先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

アイヌ民族ら、議場で舞う

2017-09-14 | アイヌ民族関連
朝日新聞 2017年9月13日09時15分
■象徴空間設置控え
 道議会の議場で12日、恒例の議場コンサートが開かれた。1994年に始まり、42回目。民族共生象徴空間の設置を2020年に控え、今回はアイヌ民族の音楽や舞踊が披露された。アイヌ民族に伝わる竹製の楽器ムックリの演奏や口承文芸ユカラなどのほか、札幌ウポポ保存会のメンバーらが、古式舞踊を披露。議場や傍聴席から手拍子が起こり、踊りを盛り上げた。
 (長谷川潤)
http://digital.asahi.com/articles/CMTW1709130100001.html?_requesturl=articles%2FCMTW1709130100001.html&rm=150

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議場でアイヌ舞踊

2017-09-14 | アイヌ民族関連
読売新聞2017年09月13日

 道議会の議場で12日、アイヌ民族の伝統舞踊などが披露された。
 アイヌ民族に関する国立施設「民族共生象徴空間」が2020年、白老町に開設されるのにちなんで、開催された。
 アイヌ民族の女性らが伝統楽器のムックリを奏で、叙事詩「ユーカラ」を節をつけて語った。アイヌ古式舞踊などの伝承活動をしている札幌ウポポ保存会のメンバーらは、剣の舞や輪踊りなどを披露した。
 傍聴席で鑑賞した札幌市北区の主婦横谷和美さん(64)は「心や家族、自然などを表現していてアイヌ文化を身近に感じた」と話していた。
http://www.yomiuri.co.jp/hokkaido/news/20170913-OYTNT50149.html

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木彫り熊 再び脚光…「若者、外国人には新鮮」

2017-09-14 | アイヌ民族関連
読売新聞 2017年09月13日

札幌市資料館で開かれている「北海道の木彫り熊」展
 北海道の土産物として全国的に知られていながら、ここ数十年は脇役になっていた熊の木彫りが、再び脚光を浴びている。札幌市など道内各地で展覧会が開かれ多くの見学者が足を運んでいるほか、主にアイヌが製作している木彫り熊を買い求める客が増えている土産物店も出ている。
 「うわ、迫力あるなあ」「これ、かわいいね~」。札幌市中央区の市資料館で開かれている「北海道の木彫り熊展」(10月1日まで)には連日、見学者が絶え間なく訪れ、展示されている熊を楽しげに鑑賞している。
 出品されているのは、市内在住の造形作家、山里稔さん(73)のコレクションを中心に約300点。ネットオークションや骨董こっとう店で集めたもので、多くは土産物として製作されたものだ。
 昭和40年代頃までは、全国の多くの家庭で北海道の土産物として、熊の木彫りが玄関のげた箱やテレビの上などに置かれていたが、マンションの普及といった住宅事情の変化や大量生産による商品の粗悪化などによって急速に廃れていった。
 「北海道の貴重な文化遺産が失われる」と危機感を抱いた山里さんは、2010年頃から収集を始め、3年前にそれらを紹介する写真集「北海道 木彫り熊の考察」を出版。これが木彫り熊が見直される一つのきっかけとなった。
 木彫り熊を集めた展覧会は今年、八雲町木彫り熊資料館や平取町・二風谷工芸館、旭川市・川村カ子ネトアイヌ記念館で相次いで開催され、それぞれ好評を博した。9月26日からは平取町・沙流川歴史館で「クマの意匠展」、10月14日からは、JR札幌駅のアイヌエカシ(長老)像を制作した木彫家、藤戸竹喜さんの作品を紹介する展覧会が札幌芸術の森美術館で開かれる。
 土産物についても、小物を中心に関心が徐々に高まっている。
 アイヌの木彫りを扱う北都工芸社(旭川市)の担当者は「ここ数年、小さな熊は割と出るようになってきた。若い人や中国、韓国からの観光客には新鮮なようだ」と説明する。新千歳空港で土産物店を営む耕人舎(千歳市)も「脱臭も兼ねた黒墨製の小物は売れている」としている。
 一方で、ブームだった昭和30~40年代に比べると熊を彫れる職人の数が極端に減っており、販売できる大きな木彫り熊が少なくなっていることが悩みになっている。ネットオークションでは、昔のものが骨董品としての価値が見直され、数年前の数倍から10倍の値段で取引されているという。
 こうした現象について、八雲町木彫り熊資料館の大谷茂之学芸員は「アイヌ文化への関心の高まりも影響している」と分析。北海道大アイヌ・先住民研究センターの山崎幸治准教授も「最近のアイヌの木彫り師の中には芸術性の高い作品を作る人が少なくない。その土台となった、土産物の木彫り熊はもっと注目されていい」と期待している。
http://www.yomiuri.co.jp/hokkaido/news/20170913-OYTNT50158.html

