先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

琉球新報2017年9月13日 06:00

2017-09-14 | ウチナー・沖縄
遺骨、遺品荒らされる 87年に右翼団体も破壊 読谷

荒らされていたチビチリガマ=12日、読谷村波平
 【読谷】沖縄戦で住民が「集団自決」(強制集団死)に追い込まれた、読谷村波平の自然壕「チビチリガマ」の内部や入り口が、何者かによって荒らされているのが12日、見つかった。チビチリガマの証言収集などに長年携わっている元村議の知花昌一さん(69)が知人を案内するため、同日午前11時ごろに訪ねた時に発覚した。ガマ内部の遺骨や沖縄戦当時の瓶やつぼといった遺品などが荒らされていた。遺族らは「言葉が出ない。ひどすぎる」と悲しんだ。
 チビチリガマは、1987年11月にも彫刻家金城実さん(79)が制作した「世代を結ぶ平和の像」が右翼団体員に破壊されたことがある。
 遺品の急須などが割られていたほか、平和学習で県内外から訪れた中高生らがささげた折り鶴は引きちぎられ、ガマの入り口にある「世代を結ぶ平和の像」の石垣は破壊されていた。彫刻家の金城さんが作詞したチビチリガマの歌の碑や、立ち入り禁止の看板も引き抜かれ倒されていた。
 チビチリガマの遺族会によると、5日までは荒らされた様子はなかったという。「-平和の像」や香炉は残されていた。
 遺族会の与那覇徳雄会長は遺品や小さい骨がある場所まで荒らされたことについて「残された人にとっても侮辱だ。骨にも手を掛けられていて、ひどすぎる」と憤り唇を震わせた。
 石嶺伝実・読谷村長は同日午後、現場を訪れ「ずっと(沖縄戦の)継承事業をやってきた。常識では考えられない行動だ。遺族の悲しみを推し量ると残念だ」と述べた。
 嘉手納署が午後に現場を確認した。遺族会は村と相談しながら被害届を出すかどうか検討する。
 チビチリガマは95年に遺族らによって像が再建された。遺族会によると、4~5年前にも香炉が破壊されたことがあった。
   ◇    ◇
 チビチリガマ 読谷村波平にある自然壕。1945年4月の沖縄戦で米軍が上陸したことに伴い、周辺の住民140人が避難。4月2日、米軍の投降に応じずに83人が「集団自決」(強制集団死)に追い込まれた。事実は長い間表に出なかったが、83年に作家・下嶋哲朗さんや住民による調査で全容が明らかになった。
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-574071.html

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チビチリガマが破壊 内部荒らされる 遺骨や遺物、折り鶴も 遺族「ひどすぎる」

2017-09-14 | ウチナー・沖縄
琉球新報2017年9月12日 17:45

荒らされたチビチリガマに眠る、鎮魂に祈りを捧げる知花安友波平自治会長=12日午後2時半ごろ、読谷村
 【読谷】沖縄戦で住民が「集団自決」(強制集団死)に追い込まれた読谷村波平のチビチリガマが、12日午前までに荒らされていたことが分かった。チビチリガマの証言収集などに長年携わっている知花昌一さんが同日午前11時ごろに知人のジャーナリストを案内した時に発見した。ガマ内部の遺骨が集められている部分も荒らされていた。遺族会によると、旧盆の5日までは荒らされていなかったという。
 ガマに残されていた遺物のびんやつぼ、急須などの遺物も割られていた。折り鶴が引きちぎられ、ガマの入り口にある「世代を結ぶ平和の像」の石垣が破壊されていた。立ち入り禁止の看板も倒されていた。
 遺族会の与那覇徳雄会長は「何のために。動機が分からない」と唇を震わせた。「今回は骨にも手を掛けられている。以前にもあったが今回はひどすぎる」と憤った。
 発見した知花さんは、内部の様子を見て「入れ歯も集められていた場所から散らばっている。(遺物の)びんやつぼ、包丁もねじ曲げられている」と説明した。
 彫刻を作った金城実さんは「誰がこんなことを。許しちゃいけない」とつぶやいた。
 チビチリガマでは、1987年11月にも平和の像が破壊され、遺族らによって像が再建された。【琉球新報電子版】
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-573674.html

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町内外から多くの来場者 森の芸術を満-白老・TOBIU CAMP

2017-09-13 | アイヌ民族関連
苫小牧民報2017/9/12配信

森の中で繰り広げられた舞踏
 白老町の飛生アートコミュニティで9、10の両日、飛生芸術祭・TOBIU CAMPが行われた。著名なアーティストなどによる作品展示や音楽演奏、踊りなどのほか、子供たちも楽しめるワークショップも行われ、多くの来場者が飛生の森の芸術を楽しんだ。
 正午の開場に合わせて、町内外から多くの人が来場。キャンプエリアでは、家族連れや仲間同士のグループなどが、早速、宿泊のためのテントを張って、踊りやワークショップ、作品展示などが行われている森の中へと足を運んだ。
 旧校舎の展示室では、画家や彫刻家として有名な奈良美智さんの個展を開催。飛生滞在時に制作した作品なども展示され、道外からもファンが詰め掛けた。東京から初めてキャンプに訪れた会社員の女性(37)は「奈良さんの作品が見たくて、休暇を取ってきました。作品をこんなに間近に見ることができて良かった」と笑顔で話していた。
 森の中では、竹浦の竹を使った竹とんぼ、アイヌ民族の伝統楽器のムックリなどのほか、アロマキャンドルやアイヌ文様刺しゅうなどのワークショップが行われ、親子連れが各種体験を満喫。また、踊りや音楽演奏なども繰り広げられた。
 飛生芸術祭は17日まで。入場無料。
https://www.tomamin.co.jp/news/area2/12150/

