先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

創刊25周年の「アイヌタイムズ」発行団体会長 萱野志朗(かやの・しろう)さん

2022-07-19 | アイヌ民族関連
北海道新聞07/18 10:02

 「アイヌ語ペンクラブ」発起人として仲間に呼び掛け、新聞「アイヌタイムズ」を創刊して今年で25周年を迎えた。カタカナとローマ字表記のアイヌ語でニュースなどを載せ、年2、3回発行。「ここまで続けられたのは手弁当で協力してくれた仲間たちのおかげ」と感謝する。
 アイヌ文化研究者の故萱野茂さんの次男で日高管内平取町二風谷出身。東京で大学卒業後に会社勤めをしていた1987年、カナダで先住民族と交流し、この民族の言葉を話せる最年少が当時85歳の女性だったと知った。言語消滅の危機を目の当たりにし「自分もアイヌ民族なのに、アイヌ語を話せなくていいのか」と翌年、故郷に戻りアイヌ語教室に勤めた。
 新聞創刊のきっかけは「言語の数だけメディアがあって良い」という趣旨の北海道新聞のコラム。「そうかアイヌ語メディアがあってもいいんだよな」と気づいた。新聞はA4判12ページで現在50~70代の道内外の9人で製作。今月に77号を発行した。
 購読者の氏名、住所などを手書きでメモした顧客管理のノートは残りのページがもう少ない。「25年で1冊で足りているんだから、読者はそんなに多くないね」と言いつつ、ほほえむ。
 通算796件の購読希望があり、遠くは香港やロシア、ポーランドにも送った。定期購読者は最多だった97年の635人から8分の1に減り、増加を図るため4年前から電子書籍でも販売している。「若い人たちがアイヌ語新聞の作り手の後継者になって、50年、100年と続いたら良いね」。節目の今、そう強く願う。64歳。(杉崎萌)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/707033

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<社説>北海道開発の未来 新たな価値の創造目指し

2022-07-19 | アイヌ民族関連
北海道新聞07/18 05:00
 明治政府が北海道の開拓に乗り出した目的は、産業の開発による経済的発展とロシアの南下に備えることだった。
 第2次世界大戦後は、豊富な資源の開発による国民経済の復興と外地からの引き揚げ者を受け入れる「人口問題の解決」を掲げた。
 こうした当初の目標は、達成されたと言えるだろうか。
 経済成長期には生産が拡大し、人口も増加したが、産業構造の転換に伴って地域の衰退が目立ち、過疎に悩む自治体が増えている。先人たちが切り開いた土地の荒廃が進む現状は見るに忍びない。
 政府の北海道総合開発計画がスタートして今年で70年になる。
 北海道のありようを根本から見つめなおし、未来への構想図を描く必要に迫られている。新たな価値の創造を目指し、持続可能な開発の姿を探らねばならない。
■国策の方向性に変化
 海峡の向こうにサハリンを見渡す宗谷岬に近い丘陵に、黒牛がのんびりと草をはんでいる。株式会社「宗谷岬牧場」は、ここで約3千頭の肉牛を飼育し、「宗谷黒牛」などのブランドで知られる。
 この地はかつて、根釧地域と並ぶ「わが国最大の酪農畜産地域」を目指して開発された場所だった。1970年代の道総合開発計画にも明記された国策だ。
 パイロットファームに代表される酪農地帯として定着した根釧に比べ、畜産を主体とした天北地域はめざましい発展を見なかった。
 宗谷岬の牧場は国の公団が整備し、第三セクターの地元公社が経営を担ったものの赤字が続き、本州に親会社のある民間企業が施設を引き継いで現在に至る。
 国が目指したのとは異なった姿になっている。計画策定段階での見通しの甘さもあっただろう。しかし、開発政策は失敗だったと結論づけるのは早計ではないか。
 未利用地を切り開いて、人と産業が根付く基盤を整えたのは確かだ。サハリン側から眺めれば、観光客でにぎわう岬の後背地を利用した牧畜に、日本の繁栄ぶりを見て取ることができよう。
 開発の形は時代とともに変わりうる。その上で、今後どのような発展を目指すかが課題となる。
■政策転換追いつかず
 現在8期目の道総合開発計画はその方向性を柔軟に変えてきた。
 第1期では電源の開発や道路などのインフラ整備、食料増産などに力点があった。高度成長期には苫東開発などの巨大プロジェクトを展開したが、産業の集積が進まず、縮小を余儀なくされた。
 この間、日本の産業構造は労働集約型の重工業から、サービス業や金融などに移っていった。およそ10年ごとに策定される開発計画は、産業構造の転換に政策転換が追いつかなかった側面がある。
 人口目標も当初の600万人には到達しないまま、日本全体が人口減少時代に突入した。第8期計画には、北海道は全国よりも10年早く人口減少や高齢化が進展していることが記されている。
 2001年に北海道開発庁が廃止されたのは大きな転換点と言える。道開発に関する予算を一括計上する仕組みは残ったものの、担当閣僚の不在は予算獲得に向けた政治力の低下につながる。
 産業の衰退に伴って人口が減少し、公共交通や商業施設の撤退が相次ぐ背景には、北海道開発に対する国の意欲の低下があるように見えてならない。
■特殊性維持できるか
 政府は来年度にもスタートする第9期計画の検討作業に入っている。日本において北海道がどのような役割を担うか、具体的な構想が求められる。
 政府は戦後復興の中で北海道の可能性に着目し、北海道開発法を制定した。日本の中でも「特別な存在」と位置づけて開発政策を進めてきた背景がある。その特殊性は今後も維持できるだろうか。
 他の地域より多くの課題を抱えているから「課題先進地」だと訴えても説得力を欠く。解決策を示してこそ、北海道の存在感を示すことができるだろう。
 豊かな環境資源を活用し、農業や漁業を基盤とする「食と観光」は大きな柱だ。送電網を整備して太陽光や風力などの再生可能エネルギーの可能性を広げ、低炭素社会のモデルづくりも進めたい。
 取り巻く状況は急激に変化している。ロシアのウクライナ侵攻を受けて、日ロ関係は複雑さを増している。国際的な競争力強化による「世界の北海道」のあり方も熟考する必要があろう。
 忘れてならないのは、先住民族であるアイヌ民族との共生である。互いの存在を認め合って豊かな暮らしを確立し、その姿を国際社会に発信することが大事だ。
 行政の計画に将来を託すばかりでは十分と言えまい。道民による主体的な議論が重要になる。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/706976