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踊りや歌で絆深める 苫小牧うぽぽとマオリ族が文化交流

2017-09-14 | アイヌ民族関連
苫小牧民報2017/9/13配信

うぽぽの会員と共に、アイヌ民族の衣装に身を包み、マオリ族に伝わる歌を披露したジョンさん(右から2人目)とジュリーさん(右)
 苫小牧のアイヌ文化継承グループ、苫小牧うぽぽ(佐々木義春会長)は12日、苫小牧市矢代町の生活館でニュージーランドの先住民マオリを迎えた文化交流を行った。互いに伝統舞踊や歌を披露し、民族同士の絆を深めた。
 1996年に発足した苫小牧うぽぽは、98年からマオリとの交流を続けている。今回はネーピア市のジョン・トーマスさん(59)、ジュリー・マーガレットさん(49)夫妻が来苫。うぽぽの会員25人の前で、「ハカ」と呼ばれるマオリ戦士の踊りや、ひもの先端に白いボールのような物を付けた「ポイ」、矢に似た木製の「タイアハ」といった儀式に用いる道具の使い方を紹介するなどした。
 うぽぽの会員も、アイヌ民族の衣装で「チャピヤク」といった踊りや座り歌を披露し、歓迎した。最後はジョンさんとジュリーさんもアイヌの民族衣装をまとって全員でマオリの歌を合唱したり、踊ったり。文化や言葉の壁を越え、和気あいあいと交流していた。
 ジョンさんは「それぞれの文化への情熱を感じた。幅広い世代の人たちと交流できてよかった」と笑顔。ジュリーさんは「復活したマオリ文化を見てアイヌ文化の活性化につなげてもらえたら」と語った。
 佐々木会長は「マオリ族の文化伝承への取り組みから学ぶところは多い。良いところを吸収し、自分たちのアイヌ文化の継承活動に生かしたい」と話した。
 13日も夫婦で錦岡小学校、啓北中学校を訪れて児童、生徒にマオリ文化を紹介したほか、岩倉博文苫小牧市長を表敬訪問。14日以降も平取中や千歳末広小などで子どもたちと交流を重ね、18日に帰国する。
https://www.tomamin.co.jp/news/main/12155/

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自由のためにすべてを捨てた北欧トナカイ遊牧民の少女の物語『サーミの血』

2017-09-14 | 先住民族関連
webDICE2017-09-13 19:20
「サーミ人は親から“タフになれ”“泣くな”と教育されます。だから主人公の少女も強いのです」

