今日は二宮町の教室に向かう前に、バスで平塚市に寄りました。
先日のエナジーチャージツアー(笑)で、今まで立ち寄ったことの無かった平塚の霊場を巡りましたが、その時に教えて頂いた場所のひとつが平塚八幡宮の近くにあるため、今日も参詣することにしました。
やって来たのは《大光不動堂》という小さな不動堂です。この御堂は今から400有余年前、山城の國は醍醐三宝院の修験者大光上人の創杞と伝わります。御本尊の不動明王は大光上人の自作とされ大変霊験新たかだったため、『不動大門のお不動様』として地元の方々に篤く信仰され、一時はそれなりの寺域を誇っていたということです。
しかし、昭和20年7月の平塚大空襲で堂宇を失ってしまい、その後久しく再興されずにいたそうですが、昭和44年にこの小さな不動堂が完成し、現在に至るのだそうです。
このお不動様が如何に地域の方に愛されているかということは、不動堂に面した通りに

『不動会』という町内会名が刻まれていることからも想像がつきます。御堂の前にはいつも花が供えられ、参拝者が近づくと自動で照明が点灯して中のお不動様のお姿が拝見できるようになっていたりというところからも、地域の人からの愛着が伝わってきます。
こうした、日々人々から愛されている御堂というところは、それだけで暖かいエネルギーを持っているようです。僭越ながら堂前で読経して御真言を唱え奉った時、それまで強く降っていた冷たい雨がピタリと止んで、何処からか暖かな風が吹いてきました。ああ、受け入れて頂けたのかな…と、ちょっと嬉しくなった瞬間でした。
平塚駅からも程近いところにあるので、これからも折を見て参詣しようと思います。
先日のエナジーチャージツアー(笑)で、今まで立ち寄ったことの無かった平塚の霊場を巡りましたが、その時に教えて頂いた場所のひとつが平塚八幡宮の近くにあるため、今日も参詣することにしました。
やって来たのは《大光不動堂》という小さな不動堂です。この御堂は今から400有余年前、山城の國は醍醐三宝院の修験者大光上人の創杞と伝わります。御本尊の不動明王は大光上人の自作とされ大変霊験新たかだったため、『不動大門のお不動様』として地元の方々に篤く信仰され、一時はそれなりの寺域を誇っていたということです。
しかし、昭和20年7月の平塚大空襲で堂宇を失ってしまい、その後久しく再興されずにいたそうですが、昭和44年にこの小さな不動堂が完成し、現在に至るのだそうです。
このお不動様が如何に地域の方に愛されているかということは、不動堂に面した通りに

『不動会』という町内会名が刻まれていることからも想像がつきます。御堂の前にはいつも花が供えられ、参拝者が近づくと自動で照明が点灯して中のお不動様のお姿が拝見できるようになっていたりというところからも、地域の人からの愛着が伝わってきます。
こうした、日々人々から愛されている御堂というところは、それだけで暖かいエネルギーを持っているようです。僭越ながら堂前で読経して御真言を唱え奉った時、それまで強く降っていた冷たい雨がピタリと止んで、何処からか暖かな風が吹いてきました。ああ、受け入れて頂けたのかな…と、ちょっと嬉しくなった瞬間でした。
平塚駅からも程近いところにあるので、これからも折を見て参詣しようと思います。