Suさんの学球日誌

理科&日本語教師のSuさん(旧名SunQ)が、
国内・国外様々な学校を渡り歩き、
いろいろなチャレンジを試みます。

WBCの盛り上がりとこれからの部活動

2023年03月24日 | ノンジャンル

 昨年のサッカーワールドカップ、日本チームの活躍と応援の盛り上がりはすごかった。

地上波でのナイター中継が激減して久しい状況で、野球関係者は気を揉んでいたことと思うが、

今回のWBCの日本チームの活躍と応援の盛り上がりは、久々に野球の存在感を大きくPRできたと言えるだろう。

 Suさんの学校は、日本の学校より一足早く春休みに入っていたので、22日の決勝は、自宅でゆっくりリアルタイムで観戦することができた

メジャーの強力打線に日本の若手ピッチャー(戸郷・高橋)が速球で真っ向勝負する場面とか、日本プロ野球を代表する強打者(村上・岡本)が豪快なホームランで得点を奪い取ってくる場面とか、アメリカとがっぷり四つで戦う姿に、胸がワクワクした。

試合終了後から、各放送局は名場面集とインタビュー映像のリピート放送となってしまったが、Suさん含めみんな喜んで見ていたと思う。

そんな中、友人がSNS上に投稿した記事に、深く考えさせられた。

 ※色々なスポーツの世界大会で日本が活躍し、その活躍に日本中が驚き感動し涙している。こんなに日本を応援することが、自分の国を好きになることがスポーツ以外にあるのだろうか。
どうしてこんなに熱くなれるのか。そこには日本の部活動文化が多少なりとも影響しているのではないだろうか。

昨今、教員の働き方改革や様々な問題から部活動は廃止、地域移行へと移ってきている。その問題は理解出来るし改善も必要だと思う。しかし、あまりにも部活動が子どもたちに与えるいい影響を無視しているような気がしてならない。

こんなに日本中が熱くなれるものを国はわかっているのだろうか。日本のやってきたことを、欧米に習い簡単に捨てていいのだろうか。そうやって欧米に習い近代化し、日本文化のたくさんを捨ててきた日本。部活動も捨ててしまうのだろうか。部活動に青春をかける子どもたちがいることが見えているのだろうか。未来を生きる子どもたちに日本を応援し、自分の国を好きになる気持ちを忘れないで欲しい。

 ー以上その抜粋

 Suさんは35年間部活動顧問を続け(卓球部、化学部)、やりきった満足感をもって定年を迎えることができたが、友人はまだ若く卓球専門部の中核として現在も働いている。彼のようにこれまで部活動指導を頑張って来て、これからも頑張っていこうと思っている教員にとっては、最近の部活動を巡る急激な変化は、拙速であると感じられているのだろう。彼の憂いは当然である。

 For the team を掲げ皆で協力し努力する姿勢、相手をレスペクトする態度、用具や練習場所を大事にし周囲への感謝を忘れないことなど、マスコミでもしばしば取り上げられる日本人の美徳を培ってきたのは、まさに部活動の場だと思うからだ。

 様々なスポーツ界で日本人の活躍が目立っている昨今、これまでの日本スポーツ界を支えてきた部活動が、よりよい形に変革され、選手・教員に明るい未来が与えられることを、切に願う!


ただいま

2022年03月30日 | ノンジャンル

 一度「学球日誌」を停止してから一年が経つ… 思えば激動の一年だった。

公立高校を退職し中国の私立学校に就職したが、就労ビザの取得が上手くいかず4月から6月までは日本からオンライン授業

8月にようやく渡航実現し中国での生活が始まったが

諸事情あり学期の切れ目の1月いっぱいで辞職し帰国

2月中は転職サイトなどで求職活動を行ったが上手くいかず、3月に入り県立高校の産休代理教員の口を紹介され、受諾。5月から再び県立学校教員に復帰することとなった。

 さて、ブログやYouTubeチャンネルとかどうしようかな~ と考えていたところ、メール連絡が入った。「学球日誌」を掲載していたブログ運営サイトが7月いっぱいでブログ運営を止めてしまうとのこと。gooブログなら簡単にデータ移転できるらしい。

そこでサイトを移転すること、それを機にブログ投稿を再開することを決めた次第。

もし、まだ読んでいただける方がいらっしゃるなら、とても嬉しいです。どうぞよろしくお願いします


私が中国にいく理由

2021年04月28日 | ノンジャンル

本当に中国に行けるのか?
まだ不安だけど、とりあえず親戚や御世話になった方々へ、下記の挨拶状を出した。
そしたら、何人かの人に「なんで中国行くの?」と聞かれたので
今回のテーマは、「私が中国に行く理由」であります。

無題2


数年前から定年後の過ごし方について考えるようになった
再任用で千葉県教員を続けるのが一番安定しているのだけれど、今までの人生を振り返った時、若いころの生き方に若干の後悔を覚えた。

Suさんは若いころ、大学院で植物生理学の研究をしていた。最初は地味な研究生活になじめなかったのだけれど、修士課程2年目の後半に、国内外の若い研究者とつながりもでき、ようやく研究の面白さが分かってきた。よし、さらに博士課程に進学し、生物学者を目指そうかと思い始めたころ、試しに受けた千葉県教員の合格通知が舞い込んだ。迷いに迷ったが、不安定な研究職より安定感ある教員の道を選んでしまった。あの頃、なんであんなに臆病で安定を求めていたのだろう?
海外の大学院で学位をとるとか、ポスドク狙うとか、もっと冒険してもよかったんじゃない?