2016年東京国際映画祭のために来日したアマンダ・シェーネル監督(左)、主演のレーネ=セシリア・スパルロク(右)
9月16日(土)より、新宿武蔵野館、アップリンク渋谷ほかにて公開となる、映画『サーミの血』。本作は、北欧スウェーデンの美しい自然を舞台に描かれるサーミ人の少女の成長物語であり、差別に抗い生き抜く姿に心打たれる感動作である。サーミ人とは、ラップランド地方、いわゆるノルウェー、スウェーデン、フィンランドの北部とロシアのコラ半島でトナカイを飼い暮らし、フィンランド語に近い独自の言語を持つ先住民族。映画の主な舞台となる1930年代、スウェーデンのサーミ人は他の人種より劣った民族として差別された。
昨年の東京国際映画祭に出品され、審査委員特別賞と最優秀女優賞をダブル受賞。webDICEでは、その際に来日したアマンダ・シェーネル監督と主演レーネ=セシリア・スパルロクに話を聞いた。
単なる作り話ではなく、自分の一族の年長者たちから発想を得た部分が大きい
──あなたのお父さんはサーミ人で、お母さんはスウェーデン人だそうですね。
アマンダ・シェーネル(以下、シェーネル):そうです。言語について言えば、スウェーデン人になりたかった祖父母がサーミ語を話すことをやめてしまったので、家ではサーミ語を話すことはありません。学校の母国語の授業で、サーミ語を読むことはしましたが。でも、父方の家族のほとんどは今もトナカイ猟師なので、私も親戚の家でトナカイを屠畜するところなどを見て育ちました。あと、父が(ウメオ大学の)サーミ研究センターに勤めている関係で、サーミ人が集まる大きなお祭りを小さい頃から手伝ったりしていました。そのお祭りは、サーミの芸術家による作品展示や戯曲の上演などもあって、サーミ文化を世界に紹介する催しでもあります。
──すると、この映画は事実をもとにしている部分もあるのですね。
シェーネル:はい。単なる作り話ではなく、私の一族の年長者たちから発想を得た部分が大きいのです。存命している老齢の親類の中には、自分もサーミ人なのにサーミを嫌う者がいます。つまり、アイデンティティを変えた者と、留まった者との対立が、私の一族の中にまだあるのです。両者は互いに話をしません。それと、数年前に祖父母と、彼らの兄弟姉妹や彼らと同じ寄宿学校に行った人たちをインタビューしました。その時に聞いた話も、この映画の中に生かしました。映画で描かれていることの中には、サーミの血を引くものなら誰でも、今も実際に体験することがあります。例えば、パーティーでヨイクを唄わされることなど、私もよくあります。

