ゲートボール(GB)日記

まちなかの公園でGBを楽しんでいます。GBは老若男女一緒に楽しめる数少ないスポーツの一つです。まちびと

思い出の中のゲートボール(GB)仲間2

2022年07月02日 | Weblog
大会に私達のチームに入って出場した別の自治会老人会所属の1歳年上の人は、隣の区にいたときからGBをやっており、私達の町に引っ越してきてからは別の公園でGBをやっていました。彼が来たときはすでに彼が所属する老人会のGB部は崩壊し、彼は90歳ぐらいの大先輩と二人で練習をやっていました。彼の審判資格は3級でした。

私達の公園で一緒に練習をやろうと提案すると、自分達の公園でやっていないと、場所を失うから頑張ると言いました。彼は再び部員が増えて自分のチームを編成できる日を夢見ていたのではないでしょうか。

私は毎火曜日に彼の公園でGBをやり、彼は毎金曜日、私達の公園でGBをやるようにしました。

8時半ごろ彼の公園に行くと彼は早めに来ていて竹ぼうきでコートをならしていました。公園内にある野球場の一角を使っていました。ラインはリールに巻いた細いひもを使っていました。

毎火曜日午前中はグランドゴルフ部が野球場の大半を使ってグランドゴルフをやっていました。近年はグランドゴルフの方が人気があるようで大勢の人が集まっていました。少数のゲートボールと対照的でした。

90歳ぐらいの大先輩が来なくなってからは彼と私の二人で練習試合をやりました。たとえば1回戦は私が赤5役を持ち、彼が白5役を持ちました。2回戦は彼が赤、私が白というようにしました。1回戦と2回戦の間に雑談の時間を設け、ゲートボール談義しました。このやり方で練習試合をすると、作戦は自分で考えなければなりません。二人練習試合はいいものだと思いました。私達は真剣に勝負しました。火曜日午前中は密度が濃く、充実していたと思います。

二人しか集まらないとこれではゲートボールにならないと言って練習試合をやりたがらない人がいますが、二人練習試合の効用を知らない人だと思います。

その彼も、白血病が悪化して長く入院することが多くなり、一緒に練習試合をやることが少なくなりました。残念なことに彼は数年前の冬、亡くなってしまいました。火曜日が空白の日になってしまいました。
(注)月木金午前中は私達のGB部の練習試合、水午前中は区GB連合のGB教室がありました。現在はGB教室に行っていません。水も空白の日です。


思い出の中のゲートボール(GB)仲間1

2022年07月02日 | Weblog
過去9年の間に多くのGB仲間がいなくなりました。

私がGBを始めた当時、部員ではなかったが、大会にはうちのチームから出場した町の人が2名いました。同じ町の別の自治会に所属する人で、別の公園で練習をしていましたが、5人チームを編成することができず、うちのチームに入って大会に出ていました。

一人は私より1歳年上で、GB歴は私よりはるかに長い人でした。しかし不運にも最近白血病で亡くなってしまいました。非常に思い出深い人だったので、後ほど詳しく思い出を書きたいと思います。

今回はもう一人の人に関する思い出を書きたいと思います。

この人はすでに90歳ぐらいでした。若い頃は区のGBの先達で、自分のチームや私のチームの指導だけでなく、区GB連合のGB振興に大きく貢献したそうです。しかし、90にもなると、思考力、視力、聴力、体力が衰え、打撃、作戦ともに下手になり、その上、試合中、自分のボールを見失い、自分がコールされると、「僕のボールはどこ」と言うありさまで大会はもう無理でした。見るにみかねて私がコート内に入って彼に彼のボールを教えると私は審判に怒鳴りつけられました。親睦の大会なのに審判はきついなあと思いました。

昔はこの方は一人自腹で非常に授業料が高いGB教室に参加し、区の最初のGB指導者になったそうです。チームの育成、大会の運営に熱心で、彼のおかげで区のGBは大発展したそうです。

90歳ごろ、彼は、同じ自治会のもう一人の人と二人で彼らの公園で練習をやっていました。私は火曜日午前中暇だったので、毎火曜日、彼らの公園に行って3人で練習をしました。しかし90歳ぐらいの人はますます体が衰え、とうとう練習にも来なくなりました。大会にも出ず、連合にも顔を出さず、やがて連合を退会しました。世代が代わり、彼を思い出す区GB連合の役員はいないでしょう。

いろいろとお話を聞きたかったのですが、寡黙で、本人よりもほかの人から彼の昔の活躍ぶりを聞くことができただけで関係が終わってしまいました。今はもう一人の人が亡くなり、彼に関する情報がなくなりました。生きているのか亡くなったのかもわかりません。