台風18号襲来!日本列島を大混乱させた昨日,息子が38度の発熱。病院で検査を受けるとインフルエンザの陽性反応が出た。ついに来たか,帰宅後妻も微熱が出てきたという。まずい,高校生の娘は来週中間テストと修学旅行を控えている。早速妻と息子は別室に隔離,sunQが家事と看病をすることになった。
今朝は学校に連絡を入れ,年休をもらった。さて,まずは洗濯だ。台風のため洗えなかった衣類・シーツ・タオルなどためにたまっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/8a/0eb01084f36ccc8cd72db761ac4cc3ff.jpg)
洗濯機を回すこと4回,室内外に干す場所を探し乾かすが,普段使っている物干し台だけでは足りない。庭をぐるりと見渡すと お,良い物がある。こいつを使おう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/2c/b8bda93d5409db359fd8c7b3f3dbfdd7.jpg)
古ぼけた木材に釘を打ち付けたこの支柱は,私の手作りのもの。もちろん最初から物干し用につくったわけではない。実は息子が小学生の頃,庭で走り高跳びの練習をするためにつくったものだ。
高さ80センチから130センチまで5センチきざみに釘を打ってあり,そこにバーをかけるしくみになっている。小学校の陸上大会が近づくと庭でよく練習してたっけ。中学に入ってからは,使うこともなく雨にさらされ,ところどころ腐りかけている。懐かしいなあ。
実はこの走り高跳び練習機には原型がある。今から40年近く前,まだ小学生だったsunQのために,当時中学生だった兄が同様の物を作ってくれたことがあるのだ。
小学生の頃の私は,かけ足が遅く,不器用で球技は苦手,体も固くマット運動はダメ,と体育ダメダメ少年だったのだが,授業で走り高跳びをやってみたら,たまたまクラスの真ん中より上ぐらいの記録を出せ,とても嬉しかった。「もっと跳べるようになりたいなあ」と兄に話したら,「じゃあ練習してみたら」と件の支柱を苦労して作ってくれたのだ。
朝に夕方に,暇があると庭でピョンピョン跳んだ。助走の早さ,踏切のタイミング,送り足のあげ方,工夫するポイントはいくつもあった。
工夫すると記録が伸びる→嬉しい→また工夫する→また記録が伸びる
「技術をいくつかの過程に分解して習得すること」や「目的を考えて練習方法を工夫すること」はこのとき覚えた。
その後体育ダメダメ少年は,6年生のとき地区対抗陸上大会で学校の代表として125センチを跳び,4位の賞状を手にした。人生で初めて運動で表彰されたのだ。このときの嬉しさは一生忘れない,卓球選手として指導者として自分の原点となっている。
洗濯物と格闘しながら,そんな懐かしい思い出にひたっていると,もう午後。昼食を食べさせたあとに検温すると,息子も妻も熱が下がってきたようだ。良かった。
乾いた洗濯物をとりこみながら,あらためて思う「すべては兄のおかげかもしれないなあ,」。今は故郷の新潟と千葉で離れてしまい,年に1・2度しか会えないが,今晩にでも電話かメールかしてみようかな。
今朝は学校に連絡を入れ,年休をもらった。さて,まずは洗濯だ。台風のため洗えなかった衣類・シーツ・タオルなどためにたまっている。
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洗濯機を回すこと4回,室内外に干す場所を探し乾かすが,普段使っている物干し台だけでは足りない。庭をぐるりと見渡すと お,良い物がある。こいつを使おう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/2c/b8bda93d5409db359fd8c7b3f3dbfdd7.jpg)
古ぼけた木材に釘を打ち付けたこの支柱は,私の手作りのもの。もちろん最初から物干し用につくったわけではない。実は息子が小学生の頃,庭で走り高跳びの練習をするためにつくったものだ。
高さ80センチから130センチまで5センチきざみに釘を打ってあり,そこにバーをかけるしくみになっている。小学校の陸上大会が近づくと庭でよく練習してたっけ。中学に入ってからは,使うこともなく雨にさらされ,ところどころ腐りかけている。懐かしいなあ。
実はこの走り高跳び練習機には原型がある。今から40年近く前,まだ小学生だったsunQのために,当時中学生だった兄が同様の物を作ってくれたことがあるのだ。
小学生の頃の私は,かけ足が遅く,不器用で球技は苦手,体も固くマット運動はダメ,と体育ダメダメ少年だったのだが,授業で走り高跳びをやってみたら,たまたまクラスの真ん中より上ぐらいの記録を出せ,とても嬉しかった。「もっと跳べるようになりたいなあ」と兄に話したら,「じゃあ練習してみたら」と件の支柱を苦労して作ってくれたのだ。
朝に夕方に,暇があると庭でピョンピョン跳んだ。助走の早さ,踏切のタイミング,送り足のあげ方,工夫するポイントはいくつもあった。
工夫すると記録が伸びる→嬉しい→また工夫する→また記録が伸びる
「技術をいくつかの過程に分解して習得すること」や「目的を考えて練習方法を工夫すること」はこのとき覚えた。
その後体育ダメダメ少年は,6年生のとき地区対抗陸上大会で学校の代表として125センチを跳び,4位の賞状を手にした。人生で初めて運動で表彰されたのだ。このときの嬉しさは一生忘れない,卓球選手として指導者として自分の原点となっている。
洗濯物と格闘しながら,そんな懐かしい思い出にひたっていると,もう午後。昼食を食べさせたあとに検温すると,息子も妻も熱が下がってきたようだ。良かった。
乾いた洗濯物をとりこみながら,あらためて思う「すべては兄のおかげかもしれないなあ,」。今は故郷の新潟と千葉で離れてしまい,年に1・2度しか会えないが,今晩にでも電話かメールかしてみようかな。