今日は先帝の御誕生日です。とは言うものの特にこれといった予定も無いため、ちょっと気になっていたところへ行ってみることにしました。
先日の日曜日に、発表会のために来た東急田園都市線の梶ケ谷に再びやって来ました。本来ならばここから御不動様へお詣りに行こうと思っていたのですが、駅前から一定方向の沿道に『都筑橘樹酉歳地蔵菩薩御開帳』という真っ赤な幟旗が立てられていることに気づいたのです。
点々と続く赤い幟旗の後を追って行くと、辻角に笹ノ原地蔵堂が突然現れました。こんなところに…と思って眺めていたら、御堂の中に世話人の方々がい入堂を促して下さいました。
中には古びた地蔵菩薩の石仏が安置されていました。ぱっと見ただけでも地域の人たちに大切にされてきたことが分かる御像です。
世話人の方のお話では、ここを含めた都筑橘樹酉歳開帳地蔵菩薩霊場は江戸時代中頃に成立したという伝承があるのだそうです。
当時、天保の大飢饉や相次ぐ洪水等によって人々の生活は困窮し、世情は不安定の極みでした。そんな中で人々の心情を安定させて生業に励み立ち上がらせるための一環としてこの地域に地蔵信仰が発生しました。
人々は念仏を唱え、現在と未来との二世に渡っての安寧を祈念するようになりました。それが地域的に拡大していき、都筑郡や橘樹郡の二十五か寺の僧侶らによって地蔵尊像が建立され、都筑橘樹酉歳開帳地蔵菩薩の霊場となったのだそうです。
ここで第一の残念。
御堂の傍らではお地蔵様の御札や御灯明が売られていたのですが、何と御朱印の受け付けもしていたのです。しかし、こんな時に限って家に御朱印帳を忘れてきた私…。
なんだよ~、折角御朱印コレクション(コラコラ…)を増やせるチャンスだったのに…( ω-、)。
この酉歳開帳は来月8日まで開催されています。これが過ぎると、次回御開帳は次の酉年になるのだそうですが、この二十五か寺というのがなかなか離れているので、自力の移動手段が無い私には、とても全山踏破は難しいと思います。
さて、地蔵堂を後にして今日の目的地に向かうことにしました。
国道246号を渡った先に、
真新しい、そしてとても長い御堂が見えてきました。こちらが今日の目的地である別格本山大明王院、通称《身代り不動尊》です。
こちらの創建は江戸元禄時代と言いますから、先程のお地蔵様よりも少し前ということになります。ただ、創建の事情はよく似ています。
かつてこの地域に悪疫が大流行し、多数の犠牲者が出たのだとか。その窮状を憂えた祐天上人がこの地に不動明王を祀ることを勧め、創建されたのが当寺なのだそうです。
その後、長きに渡って人々の信仰をあつめて来ましたが、明治新政府の発布したいわゆる神仏分離令によって一時は衰退のききにあったようです。それでも地元の方々の尽力によって守られた不動明王は明治後期に再びこの地に祀られ、現在に至るのだそうです。
私が入堂した時に丁度護麻焚き法要が始まるところでしたので、ちゃっかりお邪魔して参列させて頂きました。
と、ここで第二の残念。
御不動様は8の付く日が御縁日なのですが、今日は29日…つまり昨日来れば御開帳があったわけです。
なんだよ~、普段はちゃんと意識して覚えていることなのに…(;ω;`*)。
そして、まさかの第三の残念。
この大明王院を始めとした武相二十五不動尊の酉歳特別開帳が行われることになっているということでした。しかし、それが始まるのが5月1日から28日まで…つまり明後日からなのです。
なんだよ~、そんなことなら明後日から来たのに…(*T^T)。
御縁日は逃すわ、特別開帳はまだだわ、知らなかったとは言いながら何だかもう踏んだり蹴ったりです。
大体、お寺周りをするのに御朱印帳を忘れてきた辺りから既にダメダメなのですが、せめて御不動様だけでも御開帳期日内に行けそうなところはチャレンジしてみようと思ったのでありました。