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「恋人たちの夜」 台湾先住民族に伝わる縁結びの儀式

2017-09-13 | 先住民族関連
AFPBB News2017年9月12日 21:55 発信地:花蓮/台湾

台湾東部の花蓮県で毎年開かれている、先住民族アミ人に古くから伝わる豊年祭の様子(2017年8月19日撮影)。(c)AFP/SAM YEH
【9月12日 AFP】台湾・花蓮(Hualien)県の馬太鞍(Matai'an)に日が落ちる頃、村の広場で男性らが輪になって踊っている。皆刺しゅう入りのスカートに羽根のついた頭飾りといういでたちだ。それを若い女性らが、品定めするように見守っている。これは、古くから続く縁結びの儀式の一部だ。
「恋人たちの夜」として知られるこの儀式は、台湾で公認されている16の先住民族のうち、最大のアミ(Ami)人の集落で毎年開かれる豊年祭のフィナーレを飾る。
 豊年祭は通常6~8月の間に、各村が時期をずらして実施する。アミにとって最も規模が大きく重要な祝祭で、馬太鞍ではその締めくくりに、独身女性が結婚相手にふさわしいと思う男性を選び出すこの儀式を執り行う。
 何世紀も続くこの風習は、アミの母権制を反映している。ここでは家計のやりくりをはじめ、大事な決定権を握るのは女性で、男性が妻の家に婿入りする。
 歌って踊る男性らが徐々にそのペースを上げる中、女性は気になる男性の後ろへ回り、男性が肩からぶら下げているカラフルな布袋を引っ張る。女性からのアプローチに男性が応える場合は、カップル成立の証しに男性がその布袋を女性に渡す。
 昔はこの儀式から結婚に至るのが一般的で、今でも交際のきっかけになっているが、都市部に出て働くアミにとっては帰省して旧交を温める機会にもなっている。(c)AFP/Michelle YUN
http://www.afpbb.com/articles/-/3140128?cx_position=4

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【平取町】イザベラ・バードと平取のアイヌの伝統工芸を学ぶ(シィービーツアーズ)

2017-09-12 | アイヌ民族関連
北海道新聞 (ブログ) 2017年09月11日

こんにちは、Shunです。
季節は、白露を迎え、朝露が光るこの頃です。
9月9日(土)、鵡川・沙流川WAKUWAKU協議会主催による「イザベラ・バードと平取のアイヌの伝統工芸を学ぶ」のモニターツアーに参加しました。バスツアーの旅行企画・実施は、(株)シィービーツアーズが担当しています。
鵡川・沙流川WAKUWAKU協議会主催は、むかわ町・日高町・平取町の3町で構成されています。それらの町を縦貫する鵡川と沙流川は夫婦川と言われ、日高山脈を水源として良好な水質が「湧き」、この地を訪れると気持ちが「わくわく」するという意味することから「WAKUWAKU協議会」と名付けられたとのことです。
今回のモニターツアーは、イザベラ・バードが歩いた道をバスで巡り、義経神社見学、びらとり温泉ゆからで「びらとり和牛すき焼きの昼食、学芸員の解説による「二風谷アイム文化博物館」見学、アイヌ文様の木彫体験、最後にJAびらとり農産物直売所での買い物というコースを辿りました。
平取町は、人口約5,400人、基幹産業を農業とし、アイヌ文化を今に伝える伝承事業に取り組む町です。平取町二風谷の工芸品「二風谷イタ(木製のお盆)」と「二風谷アットゥシ(樹皮の反物)」は、北海道で初めて経済産業省の「伝統工芸品」に指定されました。
イザベラ・バードは、明治初期に来日、函館から平取のアイヌ集落を来訪してアイヌの暮らしを旅行記「日本奥地紀行」にまとめた英国女性旅行家。
2012年には、当時イザベラ・バードが辿ったとされる道約15kmのフットパスルートが整備され、富川東運動公園をスタートし、義経神社鳥居ゴール地点として、フットコース内に28基の案内標識が設置されています。
イザベラ・バードの道を辿る会・寺島芳郎 平取部会長の解説を伺いながら、スタート地点である富川東運動公園、紫雲古津川向大橋、ゴール地点の義経神社の3ヶ所をバスで巡りました。
バスは輪厚SAで、トイレ休憩を入れながら、中央バス札幌ターミナルへと向いました。
アイヌ文化を伝えたイザベラ・バードさんの道、由緒ある義経神社を参拝し、博物館にてじっくりとアイヌ文化を実感し、アイヌ文様の木彫りを体験でき、大変充実した素晴らしいバスツアーでした。
今まで、知り得ることのできなかった平取町の貴重なアイヌ伝統文化など、平取町の様々な魅力を実感できたことに心から感謝いたします。ありがとうございました。
http://blog.hokkaido-np.co.jp/enjoy/2017/09/post-284.html

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サケ捕まえた! 児童らアイヌ漁法体験 帯広

2017-09-12 | アイヌ民族関連
十勝毎日新聞 2017年9月11日 13時49分

 アイヌ伝統の漁法「マレック漁」が10日、帯広啓北小学校前の伏古別川で行われた。帯広アイヌ協会(笹村二朗会長)が主催し、初めて開いた。地域の子どもから大人まで約40人が見学・体験に臨み、儀式や捕獲体験を通じてアイヌ文化に触れた。
 マレック漁は、可動式のかぎ針が付いたやり「マレク」で、サケを突き刺して捕る漁法。伏古別川は1950年ごろまでサケが遡上(そじょう)し、近隣にはアイヌ民族が多く住んでいたという。
 この日は儀式「カムイノミ」や、帯広カムイトウウポポ保存会による舞踊奉納の後、サケ30匹が放流された。参加した子どもたちは泳ぎ回るサケをマレクで捕獲し、「イパキクニ」と呼ばれる棒で仕留めた。
 参加した女子児童は「緊張したが、捕まえられて良かった。(カムイトウウポポ保存会の)踊りがすてきだった」と話していた。
http://www.tokachi.co.jp/news/201709/20170911-0027446.php