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

きょうの潮流

2022-07-19 | アイヌ民族関連
赤旗2022年7月18日(月)
 明治時代の北海道などを舞台に、日露戦争からの帰還兵とアイヌの少女が冒険を繰り広げる人気長編漫画「ゴールデンカムイ」。4月に連載が終わり、単行本の最終巻が近く発行されます▼想像を超えるスリリングなストーリー展開とともに、アイヌの生活や習俗・文化がリアルに描かれていることも読者をひきつけました。漫画をきっかけにアイヌに興味を持った人も多いようです▼「ゴールデンカムイ」で描かれたのと同じ時代に、北海道でアイヌとして生まれ育ったのが知里幸恵(ちり・ゆきえ)です。アイヌの叙事詩・ユカラを日本語に訳し、元のアイヌ語とともに『アイヌ神謡集』として編さんしました。「銀の滴降る降るまわりに…」という冒頭のフレーズが印象的です▼この時代、明治政府は先住民族であるアイヌの土地や生活の場を奪いました。強制的に移住させ、同化政策によってアイヌ文化を衰退させました。アイヌに対する差別や偏見はいまだに残り、政治家などによる暴言もしばしばです▼病弱だった知里幸恵は1922年に19歳で亡くなりました。その翌年『アイヌ神謡集』が刊行されます。序文には、「この広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました」とあります▼短い生涯をかけアイヌの言葉と文学を残そうとした彼女の死から今年ちょうど100年。アイヌの文化やアイヌ語を守る取り組みは今も引き継がれています。民族の尊厳を回復し、守ろうとした知里幸恵の思いを今に生かすためにも、国の公式謝罪は不可欠です。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik22/2022-07-18/2022071801_06_0.html

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<世界遺産>雨季と乾季で変化する絶景 先住民の知恵も オーストラリアの大湿地「カカドゥ国立公園」

