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銀のしずく記念館 知里幸恵の“森”思い息づく

2022-07-18 | アイヌ民族関連
北海道新聞07/17 17:30 更新
 登別川のほとり、住宅地を抜けた森のなかに「知里幸恵 銀のしずく記念館」はある。ここは「銀の滴降る降るまわりに…」の一節で知られる「アイヌ神謡集」の著者、知里幸恵(1903~22年)の生地だ。

19歳で夭逝(ようせい)した明治・大正期のアイヌ文化伝承者、知里幸恵(手前左)の歩みをたどる「知里幸恵 銀のしずく記念館」(植村佳弘撮影)
 幸恵は6年間を登別で過ごし、アイヌ語話者の祖母モナシノウクから壮大なカムイユカラ(神謡)を聞いて育った。6歳で旭川へ移り、アイヌ語を探究していた言語学者の金田一京助と15歳で出会って、ユカラ(口承文芸)の研究に一生をささげると決めた。
 アイヌ神謡集の出版のため、病を押して18歳で上京した幸恵は校正を終えた日の夜、永眠する。19歳だった。直前に著し、神謡集の序文にあたる「序」には、近代化でアイヌ民族の暮らしや言葉が失われていく悲しみと、アイヌの物語を伝え残したいという強い思いがにじむ。
 幸恵の遺志はやがて、めいの横山むつみさん(故人)に引き継がれる。横山さんは2002年に草の根の募金を始め、8年後、登別市登別本町に銀のしずく記念館を建てた。胆振管内白老町のアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」の開業よりも10年早い。
 初代館長となる横山さんと手を携え、ボランティアが運営する記念館の設立に尽力した北大名誉教授の小野有五さん(74)は言う。「建ってからも記念館が草の根の活動を貫いているのは、幸恵の生涯に共感し、心を寄せた人たちの手でアイヌ文化を継承したいと思うからなのです」
 アイヌ神謡集の序は、記念館の呼びかけに応じるなどした人たちによって英語やフランス語、ヒンディー語など31の言語に翻訳された。そのなかには、自らの言葉や文化が近代化で失われつつある先住民族もいる。
 幸恵が亡くなって今年で100年になる。その願いと思いは記念館に宿り、時を超えて語り継がれている。
■生きた証し 豊富な史料で
(写真説明)胆振管内白老町の木彫家能登康昭さんが制作した、高さ140センチほどの幸恵の等身大の木像。2010年の「銀のしずく記念館」の開館を祝って寄贈された。能登さんはアイヌ神謡集の「序」を読み、生涯をかけてアイヌ文化の継承に尽くした幸恵に強く共感。旧アイヌ民族博物館から譲り受けた丸木舟用のセンノキの廃材を用いた。着物や帯の精巧さ、思慮深く表現された瞳が特徴で、10カ月の制作期間の半分以上を顔に費やしたという。
(写真説明)自然豊かな北海道とアイヌをたたえた「序」から始まり、壮大な物語13編を収めた「アイヌ神謡集」の初版本は125ページの文庫本サイズで1923年(大正12年)、東京の郷土研究社から刊行された。言語学者の金田一京助、民俗学者の柳田国男、実業家の渋沢敬三の後押しを受けた。ユカラ(口承文芸)の研究に身をささげると決めた幸恵は神謡集の編集のため、18歳で金田一京助を頼って上京する。「私は書かねばならぬ、知れる限りを、生の限りを、書かねばならぬ」(22年6月1日)と日記にしたため、その3カ月後の9月18日、校正を終えた日の夜に亡くなった。
 「知里幸恵 銀のしずく記念館」は延べ約2500人からの寄付3200万円により2010年に誕生した。NPO法人知里森舎(ちりしんしゃ)が営み、登別や室蘭から手弁当で通うスタッフが幸恵の思いや人となりを伝えている。
 黄色い壁に覆われた木造2階建ての外観は、アイヌ民族の伝統的家屋「チセ」がモチーフになっている。登別に近い室蘭工業大で学んだ建築士、小倉雅美さん(札幌市)らが手掛けた。
 延べ178平方メートルの小さな記念館には、アイヌ神謡集の初版本、口承文芸のカムイユカラ(神謡)をローマ字で書きとめたノートの復刻版のほか、幸恵が金田一京助や両親に宛てた手紙、幼いころの写真など、幸恵の声が聞こえてきそうなゆかりの品も合わせて100点以上が収められている。
 6月下旬、檜山管内今金町から訪れた下田屋(しもたや)守さん(61)は幸恵の手紙をじっと眺めていた。「ひとりの少女が、たしかに生きていたんだと感じられます」。幸恵の弟でアイヌ語学者だった知里真志保、幸恵の遺志を継いでアイヌ文化の継承に尽くした伯母金成マツらも館内で紹介されている。