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「サハリン島」でたどるチェーホフの足跡 道立文学館で特別展

2017-09-12 | アイヌ民族関連
北海道新聞 2017/09/10

チェーホフの足跡やサハリンの歴史を紹介する資料が並ぶ特別展
 ロシアの文豪チェーホフ(1860~1904年)の著書「サハリン島」を中心とした特別展「≪サハリン島≫2017 アントン・チェーホフの遺産」が9日、札幌市中央区中島公園の道立文学館で始まった。道立文学館を管理運営する公益財団法人北海道文学館(工藤正廣理事長)の創立50周年記念事業で、道文学館、道立文学館、北海道新聞社の主催。
 チェーホフは1890年、当時流刑地だった同島に約3カ月滞在し、住民らの状況を調査。これをもとに「サハリン島」を書いた。展覧会では、囚人の過酷な実情を綿密に書いた同作品の初版本や住民調査カードのレプリカ(複製)を展示している。ほか、サハリンを題材とした日本文学や絵画、ウイルタなど先住民族に関する資料も並ぶ。
 11月19日まで。休館日や観覧料などの問い合わせは道文学館(電)011・511・7655へ。
残り:127文字/全文:491文字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/131269

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色が溢れるパラダイス、メキシコ~可愛い雑貨バイイングオアハカ編~

2017-09-12 | 先住民族関連
HAPPY PLUS(ハピプラ) 2017.09.10
このたびのメキシコ沖地震により被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます。この記事で書かせていただいていた、素晴らしいオアハカも被災地に含まれているということで、一刻も早い被害者の皆様の救済と復興をお祈り申し上げます。
それではメキシコ紀行最終回、「オアハカワイイツアー」後編をお届けします。前編では、主に刺繍アイテムの村々を回りましたが、今回は青空市や羊毛タペテ(ラグ)、陶器の雑貨の村を紹介したいと思います。それでは早速いきますよ!
5.民芸品に目移りしちゃうTLACOLULA(トラコルーラ)の青空市場へ
オアハカでは毎週決まった曜日に、ティアンギスという青空市場が異なる地域で開催されます。この日は日曜日、トラコルーラという村でティアンギスが開かれていました。オアハカの民族・サポテカ族の人々が、民族衣装である刺繍エプロンやカラフルなブラウスをまとって売買しに集まり、大変な賑わいを見せています。観光客のためというよりは、完全に地元の人のための市場という感じ。
市場でのおすすめは、カラフルなバンダナ。市場を行きかう先住民族の女性が頭に巻いているのを見て、「可愛い~~~!!!」と絶叫。華やかだけどクラシカルな雰囲気があって、まさにここでしか手に入らない逸品です。
早速市場で見つけることができ、お土産用も含めて3枚まとめ買いしました。ほかにもピンクや赤、イエローなど鮮やかな色がたくさんありましたよ!異国の地で買ったものって、日本に帰ると派手すぎて「やっぱり無理だ……着けられない!」となることがたびたびありますよね。でもこれは、日本に帰ってからも日常的に使うことができそうです。お土産にも喜ばれそう。
そしてこの市場でもうひとつおすすめしたいのは、刺繍のエプロン! こちらはオアハカの女性たちが日常着として着ている民族衣装。オアハカのホテルでオーナーのおばさまも着ていました。ですが人気商品なのか?着ている人はたくさん見るけれどなかなか市場で発見できず……。夕方に行ったので、売り切れてしまったのかも……諦めかけていたところ、やっとマーケットのテントではなく常設のお店で見つけることができました。
おばあさまが、「あなたにはこっちが似合うわよ」とお勧めしてくれます。またもや試着大会がスタート。こちらのエプロンは手刺繍ではないので、わりとお求めやすいんです。
ほかにもこのトルコルーラの市場には、かごバッグがあったり、刺繍ブラウスがあったり、野菜や果物を入れるかごがあったり、可愛いものにあふれています。ぜひ日曜日めがけて行ってみてくださいね。
6.羊毛タペテの村、TEOTITlAN DEL VALLE(テオティトラン・デル・バジェ)

続いて向かったのは、サポテコ族伝統の柄を織り込んで作られる羊毛ラグ「タペテ」の生産地。こちらは村に住むほとんどの家庭がめいめい羊毛タペテを織って暮らしているそう。「村の民芸品市場に連れて行って」とタクシードライバーにリクエストすると、たくさんの人がお店を出している市場に到着します。
こちらは友人が購入したもの。東京のインテリアショップで買ったらいったいいくらなのよ!?と思うような上質なアイテムですが、1万円。安い……。この村で作られる羊毛タペテはとっても丈夫で、長持ちするんだとか。民芸品市場以外にも、道路沿いに工房がたくさんあり、見学させてくれるところも多いそうですよ。種類が豊富なので、自分の家に合わせて選んでみてくださいね。
そしてそして、この村でもとっても可愛い教会があるので、必見です!ウェス・アンダーソンの映画に出てきそうなキュートな佇まいの教会。民芸品市場から歩いて3分くらいのところにあります。
7.クッキーみたいな陶器の村、ATZOMPA(アツォンパ)
すっかり日も暮れる時間になり、さすがに疲れてきました。最後のスポットは、焼きものの村、アツォンパです。この村の中心部に、Mercado de Artesanias la Asuncionという屋内の民芸品市場があり、さまざまな作家による焼きものが所狭しと並べられています。
特にきゅんときたのは、まるでクッキーのような質感の素焼き「バロ・ナチュラル」。
キリスト教のモチーフが中心ですが、アニマルやハートなども。「ヘタウマ」とでも言いましょうか、ちょっととぼけた表情がツボなんです。
きれいに色づけられたカラフルなクロスモチーフの壁掛けもあります。
ルーズなタッチでペイントがほどこされた器も。
小さな村ならではの、ハートフルな陶器に出会えます。
これにてオアハカ郊外の村ツアーは終了です。もちろんオアハカ市内にも、紹介してきた村々でつくられた民芸品が集まった雑貨店はたくさんありますので、初日にお店をざっくり見てから次の日郊外の村々へ出かけるのもいいかもしれません。
オアハカには、「可愛い!」があちこちに転がっています。町自体もおもちゃ箱のようにキュートですし、道を歩いている女性の民族衣装も美しい。歩いて楽しい、着て楽しい、買って楽しい、非常にエンターテインメント性の高い村だと思います。メキシコシティに比べたらとても安全ですし、女性の旅におすすめです!
こちらはオアハカ市内のショップM.A.R.Oで見つけたブリキケース。このお店にはいろんな民芸品が集まっていて、比較的値付けもリーズナブル!
さて、これにて勝手に連載していたメキシコ紀行は最終回となります。楽園メキシコに行く際に、この記事が少しでもお役に立てればうれしいです!
https://spur.hpplus.jp/fashion/smallgoodthings/201709/07/E0GBWUc/

