じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

「山谷ブルース」の原作者

2019-10-08 10:33:28 | Weblog
☆ 同じく京都新聞「地域プラス」のコーナー。「山谷ブルースの真実」と題して、その原作者に迫っている。

☆ 「フォークの神様」と呼ばれる岡林信康さんのデビュー曲「山谷ブルース」。岡林さんのオリジナルかと思っていたが、原作者(あるいは原案者と言った方がよいかな)がいるという。

☆ 表に出ることを好まない「平賀」という人物に記者は接触を試みる。

☆ 果たして「平賀」という人に会えるのか。彼を知る人物は「難しい」というが。そして遂に・・・。

☆ 「9日につづく」と記事は締めくくられている。明日も読まねば。
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太宰治「燈籠」

2019-10-08 10:13:56 | Weblog
☆ 京都新聞文化欄、木村綾子さんが「太宰治 時代を超えて」と題してコラムを連載されている。今回は「燈籠」を取り上げられているので読んでみた。

☆ 貧しい家庭に育った24歳の女性。やっと理解し合える男性と出会った。相手は5歳下の学生。男性の家はもともと裕福だったが両親の死と共に没落、兄姉は離散する。その男性が友人と海水浴に行くと言った。しかし水着が無いようなのだ。女性は遂に万引きをする。警察に捕まり、周りの人からは冷たい視線を浴びせられる。

☆ 女性の独白で綴られている。警察官の取り調べに対しては社会批判も述べ、新聞では「左翼少女」と報じられる。

☆ 木村綾子さんによると、作家として行き詰まっていた太宰が、「観念より肉体、倫理より生理、理性より感性に寄せて、生活の“感触”がある物語を書いてみるのはどうか。正反対の作風に突破口を見出した」という。

☆ 父に引き取られ警察から帰った女性。父親は部屋の電球を明るいものに変え、両親と女性、親子三人で食卓を囲む。貧しさの中でのちょっとした贅沢。

☆ 自らの不始末とはいえ、社会的な偏見にさらされる中で、それでも生きることへの決意を感じさせる。
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ドラマ「火村英生の推理」

2019-10-07 20:20:20 | Weblog
☆ 高校が明日から中間テストなので多忙な1日。

☆ 昼食時、huluで「臨床犯罪学者 火村英生の推理」第1話を観る。和製シャーロック・ホームズという感じ。

☆ 有栖川有栖さん原作。そう言えば有栖川さんの作品は1度も読んでいなかった。

☆ 第1話は「絶叫城殺人事件」。まだ半分までしか見ていないので、授業が終わったら残りを見よう。
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ドラマ「琥珀」

2019-10-06 21:19:38 | Weblog
☆ ドラマ「琥珀」(2017年)を観た。浅田次郎さん原作。大人のドラマって感じだった。

☆ 定年間際の老警官に西田敏行さん、訳ありの喫茶店オーナーに寺尾聰さん、家庭に問題を抱えながらも明るく漁協に務める女性を鈴木京香さんが演じる。

☆ 良い本があって、名俳優3人がそろえばそれだけで観る価値がある。地味だったけれど、心温まる作品だった。

☆ おいしいコーヒーが飲みたくなった。
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北条民雄「いのちの初夜」

2019-10-06 15:24:23 | Weblog
☆ 「日本近代短篇小説選」(岩波文庫)から北条民雄さんの「いのちの初夜」を読んだ。力強い作品だった。

☆ 北条民雄という作家のことは知らなかった。ハンセン病を発病し、施設に入所。1937年(昭和12年)に急逝したという。

☆ 「いのちの初夜」という作品は、ハンセン病で病院に収容された男性の最初の1夜を描いている。がらんといた病室に並ぶ無機質なベッド。そこに横たわる人々はそれぞれに機能が失われている。

☆ 男性はその光景にショックを受ける。膿の臭いに、淀んだ空気に堪えられず、病室を抜け出す。しかし、どこに行き場所があるのだろうか。死のうとして死にきれず、生きようとして帰る場所がない。男性は魂の漂泊に恐れおののく。