 記念館が建つ森には幸恵の生家跡があって、樹齢100年を超えるクリ、イチイの大木など約150種の植物が茂る。いくつかの木にはアイヌ語と和名を併記した札が添えられている。記念館に入ってすぐの大きな窓からも見えるその森は、幸恵の生きた世界とアイヌ民族の暮らしの豊かさを教えてくれる。
(写真説明)記念館の窓から望む「知里森舎の森」には約150種類の植物が育ち、幸恵の生家がある。オヒョウやギョウジャニンニクなどアイヌ民族が親しんだ植物のほか、エゾリスや鳥、シカなど野生動物も顔を見せる。造園業を起こした幸恵の父高吉が植えた本州原産の樹木もある。森と記念館は不可分の存在で、自然と生きたアイヌ文化を知るための森のフィールドワークも行われている。
(写真説明)幸恵の肖像が飾られた記念館の一角には、ときおり光の滴が降り注ぐ。高窓に対面する壁に丸い反射シールを張り、しずくの形に光を落とす。「アイヌ神謡集」の一節の「銀の滴降る降るまわりに」をイメージした仕掛けで、季節や時間によって出現するタイミングはまちまち。スタッフは「光のしずく」と呼んでいる。10~12月の午前中が見ごろ。
◇
「知里幸恵 銀のしずく記念館」の3代目館長で幸恵の親類にあたる木原仁美さん(47)と、記念館を運営するNPO法人知里森舎理事長の松本徹さん(68)に幸恵の魅力やアイヌ民族の文化を残す決意、記念館を支える人たちの思いを聞いた。
■アイヌ文化広く発信 銀のしずく記念館館長・木原仁美さん
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 登別に生まれ、東京で育った私は、銀のしずく記念館の初代館長で母親の横山むつみ(故人)に連れられて6歳から関東ウタリ会(東京)の集まりに参加していたので、自分がアイヌ民族であることは当たり前の感覚でした。
 母が2016年に亡くなり、ともに記念館の設立に尽力した父も19年に他界しました。両親がいなくなった記念館は「支え」を失ってしまうのではないかと心配していましたが、運営するNPO法人知里森舎側から3代目館長になることを勧められ、「できることをやろう」と決めました。
 アイヌ文化の振興は、アイヌ民族自身が関わることが理想です。知里幸恵のめいの娘の私が記念館の館長になることで活動に説得力が生まれるでしょう。ただ、私は幸恵さんについてまだまだ知らないことも多く、懸命に勉強中です。
 近年は人気漫画やアニメの影響もあって、アイヌ民族や文化について前向きなイメージをもつ人が増えており、アイヌ民族も自信を取り戻しています。実物史料が豊富な記念館を訪れてもらったり、私たちが記念館の魅力を発信したりすることで、アイヌ文化に興味を持つ人をもっと増やしたいですね。
<略歴>きはら・ひとみ 1974年、登別市生まれ、東京育ち。専修大を卒業してアイヌ文化交流センター(東京)に勤め、2016年からセンター所長代理。今年5月、所長代理との兼任で銀のしずく記念館長に就任した。
■担い手の輪、血縁越え NPO法人知里森舎理事長・松本徹さん
 口承で受け継がれた13編のカムイユカラ(神謡)をローマ字で記し、日本語に訳した「アイヌ神謡集」は、知里幸恵さんの才能を見いだした言語学者の金田一京助氏が「とこしえ(永久)の宝玉である」と表現したように、アイヌ語話者が残した最良のテキストとして評価されています。
 神謡集の「序」のなかで幸恵さんは、アイヌ文化の次なる担い手が現れることを望んでいます。幸恵さんは19歳で亡くなりましたが、伯母の金成マツ、幸恵さんの2人の弟高央(たかなか)と真志保が思いを継いでアイヌ語の伝承や研究に力を注ぎます。高央の娘の横山むつみさん(故人)が銀のしずく記念館を開き、その娘の木原仁美さんが今年5月、3代目の館長に就きました。
 幸恵さんの思いに共感する人たちは血縁者にはとどまりません。記念館を運営する知里森舎は50人の、「銀のしずく記念館 友の会」は600人のそれぞれ会員がいます。2代目館長の金崎重弥さん(77)もその一人です。
 私も11年から記念館にかかわっています。心の芯から興味深い、すてきだと思える魅力がアイヌ文化にはあるから、活動が続くのだと思います。(渡辺愛梨、高木乃梨子)
<略歴>まつもと・とおる 1954年、登別市生まれ。弘前大を卒業後、高校の社会科教諭となり、登別や室蘭などで勤務。2011年から記念館の活動に携わる。22年5月から現職。
◆「カムイユカラ」のラは小さい字