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博士課程の学生が発見! ピラミッドより1万年も古い集落がカナダにあった

2017-09-10 | 先住民族関連
BUSINESS INSIDER JAPAN 2017年9月9日

カナダ、ブリティッシュ・コロンビア州に住む先住民族「ヘイルツク族(Heiltsuk)」は代々、数百年あるいは数千年にわたって、彼らの先祖がどこからやってきたのかを語り継いできた。先祖は生き残りをかけ、氷河期でも凍らない沿岸地域に逃れてきたのだと彼らは主張している。
そして、この主張の正しさを、同州セントラル・コースト地域にあるトリケット島(Triquet Island)で行われた新たな発掘調査が裏付けたとカナダの公共放送CBCが報じた。
この発掘調査は、ビクトリア大学の博士課程に在籍中の、Hakai Instituteの奨学生でもある考古学者Alisha Gauvreau氏が2016年後半に行ったもの。調査チームは、木彫りの道具や木炭の破片といった複数の人工物を、古代の集落と思われる場所から発見した。これらは「パレオソル」と呼ばれる薄い古土壌層で見つかった。
その後、チームは発掘した木炭の破片を放射性炭素年代測定にかけ、これらの破片が1万3613年から1万4086年前のものだということを突き止めた。これはエジプトでピラミッドが建てられる数千年前にあたる。
今回発見された人工物は、これまでに北米で発掘された中でも、最も古い部類に入る。
1977年、ワシントン州立大学の考古学者らは、同州西部のオリンピック半島近くで、槍の先端とマストドン(絶滅したゾウの一種)の肋骨を発掘。その後、2011年に行われたCT検査の結果、西海岸で人間が定住し始めたのは今から約1万3800万年前と、それまで考えられてきた時期から800年遡ることとなった。
今回の発見は、考古学者にとって、ヘイルツク族のような北米の文明がどのように始まったのか、その詳細を理解する助けとなるだろう。これまで一般的に、最初のネイティブ・アメリカンは、氷河期にアジアから不凍のアラスカの地(現在のカナダ東部もしくは中部)へ移ったと考えられて来た。
もしくは、ビクトリア大学の研究が支持するように、海洋哺乳類を追って、船でやって来たとする説もある。
発掘調査を率いたGauvreau氏は、2016年に発表した論文の中で、考古学者による発掘調査が進むことで、これまでに語り継がれてきたより多くのオーラル・ヒストリーの正しさが証明されるかもしれないと述べている。
ヘイルツク族のWilliam Housty氏は、CBCの取材に次のように答えている。「今回の発見は非常に重要だ。なぜなら我々が数千年にわたって語り継いできた多くの歴史を再確認するものだから」
[原文:A student found an ancient Canadian village that’s 10,000 years older than the Pyramids]
(翻訳:Eiko Ofuji Mizuta )
https://www.businessinsider.jp/post-104397

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ブラジル先住民10人以上を違法採金業者が殺害か 検察が捜査

2017-09-10 | 先住民族関連
AFPBB News 2017年9月9日 12:22 発信地:サンパウロ/ブラジル
【9月9日 AFP】南米アマゾン(Amazon)の熱帯雨林で外界から孤立して暮らす先住民10人以上が違法採金業者に殺害された恐れがあるとして、ブラジル検察当局が捜査を進めていることが分かった。現地NGOが8日、明らかにした。
 先住民族の権利保障を訴える国際組織「サバイバル・インターナショナル(Survival International)」によると事件が起きたのは8月で、現場はブラジル西部のジャンディアチューバ川(Jandiatuba River)沿い。採金業者らが先住民を殺害したことを自慢げに語っていたことから明らかになったという。これまでに2人の採金業者が逮捕されている。
 ペルー国境に面した先住民の土地バーレドジャバリ(Vale do Javari)に居住するワリカマ・ジャパル族の長、アデルソン・コラ・カナマリ(Adelson Kora Kanamari)氏はニュースサイト「アマゾニア・リアル(Amazonia Real)」の取材に対し、18~21人が「襲撃され殺害された」と述べた。また現地は「非常に危機的な状況」にあると訴え、「地主や猟師、採掘業者らが侵入して来る。多く(の先住民)が孤立した状態で殺されており、殺害された正確な日付や人数は把握していない」と話した。
 サバイバル・インターナショナルは「話が事実であることが立証された場合、この虐殺に対する大きな責任はミシェル・テメル(Michel Temer)政権にある」と主張し「すべての先住民に対してずっと前の段階で、彼らの土地をきちんと認め保護すべきだった。先住民の土地の開拓を求める人々を政府が大っぴらに支援するのは極めて恥ずべきことで、ブラジル先住民の権利を何十年分も後退させている」と非難した。
 バーレドジャバリの先住民居住区は北部アマゾナス(Amazonas)州の州都マナウス(Manaus)から約1200キロに位置し、面積は約8万5000平方キロ。
 テメル大統領は、アマゾンの熱帯雨林の広大な土地を切り開いて大規模な採鉱を行うことを認める法令に署名したが、ブラジルの裁判所は先週、差し止めを命じている。(c)AFP
http://www.afpbb.com/articles/-/3142288?cx_part=latest&cx_position=16