☆ そんな彼に当直の男性が寄り添う。自らも同じ病を背負う彼は、安っぽい慰めなどしない。その病気になりきってしまえという。5年に渡り人々の苦痛、苦悩を見てきた諦観がある。

☆ 彼は言う。ここにいる患者は人間ではないと。「生命です。生命そのもの、いのちそのものなんです。」(277頁)

☆ ハンセン病は今では治る病となった。しかし、不治の病や難病の苦痛、経済苦、人間関係など、人の苦しみは尽きない。絶望的な状況の中でも尚生き抜くこと。力まず焦らず怯まず。そんな勇気を与えてくれる作品だった。
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報道の死角

2019-10-06 09:16:00 | Weblog
☆ 朝日新聞「天声人語」を読んで「はっ」とした。抗議行動が続く香港。記者はデモに参加したが新聞等で報じられるような過激な衝突は最前線のごく一部で、ほとんどが平和的なデモであったという。

☆ 私が学生の頃、韓国では光州事件があった。マスメディアは連日、戦場のような光景を報じた。その前後だったか、韓国からの留学生に聞くと、衝突の光景ばかり報道しているから韓国全体が混乱しているように見えるだけ、と話していた。

☆ 60年安保の時、岸首相は「国会周辺は騒がしいが、銀座や後楽園はいつも通りである。私には『声なき声』が聞こえる」と語ったという。「声なき声」は首相の幻聴だと思うが、確かに一理はある。あの大混乱の中でも多くの国民は結構平穏だった。いや、日常の生活に追われていたのだろう。 

☆ ニュースは、目を引くものに走りがちだ。そこに死角はないのだろうか。

☆ 同じく朝日新聞「日曜に想う」で福島申二編集委員がセンセーショナリズム(扇情主義)について書いている。アメリカの新聞王ハーストの訓示から、売れる紙面づくりの秘訣を紹介している。1面から2面、3面と読むにつれて、「すごい」「大変だ」「助けてくれ」という紙面をつくればよいという。

☆ これはなかなか興味深い。今や新聞の購読者が激減し、その影響力はネットに移行しつつあるが、スポーツ紙や週刊誌の見出しにはセンセーショナリズムが生きているようだ。

☆ 商業紙(誌)だから仕方がないのかも知れないが、結局は一人ひとりのリテラシーに委ねられているということか。


 
☆ 余談ながら、戸川猪佐武は「小説吉田学校」(角川文庫)の中で、総選挙で自由党が大勝利した結果を受けて、吉田茂首相に「いや、まだ油断はならんよ」「いままでの発表は、全部、嘘かもしれん。報道機関という奴は、なにしろ嘘をいうからね」(106頁)と言わせている。

☆ また佐藤栄作首相は退陣会見で「偏向的に新聞は大嫌いだ」と大見えを切って、テレビカメラだけの会見をやった。(会見というよりか退陣表明だけれど)

☆ 新聞は権力者に嫌われてこそ価値がある。最近の大新聞はサイレントマジョリティに耳をすましているだろうか。販促に窮してそれどころではないかな・・・。

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小川糸「親父のぶたばら飯」

2019-10-05 20:28:48 | Weblog
☆ 小川糸さんの「あつあつを召し上がれ」(新潮文庫)から「バーバのかき氷」と「親父のぶたばら飯」を読んだ。

☆ 「バーバのかき氷は」、認知症で死期が近づいている「バーバ(祖母)」に思い出の富士山のようなかき氷を食べてもらう話。

☆ 「親父のぶたばら飯」は、恋人同士がある中華料理店を訪れ、プロポーズをするという話。

☆ ストーリーはさておき、この料理が実にうまそうだ。「濃厚な肉汁がぎゅっと詰まって、口の中で爆竹のように炸裂する」(35頁)しゅうまい。もう、たまりません。あっつあっつならではだ。

