そうか、ガーシュウィンか。
で、一気読みできる本を読みたいなと思って読んだ一冊。
舞台はアメリカ、ニューヨーク。大統領選のあと、よもやの共和党大統領がヘイトスピーチをガンガンやりまくって当選。
アメリカ国内では白人至上主義者が移民への差別を助長させる。
分断化の加速。
そんな中、ピアニスト、エドワードは、
ショパン・コンクールで平和をめぐる「五分間の奇跡」を行った岬洋介とピアノの二台連弾による「ラプソディー・イン・ブルー」のコンサートを企画する。
そのカーネギーホールでのコンサートへの流れがストーリの中心線である。
そこに大統領を暗殺しようとする〈愛国者〉という人物が絡んでくる。
「音楽で暴力に立ち向かおうというのかい。それはファンタジーだよ」
「音楽には暴力に比肩する力があります」
岬の言葉は静かだが自信に満ち溢れている。聞いていると、知らず知らずのうちに胸の底へするすると入り込んでくる。
「音楽に力があるのは古今東西の為政者が認めています。慰撫するメロディ。鼓舞するリズム。だからこそプロバガンダに利用されたり、
逆にミュージシャンが利用されるのを怖れたりしているんです。コンサートを中止させようとしている人たちも同じなのですよ」
こんなコンサートをめぐるやり取りがある。
そういえば、村上龍の『五分後の世界』にもミュージシャンが出てきた。
あの小説では、ボクは、勝手に、ミュージシャンを坂本龍一ってイメージしていたけど。
坂本自身は「音楽の力」という言い方は確か、嫌っていたような。
「力」じゃないんだよな。それ自体を別のことばにすることがたぶん、あるんだよな。
しなければならにという「ねばならない」じゃなくって、べつの、ことばが要請されるっていうか、
そんな、ことばにされることを、求めているっていうか。
あっ、中山七里の、この小説、ガーシュウィンを聴きたくなりました。
確かに、「いまこそ」、ガーシュウィンかも。
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