 英語とか中国語とかが趣味なので、やっぱり一度くらい海外で暮らしてみたかったなあという気持ちが強いことに気づいた。
で現状を考えると、子供たちが独立し、住宅ローンを返し終わり、妻は自分の趣味と仕事にマイペースで生きてて、親の介護の心配は無くて…

 あれ?今なら行けるんじゃね、と気づいた。家族みんなが安定している今、私一人が不安定でも全く問題無い!
海外で生活するといっても、遊んで暮らせるほどの貯金はないし、年金も65歳まで出ないから働かなきゃね。海外で働くとしたら何ができるんだろう?やっぱり日本語を教える仕事が一番就労許可が下りやすそうだな。というわけで、海外で職を得るために一昨年通信教育で学び日本語教師の資格を取り、昨年から就職活動を始めた。

 日本語教師の求人は欧米では見つからなかった、求人があるのはやっぱアジアだ。タイやベトナムは年齢制限で応募不可なので台湾の日本語学校教師の求人に応募してみた。馴染みの姉妹校があり、中国語学習にハマるきっかけになった台湾。何度も行ってるし、友達もいる。ここで暮らせたら良いなあ。けれども60歳という高齢のためか、全部書類ではねられ面接まで進めない。  
 仕方ない中国の本土にも60歳可のところがいくつかあったので応募してみたら、2件目でようやくヒット、12月に今の学校の採用が決まった。基本的に日本語で理科を教えれば良いのだという。日本語で理科や数学を教えられる人を探していたのだけれど、なかなか応募が無くて困っていたのだとのこと。年齢問題も、この学校は上海教育局と特別な繋がりがあって、65歳まで就労許可が下りるから大丈夫、という話だった。

 以前中国人の女性に中国語の家庭教師をしてもらっていたことがあるのだけれど、「Suさんは絶対中国気に入るから、行ってみると良いですよ」と言われていたことを思い出した。確かに開放的で大ざっぱなこの性格は、大陸向きかもしれないと大いに納得しすっかりその気になってしまった。

あの時はこんなに待たされると思ってなかった。新型コロナの影響で教育局の審査が厳しくなり、普通なら3か月もあれば許可が下りるところを難航してて、今5か月目に突入しようとしている。


佐倉で吞兵衛

2021年04月03日 | ノンジャンル

 アフター定年生活第一週の週末を迎えた。わずか一週間前のことが、ずいぶん前のことのように思える。
今日は学校で一番仲が良かった二人の同僚との飲み会だ

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 集合の場所は佐倉。 学校のある成田では無く、かつ3人が集合しやすい場所ということで、私が指定した。

 現在Suは山武郡在住だが、7年前2年間だけ佐倉市民だったことがある。 高校生だった息子と二人暮らしをしていた。

 今日は少し早めに着いて、懐かしい場所を散策。


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高崎川沿いの遊歩道。食材買い物帰りによく歩いたっけ
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川岸には菜の花が満開



桜は早くも散り際となっていたが、ハラハラと花弁が舞い落ちる中をゆったり歩むのも一興 思い出にひたりつつ一人花見を楽しむことができた。

さて、約束の12時。集合場所の飲食店の前まで行くと、年下のE氏が横断歩道をちょうど渡ってこちらに来るところ。

「Su先生、お久しぶりです!」 いやいや先週金曜日までは普通に毎日会ってただろ、とツッコミをいれたいところだが、かく言う私自身が、先週のことを遠い昔のように感じているのだから、ここは素直に「うん、久しぶり」と受けておこう。

  しばらくすると、年上のY氏も登場。3人で開店したばかりの店に入る。

 今回の人事で、E氏は残留、私は退職、Y氏は他校へ異動と三者三様だが、とりあえず変化の大きかった今週のことをお互いに紹介しあったり、聞きあったりしながらビールを飲む。

気のおけない仲間ってホント良いなあ…

 この一年はホントに飲み会とかなくて、ゆっくり3人そろって語る機会などつくれなかった。所属がバラバラになってしまったので、ここで集まっておかなければと思い「昼間に2時間くらいさらっと飲んで語る」ことにしたのだった

瞬く間に時は過ぎ、解散の時間になってしまったが、とても充実した2時間だった。

店外で固く握手を交わし、再会を誓う。

中国遊びに来てね!    (でもオレホントに中国いけるのかな?)

 



 


等到累死了!(待ち疲れはてたわ)

2021年04月02日 | ノンジャンル

 


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海へ向かって飛んでいく飛行機の姿が、いつもよりずっとずっと遠く感じる。
このブログを上海で書けるのは、いつになるのか… 途方に暮れるSu である
中国で就労許可を得るために必要な書類を国内で揃えるためには、なんだかんだで一か月はかかるのだが、私の場合は年末年始の大使館等の公休日が挟まってしまい、半月余計に時間がかかり1月末までかかった。

 その後上海の学校のほうで、申請をしてもらったが、中国の春節が挟まってしまい、これまた半月余計に時間がかかってしまった。で、結果は不可。仕方ないので学校のほうで対象都市を変え申請することになり、書類を若干変更し手続きを開始したのが2週間前。

ここまですでに3か月半待たされている。「あと2週間待て」と言われたので今日連絡をとってみたら、「更にあと2週間間待て」との指示、さらには再三再四の書類変更(再提出)を要求され、 (在職証明書に電話番号とメアドが入ってないからダメだってさ)流石にキレる

まあ、でもこれは当局の役人が言ってることだから、学校の事務員さんに当たってもせんなきこと… 

気を取り直して、書類を取り直すことにした

 こんなことでは 許可が下りるのは いつのことになるのか

 いつもは楽天的なSuさんだが、美しい春の夕焼けすら物憂げに見える 


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