エレ・マリャ役のレーネ=セシリア・スパルロクは、2016年東京国際映画祭で最優秀女優賞を受賞

タイトルに“血”という言葉を入れたのは、思春期の少女の可愛らしさより、残忍でヒリヒリするような側面を伝えたかったから
──主人公エレ・マリャは、単にスウェーデン人に同化したかったのではなく、自分の人生を自由に生きたかったように感じました。
シェーネル:同化はあくまで制度の一部であって、彼女がすべてを捨てる決断をした理由は、今の場所にいることが耐えられない、自分のルーツ以外への切望、といった思いの積み重ねもあったと思います。何もかもから離れ去るなどという辛く困難なことは、相当に強い意志がないとできませんから。私が掘り下げたかったのは、エレ・マリャがこの世界で誰になれるか、自分の居場所をどうやって見つけられるかでした。
──エレ・マリャは典型的なサーミ人というより、どちらかというと特別なサーミ人だったのではないかと思うのですが、なぜタイトルを『サーミの血(Sami Blood)』にしたのですか?
シェーネル:おっしゃるとおり、私は彼女についての映画を作りたかったわけで、サーミ人についての映画にしたかったのではありません。確かに衣装や小物などの細部は、サーミの血を引く人たちが見れば本物か嘘かわかるので忠実性が大事でしたが。サーミ文化を学ぶ教育映画ではないので、当初しばらくは、『私は今や別人(I am another now)』というタイトルにしていました。「別人になってしまったから家に帰るのは難しい」という彼女の妹へのメッセージです。
でも、それより色んな質問を誘発するタイトルの方がやっぱりいいなと思ったんです。『サーミの血』と聞くと、その血にどんな意味があって、どんな重要性があるのか、人からどう見られるのか、という疑問が沸きますよね。私自身、普段からしょっちゅう、どれだけサーミの血を引いているのかと質問されて、「それ関係あるの?」と聞くと「ある」と言われますし。それと、タイトルに“血”という言葉を入れたのは、残忍でヒリヒリするような側面を伝えたかったからです。少女の成長物語ではあるけれど、可愛いすぎるタイトルや、『私は今や別人』のような詩的なタイトルにはしたくなかった。
アイヌについてよく知らない日本人が多いと聞いたが、スウェーデン人の多くもサーミのことをよく知らない
──Reindeerは日本語でトナカイと言いますが、それはアイヌ語に由来しているといいます。アイヌについてご存じですか?
シェーネル:はい、知っています。
──サーミとアイヌの状況はよく似ています。
シェーネル:そうですね。アイヌについてよく知らない日本人が多いと聞きましたが、それも似ています。スウェーデン人の多くはサーミのことをよく知らない。サーミについて学校で習うのは、教科書に出てくる1行だけです。この映画のパイロット版(『Stoerre Vaerie(Northern Great Mountain)』という短編)を作った時もいろんな国で上映後に必ず、観た人から「これは私自身についての映画です」と話しかけられました。
──どの国や文化にも差別はあり、普遍的な問題ですね。スパルロクさんは、エレ・マリャのどこが好きで、どこが嫌いですか?
レーネ=セシリア・スパルロク(以下、スパルロク):彼女が自分のやり方をつらぬくところが好きです。それから、妹を守るところも。故郷を離れるのはいいと思わなかったけれど。
シェーネル:登場人物たちについて、キャストと客観的に話し合うことはなかったですね。私が決めて限定したくなかったし、俳優たちに役を育てていってほしかったので。素人が多かったのですが、彼らは役にたくさんのものを加えてくれました。レーネにしても、妹のミーアにしても、生き生きとした存在感が出ていると思います。
ノルウェーでは同化が進んだ80年代以降は、サーミであることを誇りに思う傾向が強くなった
──スパルロクさんは、現在なぜエレ・マリャのように街に出ず、村に留まっていることを選んだのですか?
スパルロク:ノルウェーでは同化が進んだ80年代以降は、サーミであることを誇りに思う傾向が強くなったと思います。
──スパルロクさんはノルウェー国籍のサーミ人なんですか?
スパルロク:片親がノルウェーのサーミ人、片親がスウェーデン人で、住んでいるのはノルウェーです。
