昨日はアルバイトが有り終日出払っていた為、久振りにプチの新しい対象地との交信実績は無し、本日は早朝から7MHz帯を聞いているが比較的に珍しい対象地の10局と交信したが残念ながら新しい対象地は1箇所も無く全て交信済みの場所ばかりと成った。現在もバンド内を上に下に動きながら未交信の対象地を探しているが大きいパイル・アップも無く余り賑わっていない。バンド内も何かノイズぽくコンディションも今ひとつの感じで更に盛上りに欠けている。
全く無線と全然関係ない話題に成るが最近私は無線設備の有る部屋のカーペットの上に布団を敷いての一人寝の生活と成っている。元々 私は家内に言わせれば寝相が悪く(本人には自覚は無いが)夜中に布団を蹴っ飛ばすし時々『踵落とし』をするらしく其れをまともに喰らうと痛いし恐ろしくて落ち着いて寝る事が出来ないとの理由で体裁よく追い出された。無線を好きな時間に思う様に出来る事は有難いのだが今年の様な寒い年は就寝時に冷めた布団に入ると自熱で温まるまで時間が掛かり中々寝付けない。
この前に息子がインフルエンザにかかった時に家内が「湯タンポ」を出していたのを見付け昔の子供時代を思い返し此れを利用する事を思いついた。私の子供時代は暖房寝具も無く母親が大羽釜で湯を沸かしブリキ製の湯タンポに湯を入れて布団の中に入れてくれた。此れは結構理に叶った物で時間と共に少しずつ温度が下がって行き便利なもので有ったが難点は結構火傷する事が多く私や上の姉などには未だに其の火傷の跡が残っている。同世代の人なら誰しも経験の有る事であろう。少し時代が進むと「豆炭アンカ」と呼ばれる物が現れ弁当箱の大きいものに石綿が敷き詰められた容器に豆炭を入れて暖を取るもの湯タンポと比較して暖かさの持続時間が圧倒的に長く翌日の昼過ぎまで十分に暖かかった様に覚えている。今でも製造されているのだろうか?
私の今使用している湯タンポはポリエチレン製(子供用なのか内容量は3L)なので火傷をする可能性が少なく便利なのだが内容量の加減か?残念ながら朝4時位に成ると湯が冷めてしまい暖かさの持続時間が心持ち短い。少々不満は有るが昔を思い出し結構気に入って使用している。今は「おくど」や「大羽釜」等は死語の時代に成ったが大きいヤカンで湯を沸かし「湯たんぽ」に湯を入れている時、子供の頃、湯たんぽの口金に漏斗を差し入れ動かない様に母親が固定した処に慣れない手付きで柄杓を使い湯を入れた情景などを思い出した。
母親が亡くなって間も無く20年に成ろうとしているが久振りに母親の若い頃の顔を思い出した。現在の様に物が溢れる事の無い貧しい時代で有ったが其の様な時代でも此の様な事を通し母親の愛情を感じ成長をして来た様に思う。今は物が溢れた時代、私の子供達は便利な幼少時代を送っているが私と同じ世代に成った時、子供時代の両親をこの様に思い返す事が有るのだろうか?現代は今更湯タンポの時代では無いのだが使用しながら最近そんな事感じた。