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コロンビア訪問:教皇、ビリャビセンシオで列福ミサ、和解を呼びかけ

2017-09-10 | 先住民族関連
バチカン放送局08/09/2017 19:18
教皇フランシスコは、コロンビアのビリャビセンシオで列福ミサを捧げられた。
コロンビア司牧訪問3日目の9月8日午前、教皇は首都ボゴタから86 km 南東のビリャビセンシオに向かわれた。
「聖マリアの誕生」を祝ったこの日、教皇は郊外のカタマ地区でミサを司式された。
約40万人が詰め掛けたこのミサには、112の先住民族による巡礼団も参加、会場は伝統の舞踊や歌で活気付いた。
教皇はミサの中で、2人の殉教者、神のしもべ、ヘスス・エミリオ・ハラミジョ・モンサルヴェ司教と、ペドロ・マリア・ラミレス・ラモス神父の列福式をとり行なわれた。
アラウカ教区の司教であった福者ヘスス・エミリオ・ハラミジョ・モンサルヴェ師(1916-1989)は、反政府武力組織、民族解放軍によって拉致され、信仰に対する憎悪のために殺害された。
小教区の主任司祭として奉仕した福者ペドロ・マリア・ラミレス・ラモス神父(1899-1948)は、自由党派と保守党派が衝突したボゴタ暴動の中で、迫害と暴力によって殉教した。
この日のミサは「和解」を意向とし、「コロンビア国民同士の、また被造物との、神における和解」をテーマにとり行われた。
説教で教皇は、コロンビア国民が体験した半世紀以上に及ぶ悲劇的な現実を見つめると共に、すべての人に開かれた和解の扉を示された。
「和解」とは抽象的な言葉ではないと教皇は述べ、和解が抽象的なものならば、それは不毛で遠いものになるだろうと指摘。
内戦の犠牲者たちが復讐の誘惑に打ち勝つ時、これらの人々は平和構築への歩みの最も信頼できる主役になるだろうと話された。
そのためには、誰かが、他の人を待つことをせずに、勇気をもって最初の一歩をしるさなければならないと教皇は説かれた。
誰か一人良い意志をもった人がいれば、それは希望につながる、その人とはわたしたち一人ひとりのことかもしれないと、呼びかけられた。
また、熱帯平原への玄関口といわれるビリャビセンシオで、教皇はコロンビアの自然の素晴らしさに言及。
人間が自然を利己的に搾取し、環境を破壊していることを憂慮される教皇は、人間と自然との和解を促された。
そして、教皇は、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28,20)というイエスの言葉を反映し、暴力と怨恨の泥沼から抜け出したい人々の思いを表す存在として、この日列福された2人の殉教者を見つめるよう招かれた。
http://ja.radiovaticana.va/news/2017/09/08/%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%93%E3%82%A2%E8%A8%AA%E5%95%8F%EF%BC%9A%E6%95%99%E7%9A%87%E3%80%81%E3%83%93%E3%83%AA%E3%83%A3%E3%83%93%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%82%AA%E3%81%A7%E5%88%97%E7%A6%8F%E3%83%9F%E3%82%B5%E3%80%81%E5%92%8C%E8%A7%A3%E3%82%92%E5%91%BC%E3%81%B3%E3%81%8B%E3%81%91/1335620

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森の恵みと職人技が紡ぎ出す、アイヌの伝統織物「アットゥㇱ」