2022-07-19 | 先住民族関連
毎日キレイ7/17(日) 8:00配信

「世界遺産 カカドゥ国立公園~変化する絶景! オーストラリアの大湿地~」の一場面=TBS提供
 女優の杏さんがナレーションを務める、TBSのドキュメンタリー番組「世界遺産」(日曜午後6時)。7月17日は「カカドゥ国立公園 ~変化する絶景! オーストラリアの大湿地~」と題し、オーストラリアの「カカドゥ国立公園」を取り上げる。
 オーストラリアの北部に位置し、日本の四国とほぼ同じ面積を持つ「カカドゥ国立公園」は、川が運んでくる砂が堆積(たいせき)して誕生した。
 赤い砂岩の岩山からは川が流れ、大平原を蛇行している。川を下ると海沿いは一面の干潟となり、マングローブ林が広がっている。南側には岩山があるが、北側に広がる平原は雨季には大湿地となる。雨季の間は大地が水浸しとなり、足を踏み入れることさえ難しい。
 今回は雨季が終わり、乾季が始まった時期に撮影された。乾季には風景が激変する。乾燥してカラカラになった大地には、巨大なアリ塚が出現する。
 カカドゥは文化的価値が認められた複合遺産。5万年前からその土地に住んでいた先住民アボリジニが描いた「岩壁画」が残されている。彼らは雨風をしのげる岩のひさしの下で過ごし、自然の顔料で岩壁画を描いた。骨や内臓が透けている「X線画法」と言われるもので、実はそれは食べられる部位を後世に伝えるために描かれたものだという。
https://news.yahoo.co.jp/articles/bae96e15605587c8802f6235a012316b38289fe9

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中国南部の馬鹿洞人DNA、古いアメリカ先住民のゲノムとの類似点が発見

2022-07-19 | 先住民族関連
CGTN Japanese7/17(日) 9:31配信

馬鹿洞遺跡で発見されたヒトの頭蓋骨などの化石(2022年7月15日提供)。(c)CGTN Japanese
【7月17日 CGTN Japanese】中国科学院昆明動物研究所が作成した論文が14日発行の生命科学誌『カレント・バイオロジー』に掲載されました。同論文は、1万4000年前に生きた中国西南部の馬鹿洞人と、12万6000年~1万1700年前の後期更新世のアメリカ大陸先住民のゲノムが似ていることを明らかにしました。
 馬鹿洞遺跡は1989年に中国西南部の雲南省南部の紅河ハニ族イ族自治州の蒙自市郊外の黄家山で発見され、ヒトの頭蓋骨、下顎骨、大腿骨などの化石30点以上が出土しました。
 これまでの研究で、アメリカ大陸先住民は東アジアと中央アジアに起源をもつことが明らかになっています。馬鹿洞人のDNAが古いアメリカ先住民のゲノムと類似点があることによって、古代東アジアの先住民がおよそ1万2000年前、東アジア大陸からベーリング海峡を渡って、アメリカ州に移動し、古いインディアンの先祖になったという可能性が示されています。(c)CGTN Japanese/AFPBB News
https://news.yahoo.co.jp/articles/701e68c139567734e012c18f1f3b3071ccc80583

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アイヌ古式舞踊楽しむ ポロトミンタラフェスティバル  白老

2022-07-19 | アイヌ民族関連
苫小牧民報2022.07.18
白老町は16日、JR白老駅北観光インフォメーションセンター横の屋外スペースで「しらおいポロトミンタラフェスティバル2022」が開かれた。白老アイヌ協会がアイヌ古式舞踊やムックリの演奏を披露したほか、アイヌ民族の伝統料理オハウ(温かい汁物)を無料で振る舞うなどし、家族連れなど町民で大いににぎわった。

ステージで披露されたムックリの演奏
 野外音楽ステージでは町内の小中学生によるダンスや札幌市在住のバンドの演奏などが行われ、大きな拍手が起こった。テントでは地域の商店などによる団子やコーヒー、弁当、手工芸品の展示即売や野菜、キノコの直売があり、正午近くに100食限定で配布されたオハウも来場者の舌を楽しませていた。
 同センターを会場に行われるフェスは、内容を変えて8月と9月にも予定されている。
http://www.hokkaido-nl.jp/article/25911

