今日は教室の定休日でした。それで、ちょっと面白いイベントがあることを知ったので出かけることにしました。
小田急線で新松田駅へ向かい、そこで向かいの松田駅からJR御殿場線に乗って沼津方面に2駅行った山北駅で下車し、改札を出て線路を渡った先にある山北鉄道公園で《D52奇跡の復活祭》というイベントが開催されていました。
明治5(1872)年に新橋駅を起点として開通した東海道本線は、明治22(1889)年に国府津~浜松間が開業しました。ただし、昭和9(1934)年に難工事を極めた丹那トンネルが開通して熱海~沼津間が営業運行を開始するまでは、現在の御殿場線が東海道本線でした。
D52型蒸気機関車は、有名なD51よりも馬力を増すために大型に作られ、主に貨物用として運行されていました。ただ、現御殿場線は山間部を通るためにかなりの馬力を必要としていたので、格段に馬力を誇るこのD52が客車も引いていたようです。ただ、D52は戦時中の物資不足の中での突貫工事で製造されたものが多かったため、ボイラーの爆発事故をたて続けに起こしたりしたこともあって、多くが廃車の憂き目にあってしまいました。現在、完全なかたちで残されているD52は全国で7台のみだそうです。
山北駅にはかつて鉄道車区があったため、その跡地が鉄道公園として整備され、そこにこのD52が静態保存されていました。
実は日本各地の公園や博物館に蒸気機関車が静態保存されているのには理由があります。現在でも大井川鉄道や磐越西線、真岡鐵道といった一部の路線で企画的にSLを走らせていますが、仮にその機関車に何らかの不具合が生じた場合、その静態保存されている機関車から部品を抜き取って使うためなのです。
何とも気の毒な話なのですが、幸か不幸かこのD52型は先にも書いたような理由で早々に運行が取り止められ、その後復活されることがなかったために完品で残されていました。それを、数年前に動かそうという計画が立てられ、様々な改造を経て今日の日を迎えることとなったわけです。
動かす…と言っても実際の軌道上を走らせて営業運行させるわけではなく、鉄道公園内に敷設された10m余りのレール上を前後に移動するだけでした。なので、ボイラーに石炭をくべて蒸気で動かすわけではなく、通常ならば燃料である石炭を積載する炭水車の部分に大型のコンプレッサーを2台搭載して、そこから送られてくる圧縮空気の力で機関車を動かすようになっていました。
式辞の後、汽笛一声と共にガシャガシャン!!という、とてつもなく大きな鉄の塊が動き出す音と共に機関車がゆっくりと前進すると、居合わせた観衆から
「おお~っ!」
というどよめきのような歓声が上がりました。特に小さな子供たちは蒸気機関車そのものを見るのも始めてだったかも知れませんから、ましてそれが実際に動く様を目の当たりにしたことですっかりテンションMAXになってしまい、盛んに歓声を上げていました。
現在、動態保存されているD52は全国でこの1台だけだそうです。今後も様々なシチュエーションで運行されるようですので楽しみです。
小田急線で新松田駅へ向かい、そこで向かいの松田駅からJR御殿場線に乗って沼津方面に2駅行った山北駅で下車し、改札を出て線路を渡った先にある山北鉄道公園で《D52奇跡の復活祭》というイベントが開催されていました。
明治5(1872)年に新橋駅を起点として開通した東海道本線は、明治22(1889)年に国府津~浜松間が開業しました。ただし、昭和9(1934)年に難工事を極めた丹那トンネルが開通して熱海~沼津間が営業運行を開始するまでは、現在の御殿場線が東海道本線でした。
D52型蒸気機関車は、有名なD51よりも馬力を増すために大型に作られ、主に貨物用として運行されていました。ただ、現御殿場線は山間部を通るためにかなりの馬力を必要としていたので、格段に馬力を誇るこのD52が客車も引いていたようです。ただ、D52は戦時中の物資不足の中での突貫工事で製造されたものが多かったため、ボイラーの爆発事故をたて続けに起こしたりしたこともあって、多くが廃車の憂き目にあってしまいました。現在、完全なかたちで残されているD52は全国で7台のみだそうです。
山北駅にはかつて鉄道車区があったため、その跡地が鉄道公園として整備され、そこにこのD52が静態保存されていました。
実は日本各地の公園や博物館に蒸気機関車が静態保存されているのには理由があります。現在でも大井川鉄道や磐越西線、真岡鐵道といった一部の路線で企画的にSLを走らせていますが、仮にその機関車に何らかの不具合が生じた場合、その静態保存されている機関車から部品を抜き取って使うためなのです。
何とも気の毒な話なのですが、幸か不幸かこのD52型は先にも書いたような理由で早々に運行が取り止められ、その後復活されることがなかったために完品で残されていました。それを、数年前に動かそうという計画が立てられ、様々な改造を経て今日の日を迎えることとなったわけです。
動かす…と言っても実際の軌道上を走らせて営業運行させるわけではなく、鉄道公園内に敷設された10m余りのレール上を前後に移動するだけでした。なので、ボイラーに石炭をくべて蒸気で動かすわけではなく、通常ならば燃料である石炭を積載する炭水車の部分に大型のコンプレッサーを2台搭載して、そこから送られてくる圧縮空気の力で機関車を動かすようになっていました。
式辞の後、汽笛一声と共にガシャガシャン!!という、とてつもなく大きな鉄の塊が動き出す音と共に機関車がゆっくりと前進すると、居合わせた観衆から
「おお~っ!」
というどよめきのような歓声が上がりました。特に小さな子供たちは蒸気機関車そのものを見るのも始めてだったかも知れませんから、ましてそれが実際に動く様を目の当たりにしたことですっかりテンションMAXになってしまい、盛んに歓声を上げていました。
現在、動態保存されているD52は全国でこの1台だけだそうです。今後も様々なシチュエーションで運行されるようですので楽しみです。