2017-09-10 | アイヌ民族関連
MYLOHAS (登録) 2017.9.8

アットゥㇱの伝承者・貝澤雪子さん。北海道アイヌ協会から優秀工芸士として認定され、アットゥㇱの次世代への伝承や育成などにも取り組んでいる。
アイヌに伝承される織物「アットゥㇱ」。私がアイヌ文化に関心を抱き、北海道を巡って出会った伝統工芸品のひとつです。アットゥㇱの手触りの良さと自然素材の優しい風合いに一目惚れ。この織物がどのようにして作られているのか、強い興味に駆られました。
樹皮から作られる反物、アットゥㇱ
アットゥㇱは、オヒョウ(ニレ科の樹木)等の内皮を糸にして織られた反物です。その昔、アイヌの各家庭では、この反物から民族伝統の着物や日用雑貨を日常的に手作りしたのだとか。しかし現在では、家庭でアットゥシを織る風習は途絶えつつあり、アットゥシの伝承者も数少ないそうです。
アットゥㇱの伝統を支える女性の匠
希少な織物となったアットゥㇱですが、その伝統を絶やさんと、半世紀以上にわたってアットゥㇱを織り続ける女性がいます。アットゥㇱの伝承者・貝澤雪子さんです。雪子さんはアイヌ文化が色濃く残る平取町二風谷地区(北海道沙流郡)で、日夜アットゥㇱと向き合っています。
雪子さんのお話を伺ってまず驚いたことは、雪子さんは機織りだけでなく、アットゥㇱの糸づくりも担っていること。そしてすべてが手作業で行われているということです。
アットゥㇱの糸ができるまでには、いくつもの工程が存在します。最初にオヒョウの木の樹皮・荒皮を剥ぎ、内皮を取り出します。次に、取り出した内皮をやわらかくするために釜で煮てから、沢で洗って内皮のぬめりを落とします。ぬめりを落とした内皮は乾燥させ、何層にも重なった内皮を一枚ずつ丁寧に剥がした後、さらに完全に水気を飛ばします。完全に内皮が乾燥したら、内皮を細く裂き、捻じりを加え、それらを結んで繋ぎ合わせていくことで、糸ができあがります。
ときに、内皮を剥がしてから、草木などで染色をほどこすこともあるそうで、なんと手間暇のかかること! 1年間の仕事のうち、8割近くもの時間がこの糸作りに費やされるそうです。
「自然の恵みを材料としているから、その樹木の個性によって加工にかかる手間暇が違ってくるの。長年やっていれば、仕事の勘が養われて、良い糸や織物ができる塩梅が分かってくる。手引き(マニュアル)はないからね、自分の経験と知識が頼りよ。いつも、一生勉強って思っているの」(貝澤雪子さん)
最近では、和装用の帯の依頼なども増えており、帯のデザインを自分で考え、織っていくことが多くなったと言う雪子さん。「アットゥㇱの仕事はね、長年やっていても全然飽きないの。やればやるほど面白いの」と話しを続けながら、複数の糸を巧みに使い、ひと織りひと織り丁寧にアットゥㇱを織っていきます。
匠の言葉に学ぶ、仕事との上手な付き合い方
そんな雪子さんに、半世紀以上もアットゥㇱを織るなかで仕事に限界を感じたり、仕事を辞めたいと思ったりしたことはないのか? と質問をぶつけてみました。
「この織物を長い間待っていてくれる人が幾人もいるからね。そのためにも、早く仕上げなくちゃって思っているの。だから、辛いとか辞めたいと思ったことはないですね。本当にありがたいことですよ。
でも、作業に行き詰まったり、疲れたりすることはありますよ。機織りは、複雑で難しい仕事だから。そんな時は、工房の外の畑を世話したり、ご飯を作ったりするの。仕事から一旦離れて、まったく別のことをして、気持ちを切り替えるのよ。根詰めすぎると良いものができないから(笑)。肩の力が適度に抜けている時のほうが、案外、とても良いものができたりするの」(貝澤雪子さん)
力み過ぎない、やり過ぎない。どうやらこれが、雪子さん流・仕事との上手な付き合い方。楽しみながら仕事をするのが長く続ける秘訣のようです。
雪子さんのアットゥㇱは、どれも丁寧な織り目に、美しい色合い。作品からは優しさを感じます。仕事を楽しんでいるからこそ、生み出せる逸品なのかもしれません。
雪子さんの作品は、「平取アイヌ文化情報センター」(平取町立二風谷アイヌ博物館 敷地内)で購入することができます。http://www.town.biratori.hokkaido.jp/biratori/nibutani/culture/traditional/
北海道に訪れるチャンスがあれば、二風谷の緑豊かな自然を感じ、アイヌ伝統のアットゥㇱの品々をぜひ手とって眺めてほしいと思います。二風谷では、アットゥㇱをはじめとする、アイヌの伝統工芸品の数々にも出会うことができますよ。
写真撮影/yonevanlife
取材協力/平取町立二風谷アイヌ博物館
https://www.mylohas.net/2017/09/064474attus.html

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馳星周 ノワールの旗手が辿り着いた新境地 自然と差別と”ゆるす”がテーマの”泣けるサスペンス”が話題

