黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

 長野県東筑摩郡麻績村への移動運用(2010/05/21)

2012年03月21日 | アマチュア無線 移動運用

 

 私は長野県の小川村の運用終了後、『ポカポカ・ランド美麻』を過ぎた所から497号線に入り南下して金熊温泉の所を55号線に入るべき所を469号に入り八坂と言う大変勾配の有る九十九折の峠を越えて大きい川に出てから12号線に乗って山越えで麻績、筑北、麻績村と標識が変わる境界を通過し麻績村に入った。途中シェーンガルテンおみで休憩、麻績村の中心部で食料の調達をして403号線に乗換え聖高原方面に向かった。



  聖高原の聖湖の北側に大きい駐車場が有り、車を停めたがナビが千曲市付近を表示境界付近で微妙な位置だったので聖湖の南側まで下がり聖高原スキー場に入り大きい駐車場に入り車を停めた。誰も居なかったのでアンテナを設営していたら施設の人が現れ『誰かの許可を得ているのか?』言われたので『許可は貰っていないが許可が必要なら御願いするので許可を頂く所を教えて欲しい。』とお頼みすると其の方が直接電話をして下さり許可を貰って下さった。

 

 『土地の持ち主のO・Kは貰ったが?此処は夜、暴走族がよく集結する場所なので私として勧められない。もし暴走族が現れたら直ぐ此の場から引き上げた方が良い。』と忠告してくれた。既にアンテナは上げていたし運用時間は押し迫って居り、今から移動しての場所探しでは間に合わないと判断、此の場所で運用を始めた。小川村からの移動距離が有った事と、開始前の許可の問題で運用開始は遅れ19:28分のスタートとなっている。



 此処の場所の標高は1023mHで電波の飛びは抜群で開始早々から1分間隔の交信が始まった。交信が160局を超えた辺りの22:49分頃、突如、爆音を轟かせながら暴走族風の若者が走り込んで来た思うと直ぐに他の単車が現れ何か?奇声を上げ始めたので今日は金曜日、時間も時間だし危ないなと判断、直ぐQRT、サーチ・ライトを2個点灯、急いで撤収作業に入った。急に辺りが明るくなったので彼らもビックリしている様子で有ったが大勢終結すると どの様な展開に成るか?予測が出来ないので過去、最短時間で作業は終了、聖湖の横に戻り北方向(千曲市側)への九十九折の坂道を下った。途中シャコタンに改造した自動車がセンターラインを無視してタイヤの軋み音を出しながら坂道のカーブを駆け上がって行くのと何台も遭遇した。皆、先程の場所に集結するのだろう良い頃合に撤収できたと胸を撫で下ろした。



 平地に下り大きな川を渡り(多分千曲川と思うが)其の後、上新越自動車道の更埴ICから高速道路に入り夜中に木島平村に向かう事態と成った。色々アクシデントがあり残念ながら此の運用場所の写真は一枚も無い。

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長野県上水内郡小川村の移動運用(2010/05/20~21)

2012年03月21日 | アマチュア無線 移動運用

   

 


 私はついの移動運用地を目指し白馬村を出て大町街道(31号)を東進し「道の駅おがわ」の手前から36号線の山手にどんどん登っていくとアルプス展望広場があり北アルプスが一望できる場所がある。

 

 天気は良くなかったが此処からの眺めは最高で暫し景色に見惚れた。駐車場は広くロケーションも抜群だが宿泊設備が有り私有地の様に思われたので周りを見渡すと天体観測用のドームが見えたので(天体観測用の天文台が有る場所は基本的に360度の展望と低緯度の天体観測のため視野を遮る障害物は無く移動運用をするには条件的に最高の場所と言える)西に少し進むとトイレ付きの駐車場が有ったので写真の場所に車を停め運用をする事にした。この場所は海抜1003mH 高さ、ロケーション、広さ共に最高の場所であった。この場所での総交信数は372局、長野に入っての初めて納得いく数字が達成できた。



 此処での思い出はJL1ERJ/0(小原さん)JH0TVT(荒井さん)とアイボール出来た事、小原さんが見えた時は宵の口で国内コンディションの最高の時、QRV中だった事で挨拶も十分出来ない状態で大変申し訳なく思ったが『縁とは不思議なもの』で北海道からの帰りに鬼無里で再会、一泊させて戴いたし四国にも其れから2回ほど来ているので その度に会っている。

 

 彼は私よりだいぶん若い世代だが技術力や無線に対する情熱は高く私が何より尊敬する事は『確実な真摯なオペレート』全国に沢山の移動局は居るが移動運用中のオペレートを聞き長時間の受信に飽きる事の無い数少ない一人である。



