産経新聞1/19(日) 10:43
明治2(1869)年に開拓使が設置され、着実な発展を遂げてきた北海道。開拓史家の海堂拓己さん(62)は、155年の歩みをひもとくウェブサイト「北海道開拓倶楽部」を主宰している。故郷・北海道の歴史への思いを語ってもらった。
■市民運動に参加
父方は祖父母の時代に宮城県角田市から札幌へ、母方は曾祖父母の代に山口県から北海道の石狩にそれぞれ入植。両親が札幌で出会い、結婚して私が生まれました。戦前の石狩に生まれた母からは昔の苦労話をよく聞かされました。
人生の最初の転機は大学時代。当時は市民運動の勃興(ぼっこう)期で、私は反核・反原発や自然保護系の活動に参加していました。卒業後は運動専従のようになり、知床国有林の伐採反対運動では事務局長を務めました。一部は伐採されましたが、最終的には保全され、今の知床世界遺産につながっている。当時は全国から注目されました。
比例代表制が導入された平成8年の衆院選は、自然保護活動の団体から候補者を出せば必ず1人は当選するだろうといわれた。私がいた団体も擁立に向けて動き出すんですが、誰を候補にするかで分裂してしまうんです。理念などを信じて一緒に活動していましたが、選挙となるとむき出しの我欲ばかり。いがみ合うような関係を見て一気に気持ちが冷めました。20代の中頃です。
■地域と向き合う
その後、自治体などから観光パンフレット製作を請け負う会社に就職し、道東を担当しました。その会社に就職したのは、学生時代の反核・反原発運動で、高レベル放射性廃棄物処理場の候補地となっていた道北地方の幌延(ほろのべ)町に行った体験からです。当時は無邪気に反対を叫んでいた学生でしたが、酪農業の衰退で離農が進んでいる現実を目の当たりにした。経済的事情などで受け入れざるを得ない状況に強い衝撃を受けた。すべての市民運動から身を引き、地域と向き合おうと考えました。
十数年ほどサラリーマンをしましたが、国の政策で地方自治体への交付金が減額。会社の売り上げが大きく落ち込んだときにライターや編集の仕事を請け負うようになったのがフリー編集者としての始まりです。
平成27年、北海道の歴史ポータルサイト開設にかかわる仕事を受け、明治から昭和初期までを担当。いくつかの章に分けて書きましたが、「北海道開拓者精神の継承」の章がダメ出しされました。「とにかくダメ」の一点張り。しつこく聞いて出たのが「開拓だからダメ」という言葉。生まれて初めて自分から仕事を降りることにしました。
■開拓の歴史深掘り
当時はアイヌ新法制定に向けた動きがたけなわの頃。アイヌ文化を振興するために開拓は排斥されなければならない、という空気を感じていた。私も北海道の開拓時代に暗い印象を持っていましたが、仕事で企業の生い立ちを調べたり、年配者に昔の話を聞いたりするうちにその認識が少しずつ変化していきました。
ある時、母からわが家の来歴を聞いて開拓に対する印象がまったく変わった。どうしてアイヌ文化と開拓は両立してはいけないのだろうかという疑問が浮かんだんです。いつからそうなったのかと、1、2年かけて深掘りしてみると知らない歴史がたくさんあった。開拓の誇りを取り戻してほしくて、令和元年8月にインターネットのウェブサイト「北海道開拓倶楽部」を立ち上げました。
北海道で故郷の歴史を学ぼうとすると、歴史の暗部から目を背けるなといわれます。道内で出版されている本も歴史の暗部に焦点を当てたものばかり。噓だとはいいませんが、現在の北海道はとても豊か。暗黒だけではなく、必ず光があったはずなんです。
1人の人間でもいろいろな顔を持っている。そうした人間たちが集まり、時代を重ねる。そうやって生まれた歴史を一つの視点で語ることはできません。同じように北海道の歴史にも、美しい出来事がいっぱいあったはずで、いろんな歴史があっていい。北海道で生まれたことが誇りや自信になる歴史を勉強して、子供たちに分かりやすく伝えていきたいと思います。
(聞き手 坂本隆浩)
◇
かいどう・たくみ 昭和37年生まれ。札幌市出身・在住。編集プロダクション代表。令和元年にインターネットの北海道歴史情報サイト「北海道開拓倶楽部」(https://www.hokkaidokaitaku.club/)を開設。北海道の歴史にまつわるツアーやワークショップなども開催している。
https://news.yahoo.co.jp/articles/ea9e40beb4b197f11812e2f8c45141dc04cb8406?page=1