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/706882

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帯広市生活館改修へ アイヌの伝統舞踊や工芸品制作の部屋広く

2022-07-18 | アイヌ民族関連
十勝毎日新聞2022/07/17 10:24

来年度改修予定の帯広市生活館
 帯広市は、アイヌの人々の生活文化の向上と社会福祉の増進を目的とする市生活館(ふくろうの館、柏林台東町2)の改修に着手する。利用者のニーズを踏まえ、アイヌ伝統舞踊の練習や伝統工芸品の制作などの活動ができる部屋を広くし、利便性向上を図る。今年度は実施設計を行い、来年度改修する予定。
 同館は1998年に移転新築し、改修は初めて。鉄筋コンクリート造平屋で、面積は725平方メートル。会議室や調理実習室、教養娯楽室、和室などがある。
 年間利用者数は、新型コロナ流行前の2020年度は1万8482人だったが、感染拡大後の22年度は1万3061人。アイヌ民族の文化の伝承に関する事業や生活相談の他、地域のサークル活動などに利用されている。
 これまで大会議室に予約が集中し、アイヌ文化を伝承するための活動が十分に行えない状態だったため、改修で使用頻度が低い部屋を多目的に利用できるように間取りを変更する方針。市は今年度の6月補正予算に実施設計費など752万円を計上。国のアイヌ政策推進交付金を活用する。
 市地域福祉課は「アイヌの生活文化が着実に伝承され、地域の人との交流の促進により、アイヌ民族として誇りを持って生きられる社会づくりを目指したい」としている。(大海雪乃)
https://kachimai.jp/article/index.php?no=566134

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世界を牽引するアメリカ、その壮大な社会実験は本当に成功したと言えるのか