先日の日曜日に、発表会のために来た東急田園都市線の梶ケ谷に再びやって来ました。本来ならばここから御不動様へお詣りに行こうと思っていたのですが、駅前から一定方向の沿道に『都筑橘樹酉歳地蔵菩薩御開帳』という真っ赤な幟旗が立てられていることに気づいたのです。
点々と続く赤い幟旗の後を追って行くと、辻角に笹ノ原地蔵堂が突然現れました。こんなところに…と思って眺めていたら、御堂の中に世話人の方々がい入堂を促して下さいました。
中には古びた地蔵菩薩の石仏が安置されていました。ぱっと見ただけでも地域の人たちに大切にされてきたことが分かる御像です。
世話人の方のお話では、ここを含めた都筑橘樹酉歳開帳地蔵菩薩霊場は江戸時代中頃に成立したという伝承があるのだそうです。
当時、天保の大飢饉や相次ぐ洪水等によって人々の生活は困窮し、世情は不安定の極みでした。そんな中で人々の心情を安定させて生業に励み立ち上がらせるための一環としてこの地域に地蔵信仰が発生しました。
人々は念仏を唱え、現在と未来との二世に渡っての安寧を祈念するようになりました。それが地域的に拡大していき、都筑郡や橘樹郡の二十五か寺の僧侶らによって地蔵尊像が建立され、都筑橘樹酉歳開帳地蔵菩薩の霊場となったのだそうです。
ここで第一の残念。
御堂の傍らではお地蔵様の御札や御灯明が売られていたのですが、何と御朱印の受け付けもしていたのです。しかし、こんな時に限って家に御朱印帳を忘れてきた私…。
なんだよ~、折角御朱印コレクション(コラコラ…)を増やせるチャンスだったのに…( ω-、)。
この酉歳開帳は来月8日まで開催されています。これが過ぎると、次回御開帳は次の酉年になるのだそうですが、この二十五か寺というのがなかなか離れているので、自力の移動手段が無い私には、とても全山踏破は難しいと思います。
さて、地蔵堂を後にして今日の目的地に向かうことにしました。
国道246号を渡った先に、
真新しい、そしてとても長い御堂が見えてきました。こちらが今日の目的地である別格本山大明王院、通称《身代り不動尊》です。
こちらの創建は江戸元禄時代と言いますから、先程のお地蔵様よりも少し前ということになります。ただ、創建の事情はよく似ています。
かつてこの地域に悪疫が大流行し、多数の犠牲者が出たのだとか。その窮状を憂えた祐天上人がこの地に不動明王を祀ることを勧め、創建されたのが当寺なのだそうです。
その後、長きに渡って人々の信仰をあつめて来ましたが、明治新政府の発布したいわゆる神仏分離令によって一時は衰退のききにあったようです。それでも地元の方々の尽力によって守られた不動明王は明治後期に再びこの地に祀られ、現在に至るのだそうです。
私が入堂した時に丁度護麻焚き法要が始まるところでしたので、ちゃっかりお邪魔して参列させて頂きました。
と、ここで第二の残念。
御不動様は8の付く日が御縁日なのですが、今日は29日…つまり昨日来れば御開帳があったわけです。
なんだよ~、普段はちゃんと意識して覚えていることなのに…(;ω;`*)。
そして、まさかの第三の残念。
この大明王院を始めとした武相二十五不動尊の酉歳特別開帳が行われることになっているということでした。しかし、それが始まるのが5月1日から28日まで…つまり明後日からなのです。
なんだよ~、そんなことなら明後日から来たのに…(*T^T)。
御縁日は逃すわ、特別開帳はまだだわ、知らなかったとは言いながら何だかもう踏んだり蹴ったりです。
大体、お寺周りをするのに御朱印帳を忘れてきた辺りから既にダメダメなのですが、せめて御不動様だけでも御開帳期日内に行けそうなところはチャレンジしてみようと思ったのでありました。