シェーネル:サーミはフィンランドとロシアにもいますが、南部サーミ人が住むのはノルウェーとスウェーデンです。
──監督はコペンハーゲン在住ですね。
シェーネル:7年前にスウェーデンからコペンハーゲンに引っ越しました。仕事のために住んでいますが、週末はパニックになります。自然がなくて、1人になれる場所がないので。
──スパルロクさんは街に住みたいとは思わないですか?
スパルロク:街は好きですが、引っ越そうとは思わないです。
シェーネル:トナカイ放牧は、途中で止められないんです。常にやることがあって。
スパルロク:そう、放っておくことはできない。
──スパルロクさんが東京にいる間は、誰がトナカイの世話をしているんですか?
スパルロク:両親と姉と、私の代わりに私のボーイフレンドがやってくれています。
──家族で何頭のトナカイを飼っているんですか?
スパルロク:その質問は、「あなたはいくら貯蓄を持っていますか?」と聞かれているのと同じなので、答えられません。
──あぁ、すみません。
シェーネル:レーネは最初、東京には行かないと言っていたんです。トナカイの世話があるから。
スパルロク:はい。でも、両親が「行ってきなさい」と応援してくれて。
▼エレ・マリャ役のレーネ=セシリア・スパルロクのinstagramより
映画に出てくるサーミ人は全員本物のサーミ人
──監督はどうやってスパルロクさんをキャスティングしたんですか?
シェーネル:撮影の2年前からキャストを探し始めました。私自身、北部サーミ語がわからないので、南部サーミ語で作るつもりで南部サーミのネイティブを見つけたいと思っていたんです。サーミ語は9つあって、話す人口が一番多いのは北部サーミ語です。南部サーミ語は9つの中でも少数で、ネイティブスピーカーは500人くらいしかいませんが、流暢に話せる人はもっといると言われています。南部サーミ人で、できれば姉妹で、トナカイ遊牧のこともわかっていて、演技ができて、という子を見つけるのは、絶対無理だろうなと思っていました。見つけられなければ、北部サーミの子に南部サーミ語を覚えてもらうしかないだろうと。でも、幸運にも、サーミ人の共同プロデューサーが、「ぴったりの姉妹がノルウェーにいるよ」と教えてくれたんです。
──老年のクリスティーナ役の方はサーミ人ですか?
シェーネル:そうです。彼女もトナカイ遊牧民です。彼女は画家でもあって、サーミ・コミュニティで知らない人がいないくらいの有名人です。スウェーデン映画でたまにサーミ人ではない俳優がサーミ人を演じていますが、そうはしたくなかったので、この映画に出てくるサーミ人は全員本物のサーミ人です。年長のサーミ人に出演を依頼するのは、やや大変でした。彼らにとって映画や写真は、民族学的な資料や人種調査のために撮らせてくれと、外国人が頼んでくることがほとんどなので、私たちに対しても懐疑的だったからです。それは、もっともなことだと思います。だから、私やプロデューサーがどこの家族出身であるかを説明して納得してもらいました。
──スパルロクさんは完成した映画を観てどうでしたか?
スパルロク:2回観ましたが、自分をスクリーンで観るのに慣れていないから、「何やってるんだろう」と恥ずかしくなりました(笑)。妹が泣くシーンでは泣いてしまいました。私自身、寄宿学校に行くために家を離れなければならず、辛かった時の状況と重なって。
──オファーがあったらまた映画に出演したいですか?
スパルロク:さぁ、どうでしょう……。楽しかったし、もしかしたら、また出るかもしれません。でも、トナカイ放牧も続けたいと思ってるので、両立できたらいいです。ずっとトナカイ放牧で育ってきたので、その暮らしをやめてしまうと、多分、自分じゃなくなる気がすると思うんです。
シェーネル:主人公がなぜこんなに強いのか、とよく聞かれるのですが、サーミ人は、タフであるように親から教育されます。寄宿学校に入るのも強くないとダメだし、弱いといじめられるし。トナカイ放牧業も、ケガや死亡事故が多い、最も危険で過酷な仕事のひとつですから。撮影前、レーネとミーアの二人から個別に、「台本に泣くシーンがあるけど、私は涙は出ないと思う」と言われました(笑)。当時、ミーアはまだ11歳でしたけど。私もトナカイ放牧で育った父から、よく「泣くな」「涙はただの目の汗だ」と言われました。
聞き手/浅井隆(アップリンク)
2016年11月2日、アップリンク渋谷にて