2017-09-10 | アイヌ民族関連
Yahoo!ニュース 9/9(土) 15:31 田中久勝  | 音楽&エンタメアナリスト
お気に入りのブログがある。それは軽井沢在住の作家・馳星周が、愛犬である2匹のバーニーズ・マウンテン・ドッグとの日常を、自らが撮影した美しい写真と文章で綴っている『ワルテルと天使たちと小説家』だ。表情豊かな愛犬と、軽井沢の四季折々の自然を捉えた写真に、目を奪われてしまう。
”ノワール小説の旗手”から、あらゆるジャンルで話題作を発表するオールラウンドプレイヤーに。「年を重ねたことと、本が売れない時代だからこそ、好きなものを好きなように書きたい」
馳星周といえばこれまで『不夜城』をはじめ、『漂流街』『夜光虫』『ダーク・ムーン』他、数々の名作を生み出した、当代一のノワール小説の書き手として、確固たる地位を築いている。しかし最近は歴史小説や犬をテーマにした小説、そして原発問題に切り込んだものなど、そのジャンルの幅は広がっている。11年前に愛犬のために軽井沢に住まいを移したことが、少なからず影響している。自然に囲まれた中で、愛犬と穏やかな日々を送り、山登りを趣味にし、自然に抱かれた生活を送る中で、現代社会の異常さ、もっというと日本全体の異常さがより鮮明に見えてきた。その問題点を炙り出し、多くの人に知らしめる作業が、ジャンルを超えた作品作りにつながっているのかもしれない。
8月22日に上梓し、好調な最新刊『神(カムイ)の涙』(実業之日本社)は、まさにそんな一冊だ。馳の故郷・北海道を舞台にした、自然を敬い生きる、頑固なアイヌの木彫り作家・平野敬蔵と、その孫娘で、アイヌであることを消し去りたいと、都会の学校への進学を夢見る・悠、そして誰にも明かせない過去を抱え、自らのルーツを辿る雅比古の3人が出会ったことで始まるストーリー――。今なぜこの小説なのか、この小説を書くことがいかに必要だったのかを、馳に聞いた。
「単純に歳を重ねたことが大きい。もうひとつは、今文芸不況と言われていて、なかなか本が売れない時代なので、好きなものを好きなように書こうかなと」。ジャンルの幅を広げている理由を、まずは単純明快に説明してくれた。去年作家デビュー20周年を迎えたことも大きい。「やっぱり20年もドンパチものを書いていたら、違うこともやってみたくなります。軽井沢に移住して11年になりますが、この地で登山を始めたり、興味の幅がどんどん広がっています」。歳を重ね、住む環境が大きく変わり、色々なことに興味が湧いてくるのは至極当然のことだ。自然の中に身を置くと、逆に刺激されることが多くなってくるのかもしれない。
『神(カムイ)の涙』は故郷・北海道が舞台。「18歳で東京に出てきて、ほとんど顧みることができなかった故郷に対する想いが、年々強くなっている」
馳の生まれ故郷・北海道を舞台にした作品は『神の涙』の他にも、『淡雪記』『約束の地で』『雪炎』などいくつかがあるが、やはり故郷への想いというのが、年々大きくなってきているのだろうか。「40歳を過ぎた頃から北海道を舞台にした作品が増えてきました。それは18歳で東京に出てきてから、ほとんど顧みることがなかった故郷に対する想いというのが、歳を重ねるにつれて出てきたことがあります。また、今の経済至上主義の日本人の在り方が嫌いで、長いスパンでみれば、縄文時代に帰ることができたらいいのになと思っています。自給自足で、その日食べるものだけを森や畑からとってきて、生活するスタイルです。でも、縄文時代を舞台にした小説を書くわけにはいかないので、いろいろ考えていると、アイヌの人たちの文化というのは縄文時代から連綿と続いているものなのかなと思い、書いてみようと思いました。僕は小さい頃、周りにアイヌの人がたくさんいる環境の中で育ち、差別というものを目の当たりにしてきたし、もしかしたら自分もアイヌの人たちから見ると、差別的な発言をしていたのかもしれません。そういうことへの贖罪も込めてということを最初に思いました」。
『神(カムイ)の涙』では、今も差別に苦しんでいる家族を主役にし、そして自然を敬い、神と共に生きる、まさに縄文時代に生きた人と同じ気持ちを持っているアイヌを描くことで、現代社会、日本人へ警鐘を鳴らしている。自然との共存という考え方は、やはり軽井沢に移住してから、より強くなってきたのだろうか。「確かにそうですね。都会にいるとわからないこと、軽井沢に住んでいるからこそ見えてくることがたくさんあります。里山の問題もそうです。里山には高齢者が多く、山の手入れができなくなってきています。人里と山の境目があいまいになっていて、そこにクマをはじめとする山の獣が出現し始め、なんとかしなければいけないということは、田舎に住んでいる人たちはわかっています。でも都会にいる役人は、そこに予算を落としてなんとかしようという切実感がない。でも本当に切実な問題だと思うのに」。
「『神の涙』の大きなテーマ、”ゆるす”という概念は、軽井沢で犬と暮らしている中でどんどん大きくなってきた」
原発の問題もそうだ。日本全体の問題として、多くの日本人が感じていることがこの小説の中には存在する。差別と自然と、そして優しさが作品の大きな柱になっているが、やはり北海道が舞台だからこそ、北海道が書かせた小説なのだろうか。「一番重要だったのがアイヌの文化と自然に対する考え方だったので、北海道でなければ成立しないし、ヒグマの存在が必要でした。やっぱり日本で一番大きくて強い生き物であるヒグマを自然の象徴として、登場させたかった。それとこの小説の大きなテーマになっている“ゆるす”という概念は、軽井沢で犬と暮らしている中でどんどん大きくなってきた思いかもしれません。僕ら人間のことを彼らはいつもゆるしてくれているんです」。
“ゆるす”という考え方は、北の大地に育まれた大らかさと、助け合いながら生きるという、北海道民の中にある、真の人間性から生まれる無償の愛のことだ。そんな大きなテーマに抱かれたこの作品の中で敬蔵、悠、雅比古がそれぞれをゆるし、また多くのことゆるす。しかし原発問題に関しては、馳の許せない思いが、雅比古という男に反映されているようだ。雅比古は、東日本大震災で親を亡くしている設定だ。「原発というのは、縄文文化を継承しているアイヌ文化とは対極に位置するものだし、やっぱり3.11は終わっていないんだぞということを言いたい部分もありました。それと、過去を持つ人でも“浄化”されるということを書きたかった」。ゆるしたことで、過去が浄化されるという、清々しい空気を感じるラストシーンも印象的だ。「雅比古と悠の世代で、敬蔵がやってきたことを受け継いでいかなければいけない。引き継ぐ、伝承する大切さも描きたかった」。
「軽井沢に来てから肩肘張らなくなった。今小説を書くことが本当に楽しい。あぶらが乗っていると自分で言っています(笑)」
この作品で、馳星周の作品に初めて触れるという人は、ノワールの第一人者と呼ばれている作家の作品とは思わないだろう。この極端な作風の違いこそが、馳の凄さであり、強さでもある。「自分の中では何の違和感もなく、色々なタイプの小説を書いています。そういう意味では今一番あぶらが乗っていると、自分で言っています(笑)。40歳を過ぎてから、小説を書くのが本当に楽しくて。それまでは、ベストセラー作家だからとか、変なしがらみがあって、余計なことを考えて、あまり仕事が楽しくなかったです。もちろんプロだから、それなりの作品は書かなければいけないのですが、でも軽井沢に来てから肩肘張らなくなったというのが大きいと思う」。
「人は人の中にいると色々な顔を作る、でも自然の中では作れない」
今回の『神の涙』もそうだが、これからも自然をテーマに、舞台にした作品は増えていくのだろうか。「増えていくと思います。人は人の中にいるといろいろな顔を作れると思いますが、自然の中にいると作れないんです。自然の中では素の自分が出てきます。それと、この作品でも描いていますが、勇気を与えてくれるのは、やはり家族と友人だと思っています。一方で、僕は20代の頃は「人は一人で生きていく生きものだ」と思っていたタイプだったのですが(笑)。この変化はやっぱり大きいと思います」。
馳というと、どうしても酒、ゲーム、プロレス、サッカー、葉巻というイメージが強いが、今は自然の中でゆっくり犬たちと暮らすことが、一番の安らぎであり、一番興味があることのようだ。そして7年前に登山に初めてチャレンジし、その虜になり、忙しい合間を縫って度々山に出かけているという。「軽井沢に移住してきて、いつも犬の散歩をしながら写真を撮っている時、冬の浅間山がものすごくきれいだなと思ったのですが、ある日、モルゲンロートという、雪の斜面が太陽の光を受けて真っ赤に染まる現象を見たんです。そのあまりの美しさに感激して、下から見てこんなにきれいなんだから、上から見るとどうなんだろうと思ってしまったのが運の尽きです(笑)」。
作品に大きな影響を与えている登山の魅力は「達成感と自分の限界を更新できるところ」
人の“裏側”を描く名手が、「人は人の中では色々な顔が作れるが、自然の中では作れない。素の自分が出てくる」ということを再認識したのも、登山なのかもしれない。なにがそこまで馳を夢中にさせるのだろうか。「達成感です。登った者だけが目にすることができる風景の美しさも、達成感の中に入っています。あの森林限界を超えて、尾根に出た時の最初の達成感はたまらないです。そこから山頂までの尾根歩きの気持ち良さは他にはない。登山を始めて7年目ですが、だんだん体力もついてきて、そうするとどんどん難しい山に登れるようになって、自分の限界を更新できることが楽しいです。去年は奥穂高岳(標高3190m)という山に登ることができました。岩場の連続で遭難者も出るくらい難しい山です。実は僕は高所恐怖症なのですが、師匠に教わったこと、自分が知っていることを間違いなくやっていけば、絶対に登れると言い聞かせて挑戦しました。足元を見ると怖くて体が動かなくなるけど、難しい箇所をクリアする度に経験値が上乗せされていく感じが、面白いです。18歳で北海道から東京に出てきて以来、今が一番体力があると思います(笑)」。
酸いも甘いも経験済みであろう人気作家の口から、“達成感”“教わったことをきちんとやれば克服できると言い聞かせる”“難所をクリアし経験値が上乗せされていくのが面白い”という、ポジティブな言葉がポンポン出てくるのは意外だった。登山を人生に例える人も多い。苦しいが、その美しい風景や、途中に咲いている美しい草花や、意外な動物との出会い、そして同行者との会話、決して豪華ではないが格別に美味しい食事と、人を惹きつける色々な楽しみもあるのが登山だ。まさに人生の縮図かもしれない。
そんな登山に出会い、その人生がさらに豊かなものになった馳が、作家生活20周年を迎えて辿り着いた新境地が、シンプルかつ深い自然と人間の物語、『神(カムイ)の涙』だ。
<Profile>
はせ・せいしゅう 1965年北海道生まれ。横浜市立大学卒業。編集者、フリーライターを経て、96年『不夜城』で小説家デビュー。97年、同作品で第18回吉川英治文学新人賞を受賞。98年『鎮魂歌―不夜城II』で第51回日本推理作家協会賞、99年には『漂流街』で第1回大藪春彦賞をそれぞれ受賞し、ノワール小説の第一人者として多くのファンを持つ。しかし近年はノワール小説だけに留まらず、さまざまなジャンルの作品を発表し、高い評価を得ている。近著に『雪炎』『アンタッチャブル』『陽だまりの天使たち ソウルメイトII』『神奈備』『暗手』などがある。
https://news.yahoo.co.jp/byline/tanakahisakatsu/20170909-00075510/

