1970年の9月頃からアマチュア無線を再開、FRー50BとFLー50Bのコンビで運用していたがこの時代はVHF帯での運用が多かった様に思う。勤務先は徳島市内であったので朝夕、其々40~60分の通勤時間があったので其の時間を利用してモービル運用を楽しんでいた。確かトリオのTRー1000やTRー5000の時代であった様に思うが私は仕事關係でタクシー無線(業務無線)の周波数が変わり廃棄処分の無線機を改造(水晶振動子を交換)して使用していた。終段は真空管で有った為、バッテリーからインバターで昇圧していたが其の頃のバイブレーター電源は接点を高速に切替ていたので(完全半導体化されていなかった)接点焼けが時々起きたり、作動中はピィ~ンと連続音が出て可也うるさかった事と電源S・Wを切り忘れたら直ぐに自動車のバッテリーをあげてしまう代物で有った。勤務先の技術職の先輩は全員アマチュア無線の資格を持って居たので通勤途上の道路の混み具合や警察の取締情報等を連絡し合っていた。
其の頃、兄はJRCのタクシー無線機を改造して(同じく水晶振動子を送受交換したスポット周波数)144MHz帯で運用していた。当時はメーカー製の本格的なトランシーバーが出回って居なかったし徳島の田舎では144MHzで運用する人も殆ど居らず其の後に呼び出し周波数に成った周波数で夜な夜なローカル・ラグチューをしていた。其のメンバーの中に庄野さん(JA5HT)が居て話をする機会があった。この方は隣町の人であったが全市全郡のコンテストで全国で優勝したり準優勝する実力の人でお空で声は聞く事が有っても、お声掛け出来ない程の雲の上の人で有ったが兄と歳が近かった事もあって兄とは知合いだった。
兄と庄野さんの接点は私が大阪に行っている間に知り合った様だが当時、各家庭には電話は引かれて居なかったが農協が推進していた有線電話(正しい字かどうか解らないが)が有り交換台を通して加入者同士の話が出来たり、町内の連絡事項を放送するシステムが有った。其の回線に兄の送信するA3電波が混入したか何かでの対応で地元の技術担当者では対応できず隣町の有線設備の技術面を担当していた庄野さんのお出ましで解決したらしく それ以来の付合いの様子、何かの機会に兄の車に同乗して御宅に伺い初めてゆっくり話をする機会が有り、それ以来親しい付合いが始まった。
庄野さんは私の事を「太郎、太郎」と呼び捨てにしたが弟の様に可愛がってくれたし、ほかのアマチュア無線をやっている人にも「わしの舎弟」と紹介してくれた。何か最初は第三者がヤクザの兄弟分の様に思わないか?気になったが此の辺では自身弟の事を舎弟と言う人も居たし、庄野さんも自身弟を舎弟と表現していたので安心して納得する事にした。
近所の局の噂話では気難しい人と聞いていたが気心が知れると何でも話が出来る人で有ったし、昔は叔父さんの経営する電気店で技術系の仕事して居たので共通の話題も多かったし其の時の取引の関係か?私の勤め先の会社の社長を「オヤジ、オヤジ」と呼んでいたし私としては少し有難迷惑であったが「彼奴はわしの舎弟なんで給料を上げてやって、宜しゅう頼むでよ」等と遠慮せずに平気で言っていた。
初めてお逢いしてから休日などに近くを通ると必ず訪問していたが行くと仕事をしていても必ず中断して無線談義に花が咲き、特にコリンズとDxとリニヤアンプの話に成るとエンジンが掛かり昼訪問すると夕食を御馳走に成り帰りは10時~12時は常で有った。その為私が行くと奥さんは何時も「太郎さんが来たから今日はお父さん仕事に成らないね」とよく言っていた。庄野さんはドチラカト言えばブッキラボウな話し方で御世辞や上手を言う人では無かったので深く付合わない人は気難しい人と感じたのかもしれない。
庄野さんのハイパワーは有名で其の信号を私が就職して居た大阪の寮で(21MHzで唸りっを上げて来ていたが)59プラスで聞いた事が有ったが私が大阪から帰った段階で(1970年頃)検証したら正体は4-1000Aパラレルの自作のアンプが部屋に鎮座していた。部品関係も倉庫の2階に上がると無線のジャンクが所狭しと並んで折、当時珍しかったセラミック球等、其処ら辺りに無造作に散らばっていた。しかし此の2階には誰でも入れず其処に上がれるまでに数年を要した。一度部品の入手先を聞いた事があったが其れだけは笑っただけで教えてくれなかった。
巷では「米軍の飛行機が飛んできてパラシュートで落として行く!」等と誠しやかに冗談が流れていたが故人と成った今、其の入手方法を確認する事は出来ない。無線とお酒が大好きな豪快な実に愛すべき人で有ったが夜中に電話が掛かって来て酒の飲めない私に「舎弟、今・・・のスナックで飲んでいるので今から出て来い。」の電話が掛かるのだけには閉口した。若くして逝き今、存命ならもっと大人の御付き合いが出来たのではと思うと残念で成らない。とにかく庄野さんと出会わなかったらDxを遣る事も無線の奥深さを知る事も無かったと思う。私は其の意味で無線の世界で庄野さん(JA5HT)と学生時代からの島さん(JA5BIF)の二人の良い師匠に恵まれたと思って感謝している。