アマンダ・シェーネル Amanda Kernell
1986年、スウェーデン人の母親とサーミ人の父親の元にスウェーデンで生まれる。2006年以降、数本の短編映画を監督。2013年、デンマーク国立映画学校の監督学科を卒業。『サーミの血』(2016)のパイロット版である短編『Stoerre Vaerie』(2015)は、サンダンス映画祭でプレミア上映され、またヨーテボリ国際映画祭2015の短編観客賞、ウプサラ国際短編映画祭2015の最優秀短編賞など、いくつかの賞を受賞している。
レーネ=セシリア・スパルロク Lene Cecilia Sparrok
1997年、ノルウェー生まれ。サーミ人。『サーミの血』(2016)が映画初出演。ノルウェーのヌール・トロンデラーグ県で、家族とトナカイの飼育に従事している。南サーミ語を話せる俳優を探していたアマンダ監督にその才能を見出される。

映画『サーミの血』
2017年9月16日(土)より、新宿武蔵野館、アップリンク渋谷ほか全国順次公開
1930年代、スウェーデン北部のラップランドで暮らす先住民族、サーミ人は差別的な扱いを受けていた。サーミ語を禁じられた寄宿学校に通う少女エレ・マリャは成績も良く進学を望んだが、教師は「あなたたちの脳は文明に適応できない」と告げる。
そんなある日、エレはスウェーデン人のふりをして忍び込んだ夏祭りで都会的な少年ニクラスと出会い恋に落ちる。トナカイを飼いテントで暮らす生活から何とか抜け出したいと思っていたエレは、彼を頼って街に出た――。
監督・脚本:アマンダ・シェーネル
音楽:クリスチャン・エイドネス・アナスン
出演:レーネ=セシリア・スパルロク、ミーア=エリーカ・スパルロク、マイ=ドリス・リンピ、ユリウス・フレイシャンデル、オッレ・サッリ、ハンナ・アルストロム
配給・宣伝:アップリンク
(2016年/スウェーデン、ノルウェー、デンマーク/108分/原題:Sameblod)
公式サイトhttp://www.uplink.co.jp/sami/
http://www.webdice.jp/dice/detail/5477/

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新国立競技場の型枠、熱帯木材使わないで NGOが要請

2017-09-14 | 先住民族関連
朝日新聞 2017年9月13日15時52分
 2020年東京五輪・パラリンピックの主会場になる新国立競技場建設をめぐり、15カ国の環境NGO47団体が、国際オリンピック委員会(IOC)と東京大会の組織委員会などに、熱帯木材を使わないことなどを要請する公開書簡を送った。コンクリートを固める型枠の合板に、伐採された現地で先住民族の権利が侵害されたり、自然破壊で環境に悪影響が出たりしている恐れがある熱帯木材が使われているとしている。
 新国立競技場は木を多用した設計で約2千立方メートルの木材が使われる。事業主体の日本スポーツ振興センター(JSC)は、軒庇(ひさし)と屋根集成材は適切な管理と認証された国産木材を使う方針。だが、これまでに計5万8千枚使われた型枠合板はその方針の対象外だ。
 建設現場を監視していたNGOが4月、乱伐で先住民族との間で訴訟が多発しているマレーシアのサラワク州の伐採企業「シンヤン」が製造した型枠合板を見つけ、JSCに調査を求めてきた。熱帯木材を使わないよう求めるインターネット署名は世界で14万人分集まったが、調査など対応がされていないとして公開書簡を送ったという。
 公開書簡に名を連ねたFoEジャパン理事の三柴淳一さんは「環境破壊や地域社会に影響がない木材かどうか確認するのは、最低限の責任。新国立競技場は大会後も残るレガシー(遺産)。その建設で持続可能性に疑問が持たれることは残念」と話す。
 公開書簡に対し、JSCは「組織委員会とも協議しながら対応を検討していく」、組織委員会は「内容について確認中」としている。(神田明美)
http://www.asahi.com/articles/ASK985TZMK98ULBJ00N.html

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悔しさにじむ関係者 自治会、鉄格子設置を検討[チビチリガマ損壊]