2022-07-18 | 先住民族関連
JBpress2022.7.17(日)奥山 裕子
いまだに白人に列を抜かされても文句を言えない人がいる国である現実

人種差別主義者の象徴の一つになったリー将軍像(写真:AP/アフロ)
 夫の海外赴任に同行してアメリカに移住した彼女は、全米48州を巡る旅に出た。そして、平凡な観光名所から、次第に誰も知らない辺境の地へと踏み込んでいく。砂漠の中に忽然と現れる朽ち果てたゴーストタウン、ネイティブ・アメリカンの居留地、迫害される黒人の歴史が展示される博物館、NPOの活動を通して接した各地の貧困層の人たちが口にする想像を絶する過酷で屈辱的な生活──。はたして、アメリカという国は、本当に裕福な先進国と言えるのだろうか。
『辺境の国アメリカを旅する 絶望と希望の大地へ』(明石書店)を上梓した、臨床心理士の鈴木晶子氏に話を聞いた。(聞き手:奥山 裕子、シード・プランニング研究員)
※記事の最後に鈴木晶子さんの動画インタビューが掲載されています。是非ご覧下さい。
──アメリカ中をどのように旅したのか、鈴木さんが日本で関わってきた活動も含めて教えて下さい。
鈴木晶子氏(以下、鈴木):20年ほど前から、生活困窮者をはじめ、さまざまな状況に置かれた方々を支援する活動をしてきました。
 その後、夫の海外赴任に同行してアメリカに行ったタイミングが、ちょうどトランプ大統領が就任した2017年で、家族で国内を旅するうちに、私の仕事柄もあって、人種問題と先住民のことが気になるようになったんです。特に、アフリカ系アメリカ人の人たちの差別の歴史や、迫害、そこに抵抗してきた足跡はとても興味深いものがありました。
──アメリカにおけるアフリカ系アメリカ人の置かれている状況について、どのようなことを感じましたか。
鈴木:アフリカ系アメリカ人の人たちは、本当に厳しい歴史を生きてきています。日本でも話題になったブラック・ライブズ・マター(アフリカ系アメリカ人の命と権利を守る運動)という大きな波は、「もう我慢できない」「もういい加減にしてくれ」という蓄積したものからきていると思うんですね。多くの人たちが、すごく諦めながら生きている。
 ワシントンDCの中心地で、キッチンカーに並んでいた時のことです。私たちの後ろに、黒人のおじいちゃんと小さな女の子が並んでいました。すると、白人の男性が何も言わずに黒人のおじいちゃんの前に入ってきたんです。私も夫もびっくりして、「ちょっと待って。後ろに2人並んでるよ」と言ったけれども、まるで誰もいないかのように白人男性は言うんです。
 その何日か前に、カフェに並んでいたミシェル・オバマ(オバマ元大統領の夫人)の前に、白人の人が入ってきて、「私たちの姿って見えないみたいにされているのよ」と動画で発信しているのを見たばかりでした。ワシントンDCで「ミシェル・オバマに気付かない人なんている?」と初めは思ったけれど、横入りしてきた人は並んでいる人の顔も見ていない。
 白人男性がこういう態度を取るのはアフリカ系アメリカ人の人たちを取るに足らない人だと思っているからでしょう。アジア人の私たちが無視されないのは、差別されていないのではなく、私たちが「お客さん」だからなのだと思います。
 そういう日々の蓄積の中で、アフリカ系アメリカ人の人たちは、きっといろんなことを諦めている。でも、ここは立ち上がらないといけないんだという時に皆が立ち上がっていく。その繰り返しの中で少しずつ歴史を変えていっているのかな、と感じました。きっとみなさん普段から差別されることに疲れてるのだと思います。
5000人を超える先住民女性の殺害及び失踪事件が報告されている現実
