私の初めてのラジオとの出会いは一番上の兄のJA5CHQが中学2年生の頃に遡る 私と兄とは8才違いなので逆算すると小学校1年生頃と思うが我家にラジオと言えるかどうか解らないが鉱石検波方式のラジオが現れた。その頃の私は随分幼かったが、その形や色は今でもハッキリ思い出す事が出来る。横幅が20cm位で高さが10cm位奥行も10cm位で正面パネルは少し傾斜が掛かった形をして折、中央の上側に今で言うと小振りの管ヒューズの様な形をした左右にバネが付いていて灰色がかった小さな石の破片を挟む機構が有りその両側には円形をした目盛り版(多分 薄いアルミ板に印刷されていた様に思う)が有った様に思う。
如何なる事情で鉱石検波ラジオが我家に現れたか?私は知らないが子供心に初めて文明の機器に出くわした瞬間で有った様に思う。このラジオは後のゲルマニュムラジオの手前の代物、鉱石の検波作用を利用したものでコイルとバリコンで放送局の周波数に共振させ其れを直接検波して聴く構造なのでスピーカーを鳴らす事は出来ず外装がカーボナイトで出来ておりその中に組み込まれた鉄板が振動する事により音声を聞く今で言うヘッドホーンの様な構造で有った。聞いていると時々聞こえが悪くなり其の時は兄がバネに挟まれた鉱石の部分を動かせて調整すると正常に聞こえる様に成った。この時代はゲルマニュウムダイオードが存在していたかどうか解らないが有っても多分高価で庶民には高値の花で有ったのだろう。
私が小学校低学年の時、小学校の講堂にラジオの展示会が有り、其の時初めて色とりどりのプラスチックの細長いケースに入ったトランスレス方式の5球スーパーを見た。その頃には家に並4ラジオが有ったが古めかしい木製のケースに入ったもので電源はトランス式だったが其れも多分家の者が買った物でなく母親の実家から貰って来た物でないかと思う。とにかく「農家の子沢山の・・・・」で貧乏だったのか親が興味が無かったのかラジオやテレビの導入は世間一般より遅れていた。その中で兄は「新し物好き」とにかく何にでも興味が有り欲しい物が出来ると「寝ても覚めても」のタイプで手に入れる天才的な才能を持っていた。母方の里は江戸時代には田舎の国学者で苗字帯刀を許された家だったので我家より裕福で母はその家の兄弟の中では一番上で子供の頃、兄弟の面倒を見ていたので口に出す人では無かったが兄弟間では一目置かれていた。而して兄は母親の里の兄弟から見ると最初の甥、とにかく大事にされていた。私は冠婚葬祭時に行く程度だったが兄は自転車でよく行っていて叔父さんにも大事にされた様で その当時は珍しい空気銃を貰って帰っていたので多分、並4のラジオの経緯も其処らに有る様に思えた。
小学校の高学年の頃、兄が買って読んでいたと思うのだがラジオ関係の雑誌が有り子供心にコーラル・スピーカーとかパイオニアとかトリオのIFTなどの事を知っていたし実体配線図付きのラジオの記事にトキメキは感じていたので少なからず興味は有った様で有る。私が小学5年生位に成ると兄は社会人に成り当時は珍しかった飯盒型のトランジスターでラジオを組んでいて竹竿に銅線を巻いたアンテナを持って田んぼの中を言われる侭に移動したりしていた。私が中学校に成ると実習で並4のラジオを組んだが「門前の小僧勝手に経を読む」でたいした勉強はしていなかったが楽勝だった。其々のグループで組み上げて鳴らないラジオ等は先生が手直しするのだが(原因の追求を)生意気と思われるのが嫌で口には出さなかったが大概の原因は先生より先に解かったし学校の職業家庭の先生でもたいした事無いなと思っていた。その前後に我家の白黒テレビが故障し近所の電気屋さんが来て真空管を2本交換して20分間くらいの時間で修理を完了4500円の修理代を支払ったとき(高卒の初任給が7~8000円の時代)お金儲けも有るがこの時期に各家庭にテレビが普及して折、技術を持って入れば「食い逸れは無い」と思い 子供心に此れからは「電気の時代だな」と直感した。
中学3年生の時、我が家の経済状態では大学に進学出来ない事は分かっていたので二人の兄と同様に工業高校に進学して技術を身に付ける事は自分自身で決めていたし白衣に憧れて居たので化学科の受験を考えていた。その頃、偶々兄が5球スーパーで短波帯を受信していて7Mhz帯のA3電波による交信を受信したのを横で聞いて初めてアマチュア無線の存在を知った。その時の状況は今でもハッキリと憶えている。其の後、其の儘では局の分離が出来ずに数局が同時に聞こえてダイヤル操作も息を止めて選局する始末、不便なので2連バリコンの羽を1枚だけ残し後は全部取り去りメインバリコンにクリップで接続しスプレッドバリコンとして使用、少し選局しやすくして毎日聞いていた。多感な少年が夢中に成るのは極自然の成り行き最終進路は電気科に切替えて受験する事と成った。今考えると此の時のアマチュア無線との出会いは運命的に感じる。