2017-09-14 | ウチナー・沖縄
琉球新報2017年9月13日 09:59
 沖縄戦で住民が「集団自決」(強制集団死)に追い込まれたチビチリガマが無残な形で荒らされた事態を受け、地元住民や戦争体験に詳しい関係者からは「人の心を持つ者のすることではない」「死者は(沖縄戦、30年前の破壊事件、今回で)3度殺されたことになる」など、やり場のない怒りの声が聞かれた。
 地元の波平自治会の知花安友会長(59)は現場を確認し「遺族会が毎年慰霊祭を行い、区民にとっても(犠牲者を)静かに弔うための大切な場所なのに、人の心を持っている者のすることではない」と悔しさをにじませた。「出入りに許可が必要な形にすることなども考えなければならないかもしれない」と入り口への鉄格子設置も検討する考えを示した。
 1983年にチビチリガマを調査し、実相を明らかにしたノンフィクション作家の下嶋哲朗さん(76)=東京都=は「(87年当時に)平和の像を破壊した右翼の1人の父は、当時の遺族代表だった比嘉平信さんの元へ『自分も沖縄戦の生き残りだ』と謝りに来ていた。比嘉さんは『死者は2度殺された』と話していた」と振り返る。チビチリガマに関し「過去を知り、現在の姿から未来を想像する象徴的な場所だ。2度、3度と殺された姿を保存し見せていく必要がある」と強調した。
 チビチリガマを描いた「沖縄戦の図」などを展示する佐喜真美術館の佐喜真道夫館長(71)も「今回で3度殺されたと言える。『沖縄の人間なら何度殺してもかまわない』という差別的な思いが感じられ不気味だ」と語る。暴力行為の背景に関し「沖縄戦の事実をねじ曲げ、辺野古への新基地建設を強行する政府の姿勢がこのような暴力行為を生む。歴史ときちんと対面しなければ、暴力はまん延していくばかりだ」と訴えた。
    ◇    ◇
チビチリガマ 読谷村波平にある自然壕。1945年4月の沖縄戦で米軍が上陸したことに伴い、周辺の住民140人が避難。4月2日、米軍の投降に応じずに83人が「集団自決」(強制集団死)に追い込まれた。事実は長い間表に出なかったが、83年に作家・下嶋哲朗さんや住民による調査で全容が明らかになった。
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-574257.html

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「3度殺された」 散らばる遺骨・遺品、千羽鶴…反戦平和を冒瀆[チビチリガマ損壊]

2017-09-14 | ウチナー・沖縄
琉球新報2017年9月13日 09:42

全国から届いた千羽鶴も被害を受けた=12日午後、読谷村波平のチビチリガマ
 【読谷】暗闇を明かりで照らすと、粉々になった瓶のガラス片や折り鶴が無残にも散らばっている。「ミルクユニガティ ムルシラシドゥル チビチリガマ(平和な世を願い、みんなに伝えていこう チビチリガマ)」。「チビチリガマ」の歌碑は引き抜かれ、ガマの入り口に建立された「平和の像」の上に投げ出されていた。1987年11月にも平和の像が破壊された。ガマを再び襲った暴力に、チビチリガマの遺族会の与那覇徳雄会長は「初代会長の比嘉平信さんは『遺族は2度殺された』と話したが、今回で3度殺された」と唇をかみしめた。
 チビチリガマは、住民が殺し合いに追い込まれた「集団自決」(強制集団死)の悲劇が起きた場所。遺族にとっての墓所でもあり、平和を祈る場でもある。ガマの中は、戦中に住民が持ち込んだ水やガソリンが入った瓶、皿や茶わんなどの遺品と共に、複数の小さな遺骨も1カ所に集められていた。瓶の破片の傍らに遺骨も見受けられた。与那覇会長は「生き延びた人も苦しんだガマだ。遺族も長年、語れなかった」と語る。第一発見者で僧侶の知花昌一さん(69)=読谷村=は、変わり果てたガマの姿に「ひどいな…」と何度もつぶやく。「平和に対する冒瀆(ぼうとく)だ」と言葉を振り絞る。
 午後1時ごろ、通報を受けた嘉手納署の署員が現場を確認した。チビチリガマの入り口に張られた規制線。高校時代の同級生と足を運んだ金城巖(いわお)さん(69)=沖縄市=は「ここを訪れることで分かることがある。反戦平和を考えるために必要な場所をけがされたのは、憤りを感じる。絶対に許せない暴挙だ」と規制線を見つめた。
 規制解除後、地域研究の授業の一環で県外から訪れた学生は、知花さんの案内を受けた。学生の1人は「まさかこんなことになるとは。ここは荒らしていい場所ではない」と言葉を詰まらせた。
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-574248.html

