四国八十八箇所霊場の第七番札所の「十楽寺」は大同年間に弘法大師が此の地を巡教して逗留された時に阿弥陀如来を感得し、如来像を刻んだのが本尊として祀られたと伝えられて居る。其の際に大師は生・老・病・死などの人間として避ける事の出来ない苦難に、10の光明と、輝く楽しみが得られる様にと「光明寺十楽寺」の寺名を授けたといわれる。創建から暫くは此の阿波の北方きっての広大な七堂伽藍を誇っていたが天正10年(1528年)長宗我部元親による兵火で全ての堂塔が消失した。幸い本尊は時の住職が背負い出して難を免れ後の寛永12年(1635年)に現在の地に移り再建されたと云う。
明治時代に成り本堂が再建され、本格的な大師堂、書院などを整え、更に平成6年には立派な本堂を建立して居る。上段最初の写真は山門(竜宮門)其の山門をくぐると直ぐ正面に水子地蔵(二番目の写真)がある。
三番目の写真は本堂左前にある「治眼疾目救済地蔵」は古くから眼病、失明した人達に霊験があるとされ眼病に悩むお遍路さんの参詣が多く尊像の前には熱心に祈る人の姿がよく見られる。此の寺には宿坊もあり第1番札所の「霊山寺」から歩きの「お四国巡礼」だと調度此の辺りで一泊目と成るのだろうか?私達は車で廻ったので夕方少し前には第9番札所の「法輪寺」までの納経を済ませたが此れが歩きだと本当に大変な事であろうと想像出来る。此の冬の最中でも何人かの歩きのお遍路さんを私達は車で追い越して行ったが「ご苦労さまです。道中お気を付けて」と自然に祈る気持ちと歩きでの「お四国巡礼旅」と私達の様な安易な自動車に寄る「お四国巡礼」では最終的に得るものが随分違うのだろうなぁと思った。