先週の前半から出ていたPT0Sの信号がハイ・バンドでは余り強力に入感せず、交信の機会が無いまま本日に至っていた、最初の段階では14MHzと7MHzではマズマズの信号強度で聞こえていたが其の後は信号が弱く、呼べる段階では無く、又、ロングパスかショートパスか?の区別も付かない状態で悩んでいたが本日、7MHzで16:00jstを過ぎた頃から弱く聞こえ始め、JAが沢山呼んでいた。私の所では強く無かったが交信前の20分くらい前から599で入感し始めた。本体は7.0254MHzでUP~7KHzまで広がっていたがJAを中心にピック・アップしていた為17:11jstにコール・バックが有り交信が出来た。過去の運用では色んな周波数で交信実績は有ったがCWによるQSOの実績は無く、今回はCWでの交信を狙っていたので取敢えずホットしている。今回は余り差は無かったがロング・パスの方が強かった様に思えた。この場所は今後、上陸許可が難しいと噂されて折り、今後の運用が大変な場所、取敢えずCWでの交信を狙ったが明日からは18MHzか24MHzでの交信達成の為、頑張ろうと思っている。
V44KAO 11/18 22:33U 24MHz CW
E51C 11/19 07:20U 21MHz SSB
PT0S 11/19 08:11U 7MHz CW
JU850DA 11/19 08:23U 24MHz SSB
徳島に帰ったのが21歳、その後、29歳で結婚するまで独身時代は長かったが人並みに色んな事をしたが、やはりアマチュア無線に一番入れ込んでいた様に思う。当時(1970~1977)は講習会制度も出来てアマチュア無線の全盛時代、局数の増加とU,VHF帯の無線機の発達や、車社会の到来でモービル運用が大変盛んな時代であった。勤務先もアマチュア無線機器に参画する家電メーカーのサービス関係で有ったので若い社員は全員(20人位、居た様に思う)アマチュア無線の資格は持っていたので、朝夕の通勤時間帯は毎日無線で交信しながら会社に向かっていた様に思う。(一般社会においても通勤途上で現在と違い乗用車にアンテナを取り付けたモービル運用は非常に多かった様に思う。)ただ其れでもHF帯を運用している人は同じ部署には誰も居なかった。
私は自身の拘りから無線は「限りなく遠い場所との交信と、交信出来るかどうか?解らない不確実さに無線の面白さが有る。」と常々感じていたので144MHz帯のFMで運用するメンバーに一時、入っていたが何か違和感を感じ暫くして辞めてしまった。原因は毎日、顔を合わせて仕事をする連中と通勤時間まで話をする必要も無いし、何より四六時中、同じ連中と話していると話題が決まり気心が解っているだけに電話の代わりの感覚に成り、私が日頃、感じている無線とは異質な感じがしたからである。
家に帰るとHF帯でアマチュア無線を楽しんでいたが海外と交信する為には 上級を取る必要性を感じ最初に2級を受ける事にした。無線工学や法規に関しては問題は無かったが電信は運用していなかったので(電信級は持っていたが)此れにはマイッタ、CWの音響を聞き出すと数分で拒否反応が始まり、その数分後には眠たく成り、集中力が途切れ受信練習に集中出来ない状況によく落ち入った。CWの受信には余り自信がない状態で試験に臨み、相当緊張していたのだろう受信を開始して数文字書いた処で鉛筆の芯がポキリと折れた。「あちゃ~」である。予備の鉛筆は用意していたので持ち替えて書いていったが「何文字か空白が出来てしまった。」その後は必死で何も覚えて居なかったが、答案用紙を集める段階で「こりゃ 落ちたわ!」と実感した。帰りの松山からの帰り道、悔やんだこと悔やんだ事・・・・・・
予想に反して結果は合格通知が舞い込んだが現在でも「あれは何かの間違いで無かったのだろうか?」とその時の事を思い出す事がある。しかしながら御蔭様で「天下晴れて」14MHzの運用が出来る事と成った。
私は自身の拘りから無線は「限りなく遠い場所との交信と、交信出来るかどうか?解らない不確実さに無線の面白さが有る。」と常々感じていたので144MHz帯のFMで運用するメンバーに一時、入っていたが何か違和感を感じ暫くして辞めてしまった。原因は毎日、顔を合わせて仕事をする連中と通勤時間まで話をする必要も無いし、何より四六時中、同じ連中と話していると話題が決まり気心が解っているだけに電話の代わりの感覚に成り、私が日頃、感じている無線とは異質な感じがしたからである。
家に帰るとHF帯でアマチュア無線を楽しんでいたが海外と交信する為には 上級を取る必要性を感じ最初に2級を受ける事にした。無線工学や法規に関しては問題は無かったが電信は運用していなかったので(電信級は持っていたが)此れにはマイッタ、CWの音響を聞き出すと数分で拒否反応が始まり、その数分後には眠たく成り、集中力が途切れ受信練習に集中出来ない状況によく落ち入った。CWの受信には余り自信がない状態で試験に臨み、相当緊張していたのだろう受信を開始して数文字書いた処で鉛筆の芯がポキリと折れた。「あちゃ~」である。予備の鉛筆は用意していたので持ち替えて書いていったが「何文字か空白が出来てしまった。」その後は必死で何も覚えて居なかったが、答案用紙を集める段階で「こりゃ 落ちたわ!」と実感した。帰りの松山からの帰り道、悔やんだこと悔やんだ事・・・・・・
予想に反して結果は合格通知が舞い込んだが現在でも「あれは何かの間違いで無かったのだろうか?」とその時の事を思い出す事がある。しかしながら御蔭様で「天下晴れて」14MHzの運用が出来る事と成った。