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琉球新報2017年9月13日 06:00

2017-09-14 | ウチナー・沖縄
遺骨、遺品荒らされる 87年に右翼団体も破壊 読谷

荒らされていたチビチリガマ=12日、読谷村波平
 【読谷】沖縄戦で住民が「集団自決」(強制集団死)に追い込まれた、読谷村波平の自然壕「チビチリガマ」の内部や入り口が、何者かによって荒らされているのが12日、見つかった。チビチリガマの証言収集などに長年携わっている元村議の知花昌一さん(69)が知人を案内するため、同日午前11時ごろに訪ねた時に発覚した。ガマ内部の遺骨や沖縄戦当時の瓶やつぼといった遺品などが荒らされていた。遺族らは「言葉が出ない。ひどすぎる」と悲しんだ。
 チビチリガマは、1987年11月にも彫刻家金城実さん(79)が制作した「世代を結ぶ平和の像」が右翼団体員に破壊されたことがある。
 遺品の急須などが割られていたほか、平和学習で県内外から訪れた中高生らがささげた折り鶴は引きちぎられ、ガマの入り口にある「世代を結ぶ平和の像」の石垣は破壊されていた。彫刻家の金城さんが作詞したチビチリガマの歌の碑や、立ち入り禁止の看板も引き抜かれ倒されていた。
 チビチリガマの遺族会によると、5日までは荒らされた様子はなかったという。「-平和の像」や香炉は残されていた。
 遺族会の与那覇徳雄会長は遺品や小さい骨がある場所まで荒らされたことについて「残された人にとっても侮辱だ。骨にも手を掛けられていて、ひどすぎる」と憤り唇を震わせた。
 石嶺伝実・読谷村長は同日午後、現場を訪れ「ずっと(沖縄戦の)継承事業をやってきた。常識では考えられない行動だ。遺族の悲しみを推し量ると残念だ」と述べた。
 嘉手納署が午後に現場を確認した。遺族会は村と相談しながら被害届を出すかどうか検討する。
 チビチリガマは95年に遺族らによって像が再建された。遺族会によると、4~5年前にも香炉が破壊されたことがあった。
   ◇    ◇
 チビチリガマ 読谷村波平にある自然壕。1945年4月の沖縄戦で米軍が上陸したことに伴い、周辺の住民140人が避難。4月2日、米軍の投降に応じずに83人が「集団自決」(強制集団死)に追い込まれた。事実は長い間表に出なかったが、83年に作家・下嶋哲朗さんや住民による調査で全容が明らかになった。
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-574071.html

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チビチリガマが破壊 内部荒らされる 遺骨や遺物、折り鶴も 遺族「ひどすぎる」

2017-09-14 | ウチナー・沖縄
琉球新報2017年9月12日 17:45

荒らされたチビチリガマに眠る、鎮魂に祈りを捧げる知花安友波平自治会長=12日午後2時半ごろ、読谷村
 【読谷】沖縄戦で住民が「集団自決」(強制集団死)に追い込まれた読谷村波平のチビチリガマが、12日午前までに荒らされていたことが分かった。チビチリガマの証言収集などに長年携わっている知花昌一さんが同日午前11時ごろに知人のジャーナリストを案内した時に発見した。ガマ内部の遺骨が集められている部分も荒らされていた。遺族会によると、旧盆の5日までは荒らされていなかったという。
 ガマに残されていた遺物のびんやつぼ、急須などの遺物も割られていた。折り鶴が引きちぎられ、ガマの入り口にある「世代を結ぶ平和の像」の石垣が破壊されていた。立ち入り禁止の看板も倒されていた。
 遺族会の与那覇徳雄会長は「何のために。動機が分からない」と唇を震わせた。「今回は骨にも手を掛けられている。以前にもあったが今回はひどすぎる」と憤った。
 発見した知花さんは、内部の様子を見て「入れ歯も集められていた場所から散らばっている。(遺物の)びんやつぼ、包丁もねじ曲げられている」と説明した。
 彫刻を作った金城実さんは「誰がこんなことを。許しちゃいけない」とつぶやいた。
 チビチリガマでは、1987年11月にも平和の像が破壊され、遺族らによって像が再建された。【琉球新報電子版】
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-573674.html

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