──ブラック・ライブズ・マターと同時に、アメリカの先住民ネイティブ・アメリカンのようなマイノリティに対する問題も社会に出てきたように感じます。アメリカにおける現代の先住民たちの生活について、鈴木さんは何を感じましたか?
鈴木:私がアメリカに渡った時は、いろいろなマイノリティ(少数民族)に光が当たり始めていた時期でした。
 人種・民族的迫害の歴史が少しずつ表に出て、マイノリティに関するエピソードを見聞きする機会はすごく増えてきています。
 例えば、コロナ禍において、先住民たちのコミュニティが大きな感染被害を受けていたことが分かりました。居留地の中に上下水道が整備されていない地域があるなど、感染予防のための衛生的条件は整っていなかったんです。
 アメリカは公で人の暮らしを支えていくという発想がとても乏しい国なんです。医療制度や住宅制度はとても複雑で、移民や英語を第一言語としない人たちにとっては大変な手続きになります。コロナ感染も、まさにアメリカ社会の不平等が如実に露呈したものです。
──2016年だけで、なんと5712件もの先住民女性の殺害及び失踪事件が報告されている、と書かれています。なぜ先住民がとりわけ狙われるのでしょうか。
鈴木:先住民が狙われるのはよく分かる気がします。先住民の人たちの貧困率はとても高く、アルコールや薬物の依存症も多いことが報告されているからです。そういう厳しい中で暮らしてくると、女性はターゲットになりやすい。日本でも、震災や災害の後、あるいはコロナ禍で社会が厳しくなった時に、必ず出てくるのが子どもへの虐待と女性へのDVです。
 日本では実際に虐待やDVに遭った時、被害者が逃げようとしても行く所がないのが現状です。今、若い女の子たちは、ネット上で知り合った人の家に泊めてもらうという形で性的な被害に遭うことが知られており、同じことは世界中で起こっています。
 アメリカに行く前、私はデリバリーヘルスの待機部屋で出張相談をやっていました。女性が性的なサービスをする仕事も、一時的に身を寄せる場所となっています。
 先住民の女性たちも、日本の女性たちと同様に、性的な人身売買やDV、性的な搾取が原因で被害に遭い、失踪したり殺されてしまったりという事件が発生しているのではないでしょうか。報告書を見て「どこの国も一緒だ」と感じました。
「リー将軍像」の撤去を巡り感じたこと
──先住民女性の失踪や殺害が多い状況を、改善していく方法はあるのでしょうか。
鈴木:アメリカは公的な制度の基盤がとても弱く、本当は公的なサービスを利用できる人たちの多くが利用できずにいる、という状況にあります。そのため、例えば、女性に何かがあって隣の州まで逃げたとしても、今まで貧困の中で生きてきた女性や女の子が公的な支援にたどり着くのは、ほとんど不可能です。
 先住民女性の状況を改善するには、先住民社会がより豊かになり、気持ち的にも追い込まれない状況が社会的にしっかり作られるという長い取り組みと、女性たちの支援を短期的に充実させていくという政策の両方を組み合わせ、粘り強くやっていくことではないでしょうか。
 少しずつ支援の手が増えてくるといいなと期待はしつつ、改善するには長い時間がかかる気がします。
──バージニア州中央部にある都市、シャーロッツビルにおけるリー将軍像の撤去を巡る事件は、トランプ前大統領が像の撤去に反対したこともあり、世界的に話題になりました。撤去を巡る戦いは、アメリカでどのような意味を持っているのでしょうか。
鈴木:白人至上主義が高まりつつある中で、リー将軍(南北戦争時に奴隷制維持を主張した)は人種差別主義者の象徴の一つになっています。
 リー将軍の銅像はあちこちの街にあるごくありふれた像で、シャーロッツビルにある像だけが特別な意味をもっていたわけではありません。しかし、像の撤去に抗議するためにアメリカ中から白人至上主義者が集まり、群衆が激突して白人女性が殺されてしまった。