☆ 次のメニューはフカヒレスープ。「野原に降り積もる雪のように」「地面に舞い降りた瞬間すーっと姿を消してしまうかのよう」な(37頁)、優しい味だという。

☆ そして、ぶたばら飯。ご飯の上にじっくり煮込んでとろけるような豚ばら肉をのせ、それをあんかけでとじたもの。「食べ物というより、芸術作品を口に含んでいるようだ」(40頁)って彦摩呂さんか。

☆ 料理が主役過ぎて、ストーリーはどうでもよくなってしまった。
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小林多喜二「母たち」

2019-10-05 16:44:23 | Weblog
☆ 「日本近代短篇小説選」(岩波文庫)から小林多喜二の「母たち」を読んだ。

☆ 共産主義運動をしたために特高警察に検挙される青年たちとその母親たちの話。実際に拷問死させられた小林多喜二の文章だけにリアルだ。

☆ 共産主義を声高に主張するのではなく、子どもを検挙された母親たちの様子を淡々と書いている。

☆ 後半伏字が目につくようになる。今から思えば大した単語ではなさそうだが、これが検閲というものか。(前半に伏字が少ないのは何故だろうか)

☆ 香港では混乱が収まるどころか、運動側も体制側の暴力的にエスカレートしている。最終的には軍隊が投入され鎮圧されるのではと危惧する。
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浅田次郎「椿寺まで」

2019-10-05 11:53:28 | Weblog
☆ 浅田次郎さんの「五郎治殿御始末」(新潮文庫)から「椿寺まで」を読んだ。美しい作品だった。ストーリーも美しいが文章も簡潔にして美しい。

☆ 商人の主人らしき小兵衛という男、丁稚の新太を連れて旅に出た。その道中の話。追いはぎに襲われたり、女郎屋のような宿で飯盛り女に出会ったり、10歳ばかりの新太にはきつい旅だった。追いはぎの男たちも飯盛り女も、もとは武家の人間。明治6年という時代、近代化の中で没落する人々が描かれている。

☆ 「世の中は変わっていくのではなく、毀れていくのだ」(26頁)と新太は子どもなりにそう思った。

☆ さて、この旅には一つの目的があった。椿寺に行くこと。その寺には果たして何があるのやら。椿の鮮やかな色が感じられる。
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教員の同僚いじめ

2019-10-04 17:18:41 | Weblog
☆ 笑止!教員の同僚いじめ。神戸市立の某小学校、40歳代の女性教諭と30歳代の男性教諭3人が、20代の男女教員4人をいじめていたという。そのいじめ方が、中学生がするような乱暴で稚拙なもなので、思わずため息が出た。

☆ 「いじめ」は子ども社会だけの問題ではない。大人社会にもままあることだ。しかし、子どもたちに「いじめは悪」だと説諭する教員がいじめをしていたというのでは、お笑いにもならない。

☆ まず人間関係がおかしかったのだろう。加害者側の4人の力関係は不明だが、誰かが主導権を握り、そのご意向に反すれば今度は自分がターゲットにされるから、加害者に与したのであろう。まさに「いじめ」の構造だ。

☆ 20代教員にも最初は何らかの落ち度があったのであろう。しかしそれをフォローし、育ててこその健全な職場環境ではなかろうか。

☆ 校長、教頭、教務主任と言った管理職は何をしていたのか。複数教員が複数教員を「いじめ」るというのはもはや学校経営、経営風土の問題だ。管理職は現状を知っていたのか、手を打たなかったのか。手を打てない何かがあったのか。実に興味深い。

☆ この小学校の「いじめ防止等のための基本的な方針」を読んだ。今年3月に改訂されたものだ。「お上」(法律で定められたので)の指示で形を整えたものだろうか、いくら立派な作文であっても、それが空文であることを物語る。

☆ 情けない限りだ。

☆ 教員の仕事、ブラックな勤務状況と言われて久しいが、教員の質が低下しているのではないか。わいせつ等で処分される教員も後を絶たないしなぁ。
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