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訪日外国人モニターツアー、マレーシアから11人 白老の魅力を満喫

2017-09-10 | アイヌ民族関連
苫小牧民報2017/9/9配信
 訪日外国人の受け入れ体制づくりに向け、白老町や観光協会などでつくる町観光誘客推進会議は6、7の両日、外国人旅行者のモニターツアーを行った。マレーシアから来日した11人は、町内でべこ餅や巨大パッチワーク作りに挑戦。講師を務めた地域住民との交流を通し、観光客らは白老の魅力を満喫した。
 2020年の民族共生象徴空間の開設に伴い、訪日外国人がこれまで以上に多く白老を訪れることを想定し、同会議が中心となって受け入れ体制づくりに向けた観光資源の再構築や商品化に取り組んでいる。
 今回、新たに企画した体験メニューは、北海道宝島旅行社が企画したツアーに組み込まれ、町民の日常生活の中にあるものをメニュー化した。
 6日に虎杖浜温泉ぬくもりの湯で行われた体験では、虎杖浜婦人会と虎杖浜越後盆踊り保存会がモニターツアー参加者を受け入れ、ピンクや黄色に着色した米粉の生地を木型に入れて成形するべこ餅を作ったり、輪になって越後踊りを体験した。
 7日は白老創造空間「蔵」で巨大パッチワークとバターナイフ作りを行った。みんなの心つなげる巨大パッチワークの会のメンバーを講師に、アイヌ文様刺しゅうに挑戦。チェーンステッチでアイヌ文様のほか、イニシャルと日付を刺しゅうした。今回作った刺しゅうは巨大パッチワークの作品に組み込まれ、象徴空間開設時に展示される予定だ。
 初めて北海道を訪れたチャオ・ギョク・チュウさん(68)は「刺しゅうは楽しいですね。べこ餅作りも楽しかったです。白老での体験は貴重な経験になりました」と話していた。
 同会議は「地元の人が主役になった体験メニューを今後も拡充していき、まち全体で外国人の受け入れ体制づくり、機運を高めていけたら」と話している。
https://www.tomamin.co.jp/news/area2/12129/


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北海道・釧路でマリモ保護する祭り

2017-09-08 | アイヌ民族関連
内外総合通信社2017/09/7
 北海道釧路市の阿寒湖温泉で10月8~10日、「第67回まりも祭り」が開催される。
 国の特別天然記念物で絶滅危惧(きぐ)種にも指定されているマリモを保護するため始まったとされる祭り。
 2日目、湖に浮かべた木船に乗ったアイヌ民族が特別な許可のもとマリモを採取する「まりもを迎える儀式」が行われる。その後、マリモを持った長老を先頭に約3㌔離れたアイヌの集落までの道のりをたいまつを持ったアイヌ民族らが行列する。
 アイヌ民族舞踊の競演や儀式が行われ、3日目に「まりもを送る儀式」でマリモを湖に返して、祭りは終わりとなる。
 問い合わせは、阿寒観光協会(電話0154-67-3200)へ。
http://nspress.com/contents/contents-a/1504742636.html

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