パオと高床

あこがれの移動と定住

江戸川乱歩「心理試験」(『江戸川乱歩全短編Ⅰ』ちくま文庫)

2011-11-18 22:42:47 | 国内・小説
「D坂の殺人事件」に続いて、有名な乱歩短編小説の傑作。
この小説は文庫版の『ちくま日本文学全集・江戸川乱歩』にも収録されている。『ちくま文学全集』は、早い時期に、尾崎翠を初めとする、読みたくてもなかなか手軽に読めなかった作家を多く集めたすぐれものの全集である。装幀は安野光雅。福岡の県立美術館で「安野光雅の絵本」展という展覧会が開催されていて、一週間ほど前に行ったのだが、楽しくて時の経つのを忘れた。

で、「心理試験」。
まず、「D坂」でも書いたが、乱歩の小説にある、大正時代の東京の人が暮らす街の空気が、魅力的だ。そして、乱歩の語り口は、そこを一緒に移動させてくれる。主人公、蕗屋清一郎の侵入場面。

  老婆の家は、両隣とは生垣で境した一軒建ちで、向こう側には、ある
 富豪の邸宅の高いコンクリート塀が、ずっと一丁もつづいていた。淋し
 い屋敷町だから、昼間でも時々はまるで人通りのないことがある。蕗屋
 がそこへたどりついた時も、いいあんばいに、通りには犬の子一匹見当
 らなかった。彼は、普通にひらけば、ばかにひどい金属性の音のする格
 子戸をソロリソロリと少しも音をたてないように開閉した。

語りから臨場へ、連れていってくれる。
この小説は倒叙探偵小説だから、犯人はわかっている。あとは、その犯人のアリバイがどう崩されるかが作家の腕の見せどころなのだが、それには作家の表現力に魅力がないと読者はついて行けなくなる。

さらに、引用。冒頭、語りはこう始まる。

  蕗屋清一郎が、なぜこれからしるすような恐ろしい悪事を思い立った
 か、その動機についてはわからぬ。またたとえわかったとしても、この
 お話には大して関係がないのだ。

語りものであり、「お話」なのだということをいきなり宣言して、その話の中心に誘う。動機が重要ではないのだ、これは犯人の犯行を証す「心理試験」なのだ、と。で、ありながら、動機について触れていく。この動機は、ドストエフスキーの『罪と罰』から持ってきている。大金を持っている老婆から大金を奪うこと、それは、

  あのおいぼれが、そんな大金を持っているということになんの価値が
 ある。それをおれのような未来のある青年の学資に使用するのは、きわ
 めて合理的なことではないか。

となり、

  彼はナポレオンの大掛りな殺人を罪悪とは考えないで、むしろ讃美す
 ると同じように、才能のある青年が、その才能を育てるために、棺桶に
 片足ふみ込んだおいぼれを犠牲にすることを、当然のことだと思った。

と、身勝手な思想を展開する。『罪と罰』の一人を殺せば殺人だが、ナポレオンのように大量殺人を国家として行えば英雄になるといった言い回しの本歌取りである。もちろん、ドストエフスキーはそこからの呵責を小説として展開させたし、推理小説では笠井潔は、この動機づけを思想的に掘り下げて、傑作を著した。乱歩は、短編であるこの小説では、ここに拘泥しない。ただ、年譜にドストエフスキーを読むと書かれているように、それを小説の中に取り入れて活かしている。
そんなところにも面白さを感じながら、小説は、ペーパーでの心理試験での心理分析と、その心理試験を実践化してみせる心理に仕掛ける罠とを描き出す。
古畑仁三郎がコロンボによって生まれたように、コロンボは探偵小説の築き上げた歴史によって生まれ、その沃野に江戸川乱歩はいる。もちろん、その乱歩は探偵小説の黄金時代を滋養として、日本の探偵小説史上に屹立している。
蕗屋と明智の心理合戦は、裏をかく蕗屋の、その裏の裏をかく明智によってお見事という終わり方をする。
「D坂」でも引用されていた心理学者ミュンスターベルヒに触れながら、「ミュンスターベルヒは、心理試験の真の効能は、嫌疑者が、ある場所、人、または物について知っているかどうかを試す場合に限って、決定的だといっています」ということばが心に残る。
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