 シャーロッツビルの事件現場に飾られたたくさんの花や掲げられた言葉、ごく普通のダイニングバーの店員さんが綴る多様性についての想いを見た時に、アメリカ社会が変わろうとする力と変わりたくない力のせめぎ合いを見た気がしました。その象徴がリー将軍像を巡る攻防なのです。
──一般的な観光旅行では決して立ち寄らない場所、アメリカ人でさえ行ったことがない大自然の中にある小さな町や村を訪れています。多くの人が知らない辺境でどんなことを感じたのでしょうか。
逃げてきた人に優しくないアメリカ
鈴木:日本でも流行った80年代後半の映画「バグダットカフェ」のモデルになった場所は、ものすごい寂れた、映画になっていなかったらもう絶対潰れていそうな古びたカフェでした。
 ほとんど跡形もなくなったゴーストタウンや先住民の居住地などがある街の寂れ具合は、私たちがイメージするアメリカと全く違います。本当に人々から忘れられたような場所で、衰退した街の様子に、絶望感や悲しみを感じたことを覚えています。
 同時に、「ここに人が暮らしてたんだ、ここで生きている人の人生はどんなものだったんだろう」と自然に興味が湧きました。というのも、日本でも、社会の中で見えない貧困といわれるような人たちの生きてきた道を聞きながら、日々を過ごしてきたからです。
 寂れた小さい街に住む人たちにも一人1票選挙権があり、その1票が国を形作ってトランプのような大統領が生まれる。そこにはどんなストーリーがあるんだろう。私はいつも人のストーリーから社会を見て物事を理解してきたので、皆が決して行かないような所で生きている人のストーリーを理解せずには、アメリカのことが分からないのではないか、という気がしました。
──鈴木さんはアメリカを、自由を求めて世界中から人々がやってくる世界の辺境のような場所で、壮大な社会実験のようだと評されています。改めて、アメリカがどのような国なのか教えて下さい。
鈴木:アメリカという国は、自由を謳って一つの国を作るという国の成り立ちからして、かなり実験的で特異な国です。移民に反対の人たちがたくさんいる反面、ずっと続いてきたアイデンティティの一つが世界の避難所なんですよね。とても両極端の国だなと感じます。
 人が流動的に世界中を移動していく時代の中で、アメリカには世界中から人が集まる。異文化の人が同じ所に住み始めたら、一体何が起こるんだろう、ということをずっと続けてきた国のような気がします。
 ビジネスにおいて、アメリカに行くことは、ある程度成功した人がさらなる成功を求めていくのが一つのパターンですよね。一方で、本当にやむにやまれずくる人たちもたくさんいます。助けを求めてやってくる人たちにとって、アメリカは決して優しい社会ではありませんが、アメリカにはそこに逃げていくという吸引力もある。本当に不思議な国ですよね。
──鈴木さんは長い間NPO活動に携わっています。世界一豊かな国アメリカの現実をどう思われているのでしょうか?
鈴木:民間の取り組みとしてすごく面白いものがアメリカにはたくさんありますが、本来、民間でやったらダメなものをNPOがやっているので、NPOとして勉強になる所があるようで参考にしてはいけないんだろうな、とも思います。
 アメリカは実力社会とよく言いますが、実際にはコネ社会なので、一部の人だけがお金もコネも資産も持っていて、申し訳程度に自分たちの権益を守るためにチャリティをしているように感じます。
 企業には給与と税金を支払う責任があるのに、支払わずに大儲けしながら、財団を作って少しだけ助成して自分たちは贅沢をする。そこに人間の身勝手さを感じています。(構成:高野歩)
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/71007