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

環境破壊はなぜ続く? 課題解決へ葛藤する若き世代、直面する根本的な問題点とは

2022-07-19 | 先住民族関連
ENCOUNT 2022/07/18 18:24
SDGsではなく伝統的な知のあり方へ目を向けて-、気候変動時代の人づくり
SDGs(持続可能な開発目標)が取り沙汰される昨今でも、気候変動問題に対する根本的な解決は未だ遠い。専門家が警鐘を鳴らしはじめて早数十年、私たちの生活や選択が変わらなかった背後にはどのような意識があったのか。行動変容のヒントはどこにあるのか。これからの新たな環境教育のかたちを実践する一般社団法人KOTOWARI代表理事の青木光太郎氏と「Fridays For Future Tokyo」オーガナイザーの若き環境活動家、酒井功雄氏の2人に聞いた。(取材・構成=梅原進吾)
酒井功雄「今日はよろしくお願いいたします。早速なんですが、いま青木さんが取り組まれているKOTOWARI(※一般社団法人KOTOWARI)というプロジェクトの原点について教えて下さい。どういったところから発想を得られたのでしょう」
青木光太郎「もともと、人間の意識や心の中の世界、意味あるいは感情と、自然や経済や科学などの外側の世界がつながっていない理由に興味があったんです。そして、大学で勉強をしていくなかで、かつてはそれらがつながっていた世界があったにもかかわらず、だんだんと溝が生まれてきたことや、その乖離が原因となって、ストレスや孤独感といった内面の問題や環境問題などの外側の問題が生まれてきたことを学びました。
そこで、その最たる例である環境問題をテーマとして、そのようなつながりをどう築き直すかを模索したくなったんですよね。ですので、KOTOWARIは自分自身の問いの延長線上にできたプロジェクトです。だからこそ、教育するというよりも、問題意識を共にしている若者が集って、皆でこの問いを探求していきたいと考えています」
酒井「最初にKOTOWARIの話を聞いたとき、自然と社会、あるいは人間の心と社会とがつながっていないという問題意識が、自分が感じていた、不足感、違和感を言い表してくれたと思いました。ちょうど、環境アクティビストとして政策提言などをする中で『もっと深くに原因があるはずだ、ただCO2を減らせばいいわけじゃないんだろうな』と感じ、大学で『もっと歴史的で文化的な原因がある』ことに気づき始めていた頃だったんです。
人間と自然を切り分け、自然をただのモノだと捉える西洋的な見方自体が、環境破壊を正当化する文化的な素地になっていた。そう気づいて、その対極にある、各地域に昔からあった知のあり方、違う形での自然や自身とのつながり方を学びたいと考え始めていたところでしたね」
青木「現在は、その2つの知のあり方が分離してしまっていますよね。西洋的、近代科学的な知識を中心としたアカデミックな知的活動はアメリカをはじめとした世界中の大学などで行われていて、一方のいわゆる内面についての知的活動はマインドフルネス、瞑想(めいそう)、フィーリングなどといった言葉のもとに集約されています。本来、それぞれの抱えている課題は、もう片方を見ることで解決できる可能性があるのに、越境や融合はあまり起きていないのが現状です」
酒井「たしかにそうですね。西洋哲学では矛盾が許されず、完璧が求められることが多いと思います。ところが、結局のところ現実の人間は完璧になれません。だからこそ、常に変化を続ける。気候変動であっても、正解のヴィジョンを導きだすというのは目指すべきところではないと思うんです。むしろいろんな人が対話をし続ける状態のほうが大切にされるべきです。特定の解決策を絶対視するのではなく、試行錯誤しつづけるしかない。かつての科学的なアプローチに頼りきったやり方は限界に来ていると思います。そういった認識が広まっているからこそIPCC(Intergovernmental Panel on Climate Change:気候変動に関する政府間パネル)のレポートでも先住民の知恵への言及がある」
「伝統的な世界観は豊か。水にも嵐にも意味がある。そのなかで人間の営みの一つひとつにも意味が与えられている」
青木「西洋的な分析は、排出量の削減や開発すべき技術、求められる行動を特定することはできるけれど、それらのアクションへと人を誘うような、人の内部への働きかけはできない。それができるのがまさに、各地域に昔からあった知のあり方なんだと思います」
酒井「根本の問題が二元論にあるのではないかというところで話を続けると、環境運動をしている人たちが正義と悪を設定して、二元論の構図を再生産してしまうということを知人から指摘されたときにはっとしたことがありました。自分たちが問題視しているものと同じシステムトラップに陥っているんですよね。
相手と自分のあいだに根本的にあるはずの共通性を無視して対話の可能性をなくしてしまう。相手に変化してほしいのに、相手を理解することが自分のアイデンティティの崩壊を意味する事態になってしまったりする。自分にとっては例えば、省庁や化石燃料の会社の方に対して『おっしゃっていることは分かります、そうですよね』と言えない。対立する相手への同意ができなくなってしまうことで、対話の可能性を失ってしまう」
青木「問題を問題と捉える意識そのものに内在する問題ですよね。もしかすると、その延長線上にあんまり答えはないかもしれませんね」
酒井「そうですね。どのように対立を乗り越えて、変化の形を模索すればいいんでしょう。もちろん答えはないんですけど、最近すごく考えています」
青木「先ほどから話にあがっている、先住民的なかつての知のあり方というのは、対立から生まれたものではなく、もっと生成的で、どちらかというと自然発生的に立ち上がってきた一つの世界ですよね。本来はそういうものが求められていて、何かの否定から入るべきではないはずです。全てがつながっているという発想、創造性が求められているのではないでしょうか。たとえば伝統儀式などは、全体の世界観の中ではじめてどういう意味があるかが把握できる。
ところが、たとえば人類が生き延び続けるために地球環境を守るべきだと言われても、私自身はそこに豊かな意味が見出せません。個々人は死にたくないだろうし、将来の子供に世界を託したいという気持ちは理解できるのですが、その先に何も見えてこない。その点、伝統的な世界観は豊かです。水にも嵐にも意味があって、その意味のネットワークのなかで人間の営みの一つひとつにも意味が与えられている」