 私を含めて移動運用に慣れてくると如何しても自我と言うか癖が出たり、驕りが出たりするものだが彼には其れが全く感じられない。移動した経験の有る人なら解ると思うが淡々とこなす中に彼のオペレートの上手さを感じる。その意味で会って無線の話をしたりオペレートを聞いて刺激を受ける一人で有る。



 JH0TVTさんは翌日のオペレート後に御会いした。荒井さんも私より若い世代 多分小原さんと同じ位と思うのだが明るい人で まさか小川村の天文台で「阿波踊り」を見るとは思っていなかったが上手に踊ったのには驚いた。其の後、2時間以上、立ち話をして親交を深め『是非、徳島に踊りに来て下さい。』と話して別れたが其の後、彼の強力な信号を聞く機会が少ない事は残念に思っている。



 運用地の写真は話に夢中に成り慌て撤収アンテナの両サイドを外してから写真を撮って居ないことに気付きシャッターを切ったもの 翌日は天気が良かったのか車の後に車内の物が日光浴をしている。

 



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今日のコンディションと御先祖様(2012/03/20)

2012年03月21日 | 日記

 

 今日は春分の日(彼岸の中日)実は2日前に家内から「お墓の掃除に行ってね」と言われていたのだが21日と思っていたら今年は閏年、1日 計算がずれていた、家内は本来火曜日が休みなのだが同僚が病気で入院、代わりの出勤となり朝から出勤、私は遊び人なので一人で行く事に成った。朝に私の日々の仕事と成って居る無線を聞いたがハイ・バンドの海外からの信号は入感なし(24MHz帯)



 10時頃 花屋さんに行き菊の花を買いお墓に向かう。我家のお墓は小高い山の頂上付近、何時もはきつい勾配の坂道で1回、立ち止まるのだが毎朝の散歩が効いているのか?今回は休み無しで一気に上がれた。


 半年振りに行くと落ち葉や草が早くも首を出し蔓延っていた。たいした量では無かったので手で雑草を抜き周りを軽く掃除して花を供え暫く思いに耽った。私が此の地に眠るのは、そう遠い先では無い。此れから先は何が有っても不思議で無い状況、体調の方は悪くは無いのだが其処彼処に衰えはハッキリと実感する。何時もは2~3分で山を下りるのだが今日は1時間程 其の場に佇んだ。



 帰りに実家の墓にお参り、久し振りに両親の顔と祖父母の顔を思い出した。母親は不幸にも交通事故で亡くした。道路を横断中、若い人が運転する車に跳ねられ、救急車で搬送される途中、心臓の鼓動がゆっくり成り家族の中で私一人が母親の臨終に立ち会う事に成ったが人間が悲しみの極限状態に成る時は涙が出ない事を知った。

 

 母親は昔風のただひたすら自分を殺し夫に仕えるタイプ 親父は結構厳しい人だったが夫婦仲は良かった。親父は92歳まで生きたが戦争を体験、この時代の人は皆そうだが激動の時代を走り抜けた人達だ。残念ながら農家の長男に生まれたが故に百姓で終わったが自由な身で有れば息子が言うのも何だが、其れなりの出世はしていただろう。見識、文を書いたり、特に毛筆の字は超一級で私も書を遣って師範の免許を持っているので ある程度の正しい評価が出来ると思うが同世代で親父を超える人に遭った事が無い(書道と言う事に成れば意味が少し違うのだが とても百姓の親父さんが書く字では無かった)



 祖父は飲み打つ買うの昔の遊び人、私達孫には良い爺さんだった様に思うが両親にとっては少し問題の有る2代目だった様だが博識で傾きかけた我家に子供の頃から経済新聞を取っていて昼間から新聞を2紙、日当たりの良い所で読み昼の2時が来ると近くの銭湯に行き帰りに酒屋に立寄り一杯遣るタイプ私が酒をのんでいる所を見つけて寄って行くと『父ちゃんには内緒ぞ!』と駄菓子を買ってくれたりした実利のある人で有った。祖母は近所の人が放送局と呼ぶ程、賑やかな人、私が無線をするように成ったDNAはひょっとすると祖母からの物かも知れ無い。



 墓参りから随分話が脱線したが何十年か後、息子が私の年頃に成った時、お墓参りに来て『うちの親父は夜昼の区別無くジャパン~ジャパンと叫んでいたなぁ~』等と思い出す事であろう。



 墓参りから帰り1時間半ほどウォーキング、其の後 24MHz帯に出て15:34JST~18:30JSTに掛けてヨーロッパを中心に28局と交信、内CWの交信は4局 信号は上がり下がりの激しいコンディションでは有ったが海外が平日の割にはDXコンディションが良かった様に思う。 

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