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春夏秋冬・絶景から踊りまで!一生に一度は行ってみたい北海道のお祭り5選

2022-07-18 | アイヌ民族関連
オマツリジャパン2022/07/17 09:00
今日7月17日は「北海道みんなの日(道みんの日)」です!そこで今回は、北海道の魅力を存分に味わえる、代表的なお祭りを5つ厳選してご紹介します。
※例年の内容を参考にご紹介しています。今年は規模や内容を縮小・変更、または中止の場合もあるため、詳しくは主催者からの情報をご確認ください。
北海道みんなの日とは
「北海道みんなの日」、愛称「道みんの日」は、北海道の歴史や文化、自然などがもつ価値を再確認し、北海道の未来を考える日として平成29年に制定されました。まだ歴史の新しい記念日なんですね。

7月17日が選ばれたのは、明治2年(1869年)に「北海道」の名付け親とされる松浦武四郎が、政府に「北加伊道」という名前を提案した日であるのが理由といわれています。松浦武四郎は、江戸末期から明治にかけて活躍した探検家で、6度に渡る蝦夷地(北海道)の探検を通じて、アイヌの人々とも交流を深め、詳細な記録を数多く残しました。
①函館港まつり(函館市)
間もなく開催される函館の夏の風物詩といえば、「函館港まつり」。例年8月1日から5日間にわたって開催されます。特に「函館港おどり」や「いか踊り」といった函館ならではの踊りが見られる「ワッショイはこだて」は迫力満点。2万人以上が参加する迫力あるパレードです。
また、初日である8月1日には約1万発の花火が打ち上がる道新花火大会も行われます。今回で第67回となる歴史ある花火大会は、函館市民のみならず多くの人々に愛されてきました。
2022年の函館まつりは新型コロナウイルスの影響により、規模を縮小して8月1日から4日までの開催予定です。詳しくは函館港まつり公式サイトなどでご確認ください。
②YOSAKOIソーラン祭り(札幌市)
札幌市では毎年6月頃に、「YOSAKOIソーラン」が開催されています。高知県発祥の「よさこい祭り」の鳴子踊りと、北海道民謡である「ソーラン節」の演舞を組み合わせたものです。鳴子を持って踊ることと、曲にソーラン節のフレーズを入れることだけがルールで、それ以外は自由。1992年6月に参加10チーム、参加者1000人、観客動員数20万人から始まりました。
今では毎年約200万人の観客が集まるこのお祭りは、北海道の初夏の風物詩の1つです。約3万人の踊り手が、札幌市内の各所に設けられたステージで力強い演舞を披露します。2022年も6月8日から6月12日の5日間、開催されました。
オマツリジャパンでは、魅力あふれるYOSAKOIチームにインタビューしていますので、ぜひご覧ください!
倭奏・下畑浩二氏インタビュー 人生の可能性を広げるYOSAKOIへ
かけがえのない「味」のある、よさこいへ!「國士舞双」代表・森田成潔氏にインタビュー 
天空しなと屋、井上昇氏インタビュー〈前編〉活動の道のり、よさこいを通じて伝えたいこととは?
天空しなと屋インタビュー〈後編〉~よさこいは民衆の心の躍動 心沸き立つものから明るい世の中へ
③氷瀑まつり(上川町)
北海道・層雲峡温泉では毎年1月末~3月中旬の間、氷瀑まつりが開催されます。氷瀑とは凍った滝のことで、カラフルにライトアップされた氷による絶景を楽しめるイベントです。
マイナス10度の氷点下で催されるため、参加の際は防寒対策が必須となりますが、会場でしか見られない幻想的な氷の展示物の数々は一見の価値ありです。2022年度は、1月29日~3月13日の間で開催されました。今から冬が待ち遠しいですね。
過去の現地からの詳しいレポートは下記をご覧ください。
北海道、層雲峡での氷瀑まつり!見所を服装やグルメと共に解説!最強寒波が迫る中の現地レポート!
④さっぽろ雪まつり(札幌市)
言わずと知れた北海道最大級の有名祭りといえば札幌市の「さっぽろ雪まつり」ですね!
市の大通公園を中心とし、巨大な雪像の数々が展示されることで全国的にも人気の高いイベントです。近年ではプロジェクションマッピングを導入するなど演出面も進化して、人気漫画・アニメとのコラボでも話題となりました。
会場は3つに分類されていて、雪像を楽しめる大通会場はもちろん、「すすきの会場」での氷像、「つどーむ会場」でのチューブスライダーなどのアトラクションもあります。ぜひ家族みんなで楽しみたいですね。
毎年2月の前半に行われますが2022年はオンライン開催となりました。来年こそは開催に期待しましょう。過去の現地レポートなどは下記からどうぞ。
さっぽろ雪まつり、今年の雪像は?2020年の目玉「ゴールデンカムイ」が札幌を彩る!
さっぽろ雪まつりが2020年も開催!いつからいつまで?開催概要をまとめました!
⑤松前さくらまつり(松前町)
松前町では、毎年4月下旬~5月中旬のあいだに「松前さくらまつり」が開催されます。松前公園の広い敷地内には約250種、1万本の桜が立ち並んでおり、松前城とセットで華やかな景色を目にできるでしょう。夜には松前城がライトアップされるため、昼とはまた違った景色を楽しめます。
お祭りの開催期間中は出店も出るため、桜だけでなくグルメも楽しめる点も魅力です。ちなみに、北海道ではお花見といえば桜の下でジンギスカンを楽しむのが常識だそうです。花より団子派の皆さんは、お酒を飲みながらジンギスカンに舌鼓を打つのもいいですね。
2022年は4月23日から5月8日まで開催されました。お祭りの見所をまとめた記事やお花見ジンギスカンについての記事は下記からご覧ください。
令和のスタートをお花見で!桜と北海道グルメが楽しめる「松前さくらまつり」をご紹介!
北海道民には「お花見ジンギスカン」が常識ってホント!?
まとめ
北海道では春から冬まで、年間を通して各地でさまざまなお祭りが催されています。北海道の大自然と人々のエネルギーのつまったお祭りの数々に、ぜひ足を運んでみてください。
https://news.goo.ne.jp/article/omatsurijapan/region/omatsurijapan-prodwp_137753.html

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