「気候変動に向き合うには先住民族的な知識を参照する必要がある」
酒井「伝統的な知のあり方などを通じてなぜ気候変動が起きたのかを探求していった先にあったのが、植民地主義でした。日本では植民地時代はもう終わったという理解が一般的だと思いますが、海外でデモに参加すると、かならず脱植民地主義という言葉が掲げられている。気候変動の根本の原因を問いつづけると、西洋文化が全世界を覆い、搾取的な自然との付き合い方と奴隷支配を広めたところにたどり着くんです。植民地主義のうちには、知識や存在についての暴力もありました。
つまり西洋的な知識のみを認め、口伝の物語を排除する一方、自然とともにあるアニミズム的な存在をまやかしだとする動きが植民地の拡大とともに広まった。こういった背景を意識したことで、気候変動に向き合うには、先住民族的な知識を参照する必要があると考えるようになりました。本来ならば、3000年ほどのスパンで特定の土地でどううまく生きるかを蓄積した知が、どこにでもあったはずです。対立ではなく適応から生まれた知です。自分たちがどう変化できるのかという視点への転換が今求められています」
青木「私が大学で学んだ西洋哲学というのは、何が西洋的な知識であるかを確認する営みだと思うんですね。それは裏返せば、何が知識でないかを決める営みでもあるわけです。それは、境界線を引き続ける、何が正統であるかを定めるプロセスです。この営み自体は人間の持つ一つの側面でもありますよね。確かなことや本当のことを知りたいという欲求です。そこへきて、普遍的なもののみを真実としてしまうと、自分だけがそう思っているとか、一部の人たちだけ当てはまるという知のあり方は否定されてしまう。その姿勢が行き過ぎた先に現代の科学社会が存在し、その枠に入らない『自然』が外側に追いやられて来た」
酒井「物事を分けて考えることのお話がありましたが、何が知識で誰が人間であるかという線引きをはっきりと行う行為こそが、『人間だけれど人間ではない』という差別的なカテゴリーを生んできました。ザキヤ・ジャクソンは『人間になる』(未邦訳)のなかで、自然と人間のヒエラルキーと人種差別には関連がある、つまり差別する側は、差別される人間がより人間ではない、より動物や自然に近いからだと理由付けると指摘しています。
だからこそ、人種差別を壊すためには、人間未満として扱われている人々を人間へと繰り上げるのではなくて、根本的に人間と自然のヒエラルキーを壊す必要があると述べています。先ほどの知のあり方とつながる話ですね。現代の世界を作ってきた、偉い人とそうでない人、支配者と被支配者を切り分ける発想から転換することが、気候変動、環境問題と向き合うことにつながっています。今まで抑圧されてきた人々が解放され、自分たちの未来を取り戻していくプロセスと気候変動に対するアクションが、軌を一にするという事実に希望を感じます」
青木「人間未満として扱われている人たちの地位を向上しようと言い始めると、それが正義になってしまい、対立を生んでしまうわけですよね。私としてはそれ以外の道を模索したいです。世界各地の伝統的な世界観のなかには、必ず人間を圧倒する存在があった。天候も、食料となる動物も、水も人間にはコントロールできなかったわけです。この世の全てが人知を超えたところにあるような中でおのずと湧いて出てくる、神秘や不思議、あるいは畏怖の念が人々の謙虚さへとつながっていたのではないでしょうか。
神話や聖典であっても最初にそういう物語が出てきますよね。そこには希望も複雑性も入っているわけです。近年参照されがちな『共生』というような言葉が象徴する、美しさとか希望だけじゃなくて、伝統的な世界観には不確定で複雑なものも含まれています。ですから、実際にそれらに自分の生活や大事なものを奪われたりもします。そういった現実をまず受け入れるところから生まれてきたのが伝統的な知のあり方なのだと思います」
(続く)
□酒井功雄(さかい・いさお)2001年、東京都中野区出身。アーラム大学3年休学中。19年2月に学生たちの気候ストライキ、“Fridays For Future Tokyo”に参加。その後Fridays For Future Japanの立ち上げや、エネルギー政策に関してのキャンペーン立案に関わり、21年にはグラスゴーで開催されたCOP26に参加。気候変動のタイムリミットを示すClimate Clockを設置するプロジェクトを進め、1300万円をクラウドファンディングで集めた。現在は米国インディアナ州のリベラルアーツ大学において、平和学を専攻。Forbes Japan 世界を変える30才未満の日本人30人選出。
□青木光太郎(あおき・こうたろう)1992年、千葉県出身。翻訳家、探求者。一般社団法人KOTOWARI代表理事。米ウェズリアン大学では哲学を専攻。卒業後、投資運用会社のBlackRockに勤務。その後、東京大学で開催した公開講座や教育の本質を考察するウェブメディアの連載など、教育関連の事業を経験。インドのヒマラヤ山脈などでの数年の瞑想修行などを経て帰国。KOTOWARI会津サマースクールを主宰。
□一般社団法人KOTOWARI 福島県奥会津での宿泊型集中学習を核に、高校生や大学生を対象とした探究型の環境教育プログラムを提供。大学の研究者、海外大学の大学院生・卒業生、地域の事業者や活動家、自然の原体験といった多様な情報の源泉に触れながら、参加者は対話を中心としたリベラルアーツと深い内省を組み合わせた学びを得る。経済や環境の多層的な理解を身につけると同時に、各々の世界に対する先入観や自分に対する固定観念を取り払い、自分自身と世界、自然のつながりを築く価値観、世界観を醸成する。代表理事に青木光太郎氏、事務局長に宇野宏泰氏。また一橋大学名誉教授・野中郁次郎氏、ハーバード大学経営大学院教授・竹内弘高氏が理事を務める。今年8月17日から21日には福島県南会津町・会津山村道場にて2回目のサマースクールを開催予定。梅原進吾
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/環境破壊はなぜ続く-課題解決へ葛藤する若き世代-直面する根本的な問題点とは/ar-AAZH7zf

