ―

2017-05-24 | アイヌ民族関連
村の暮らしで見つけた新しい日本の音
Mikiki-2017.05.23 interview & text:大石始
村の暮らしの中でみつけた〈二度とこないこの日〉への想い
 高木正勝の実況録音盤2作品が揃ってリリースされることになった。ひとつは2010年10月に行われたピアノ・ソロ・コンサート・ツアーの模様を収めた『YMENE』。もうひとつは、2015年の多勢編成ワンマン・コンサートを二枚のCDとDVDに収めた『山咲み』(こちらは昨年通販とライヴ会場で限定販売されていたものだが、今回一般発売されることになった)。この2作品には、ここ数年の間に起きた高木の心境および状況の変化が色濃く反映されている。その変化は音楽人としての高木の根幹に関わるものでもあって、後々高木のディスコグラフィーのなかでも重要な意味を持つ作品となるはずだ。

ゴールが見えないミックス作業の泥沼にはまり込んでいた2011年3月11日
 2011年3月11日。東日本大震災が各地で甚大な被害を及ぼしたまさにその日、高木は三ヶ月かけてもゴールが見えない『YMENE』のミックス作業の泥沼にはまり込んでいた。
 「2010年12月にコンサートが終わってすぐに 自分でミックスを始めたんですけど、当日感じた魔法のような感覚が録音物には残っていなくて、どうすればいいのか分からなくなっていたんですよ。そんなときに震災が起きた。あの当時は自然の力や祈り、儀式に対する興味があって、コンサートのなかにも津波を思い起こすような強烈なシーンがあったんですね。そういうときに自然の圧倒的な力を見せられてしまい、今は別のことに取り組むべきだと思ったんです」
 結果、『YMENE』の音源は数年に渡って手を付けられることなく、なかばお蔵入りの状態となっていた。ミックス作業が再開されたのは昨年末。「映画音楽などいろいろなことをやっていくなかで、外向きじゃない、ひとりでピアノで遊んでいるような『YMENE』の音源を世に出して、〈自分は本当はこういう人間なんです〉ということを知ってもらいたくなった」というのが再開の理由だ。
 「(先にミックス作業を終えていた)『山咲み』も最初は自分でミックスをやってたんですけど、諦めて原(真人)さんに頼んだんです。そうしたら、コンサートのときに自分が感じていたことを音源で再現することにこだわらなくてもいいんだ、その感覚を人に押し付けなくてもいいんだ、そう思えるようになった。それで『YMENE』もようやく出せたんです」
自我を押し出すのではなく共有すること
 『YMENE』に収められているのは高木のピアノと声のみ。研ぎ澄まされた音の数々から、2010年当時の高木が描き出そうとしていたものがくっきりと浮かび上がる。選曲を担当したのはプロデューサーの堀内求。高木も一度選曲したものの、最終的には堀内の選曲が採用されたという。
 『YMENE』だけでなく、『山咲み』もまた多くの音楽家が参加し、原真人にミックスを委ねるなど他者との関わりによって完成した作品だったわけだが、震災以降の高木の作品は、他者との関わりのなかで生まれるコミュニティー・ミュージックとしての側面を強めていると言ってもいい。自我を押し出すのではなく、何らかの共同体のなかで音を鳴らし、共有すること。そうした感覚を高木にもたらすきっかけとなったのが、2013年夏、兵庫の篠山という小さな村へと移住したことだった。
 「移住してからはいわゆる素人の人たちが主催する手作りのイヴェントに出ることも多くなったんですね。そういう場所だと、〈自分はこう思うから、こう受け取ってほしい〉というエゴみたいなものはそんなに重要じゃないんですよ。子供もいればおじいちゃんおばあちゃんもいるところで自分を前に出しても、どうも成り立たない。自分の耳が客席側にもあるようになったのかもしれませんね。前の作品 (2009年の『Tai Rei Tei Rio』)はまだステージ側にしか自分の耳がなかったけど、こっち(『山咲み』と『YMENE』)には客席側にもある感じがする」
音楽観・人生観にも影響を受けた篠山の暮らし
 また、慎ましくも連綿と続く篠山の暮らしは、高木の音楽観・人生観そのものにも影響を与えた。
 「ここ10年ぐらいお祭りの音楽や村の土着的な歌に関心を持っていたんですけど、以前は誰かから習えば自分でもできるようになるんじゃないかと思ってたんです。でも、いざ村に引っ越してみると、そういう環境で実際に生活しないとできないものなんだと分かった。村といってもいろんな暮らしがあって、自然に近い暮らしをしてる人もいれば、街に憧れてる人もいる。みんな生まれたときから同じ場所で生きてきて、逃げ場がない。喧嘩をしたくてもできないし、仲良くしたくてもできない。いろん な思いが渦巻いていて、一色に染まってなくて、ムラがあって。そういう暮らしの中から村の土着的な歌が生まれてきたことを実感するようになったんですね」
 村の生活は多様性に満ち溢れている。その一方で、ちょっとしたことでコミュニティーの繊細なバランスは崩れ、暮らしはままならなくなる。他者と生きること、他者と音楽を奏でること。高木のなかで村の生活と音楽制作の根本が少しずつ重なり合っていったのだろう。
 移住後に行われた多勢編成コンサートの模様を収めた『山咲み』には、よりはっきりと篠山での生活が反映されている。アイヌの歌い手である床絵美や沢田穣治(コントラバス)ら総勢7人のメンバーと共に高木が繰り広げるのは、まるで架空の村祭りのような、ある種混沌とした祝祭空間だ。
 「おじいさんおばあさんと暮らしていると、一生の短さというものを実感せざるを得ないし、四季のことも意識するようになったんです。冬になると、植物が全部枯れて一度命が消えるわけですけど、4月も後半になると新しい芽がうわーっと出てきて、しばらく聴いていなかった虫の鳴き声が一気に聴こえ始める。昔から人はこうやって春の到来を感じてきたんだなと思うんです。〈二度とこないこの日を〉という歌詞にしましたけれど、まさにその感覚」
 満開になったうちから散っていく野花の儚い美しさ。圧倒的なまでの木々の生命力。人間の一生の短さと、それゆえの生命の輝き。『山咲み』に充満しているのは、篠山の暮らしのなかで高木が肌身で感じてきたそうした感覚だ。
共同体から自然と滲み出てくるコミュニティー・ミュージックへ
 また、このアルバムで実感させられるのは、高木の歌の変化。村の盆踊り歌やご詠歌を学んだことで村の節回しやリズム感覚が身体に入り、血肉となったことで初めて歌える歌である。加えて、アイヌの歌い手である床絵美との出会いも高木に重要なインスピレーションを与えた。
 「絵美さんは音楽への向き合い方が違うんです。自分の身体を使い、今まで背負ってきたものをどう出すか。そういうことに長年取り組んできた人であって、何かを作ろうとしていないんですね。あと、彼女は〈自分には今しか出せない声があって、私はそれしかやりたくない〉というんですね。僕は『YMENE』のコンサートで初めて歌ってみたんですけど、声を出すたびに誰かが乗り移るような感覚があって。でも、そういう歌い方をしたものは、選曲しませんでした。絵美さんの声はまさに 40代の女性の声そのものなんですね。とてもいいなと思ったし、絵美さんとの出会いによって歌い方も変わった」
 美しいブックレットに覆われた『山咲み』の数量限定盤には、高木のこんな言葉が綴られている。
 「場がうまれれば、何かが勝手に育つ。音楽はつくられるものではなくて、音楽が溢れでてくるような場所をつくること、音楽が溢れでてくるような自分になってしまうこと。ただそれだけなのかもしれない」
 自我を強烈に打ち出す自己表現としての音楽から、共同体から自然と滲み出てくるコミュニティー・ミュージックへ。音楽家は音を通じてどのように社会と関わることができるのか。どのような音を奏でることができるのか。現在多くの音楽家がそのあり方を模索しているが、僕はここから〈新しい日本の音〉が生まれてくるような気がしてならないのだ。 (取材協力:daylight kitchen)
高木正勝(Masakatsu Takagi)[1979-]
音楽家/映像作家。1979年生まれ、京都出身、兵庫県在住。山深い谷間にて生活。長く親しんでいるピアノを用いた音楽、世界を旅しながら撮影した“動く絵画”と評される映像、両方を手掛ける作家。国内外でのCDやDVDリリース、美術館での展覧会や世界各地でのコンサート、映画やCM音楽など、分野に限定されない多様な活動を展開している。2009年Newsweek日本版で、「世界が尊敬する日本人100人」の1人に選ばれるなど、世界的な注目を集めるアーティスト。
寄稿者プロフィール
大石始(Hajime Oishi)
音楽ライター/エディター。アジアや中南米を中心とする各地の民族文化およびポップ・カルチャーを追う一方、日本各地の祭りや民謡、伝統芸能の取材を重ねている。近著書に2016年の『ニッポンのマツリズム』、2015年の『ニッポン大音頭時代』、編著書に『大韓ロック探訪記』『GLOCAL BEATS』など。現在新刊を準備中。
http://mikiki.tokyo.jp/articles/-/14108


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