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「北海道みんなの日」にあわせ無料公開 三重にある松浦武四郎の記念館など 蝦夷地の地図や一畳敷き書斎

2022-07-19 | アイヌ民族関連
三重テレビ7/18(月) 12:50配信

現在の北海道を6回にわたって調査し完成させた地図(三重テレビ放送)
 北海道が制定している「北海道みんなの日」にあわせて、北海道の名付け親として知られる松浦武四郎の記念館などが17日、無料公開されました。
 北海道では、武四郎が明治政府に対して「北加伊道(ほっかいどう)」という名を提案した7月17日を「北海道みんなの日」と制定し、北海道の魅力をPRするイベントなどを行っています。
 武四郎の生誕地である三重県松阪市でも記念日にあわせ、武四郎の功績を紹介する記念館などを無料開放しました。
 この日は、開館とともに多くの人が記念館を訪れ、武四郎が蝦夷地と呼ばれた現在の北海道を6回にわたって調査し完成させた地図や、細部まで忠実に再現された晩年を過ごした一畳敷きの書斎などを興味深そうに見入っていました。
 松浦武四郎の記念館内では、北海道と松阪市の縁にちなんで、松阪市の伝統工芸、松阪木綿のコースターにアイヌ文様の刺しゅうを施す体験講座が開かれました。
 17人が参加し、アイヌ独特の渦巻きをモチーフにした文様の刺しゅうに、ひと針ひと針丁寧に仕上げていました。
 松浦武四郎記念館では「北海道との縁を大切にしながら北海道とともに松阪市の魅力をアピールしていきたい」としています。
https://news.yahoo.co.jp/articles/6b51bd9f5f3f910bb2ae45286dca4b7980a9ac86

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする