前任校では大変な苦労をしていた課題研究の授業。実は今の学校にもある
SGH(スーパーグロバルハイスクール)であるから,研究テーマは「アジアでの共生」
理系の課題研究と違って,いわば文系の研究である
今日はその中間発表会とも言える相談会。互いにここまでの研究成果を見せ合い,質疑応答や意見交換を行うのだ。会場には大学の先生にも来てもらい,指導助言をしていただくという趣向である。

普通教室は冷房が効いているが,SunQの担当の化学室は空調無し
生徒たち,汗を拭き拭き頑張りました

大学の先生も本当に熱心に聞いて下さって,感謝感激!
実はここまでが大変な道のりだった
生徒たちは2学年の生徒全員。理数科40人だけが課題研究を行う前任校とは規模が違う!
学年教員を総動員して,さらに数人指導者を増員してもなかなかきめの細かい指導を行うのは難しい。
彼らは1年の時既に研究の仕方やテーマ決めについて指導を受けているはずなのだが,消化不良気味は否めない
一番の壁は,調べ学習と課題研究の違いを理解していないということ。
小中学校で行ってきた所謂「調べ学習」では,調べたことをただ並べて見せればよい。
しかし,高校での「課題研究」が目指のは,もう一段高い段階。客観的な事実を収集して問題の存在を確認し,その原因や解決策について論理的に考察を加えなければいけない。


黒板にステップを簡潔に示し説明しても,なかなか理解してもらえない
ついには,「面倒くさい,もうやりたくない」とつぶやき始める始末だ
難しい研究に取り組むことが当然だった理数科の生徒と意識が全く違うのだ・・・
文系・理系の違いは,研究の方針にも大きな影響を与えていた。
理系の研究は,現象をできるだけ微細で単純な過程に分けてその一過程を研究する方向に向かう。例えば,大テーマを東京湾の水質汚染とすると
汚染源を見ると産業排水と家庭雑排水に二分される → 家庭雑排水中の汚染物質はどんなものがあるか? → 汚染物質の一つを取り上げそれが環境に影響を与えるプロセスについて研究する
といった具合(理系科目の先生が研究を指導するとこの方向に進むことが多いと思う)。
ところが,文系の研究では,単純にその原理を適用すると研究が立ちいかなくなってしまうケースが出てくる。 要は,分析ツールが機能する範囲内では,小さいプロセスに分けた方が分析がしやすいが,分析ツールの能力を超えて小さいプロセスに分けてしまっては研究できないということ(ちょっと抽象的で分かりにくいけど,具体例はなし,ゴメン)。
文系の研究では,逆に現象を色々なサイドから眺めたり,現象をカテゴライズしたりすることも考察として成立しうるということは,理系科目担当の先生にはなかなか理解してもらいにくいところである。
そこで,次の手段として研究の見本を示すことにした。テーマ設定後,どのように資料を収集し,どのように結果を整理するか。そこから導かれた課題をどのようにして調査していくかを定型の記入用紙で示し,同様のものを各自つくるよう促した。

今日発表で使うポスターの見本も作った。研究のタイトル,目的,情報収集で分かったこと,
問題点,これからの方針などを分かり易く示した。

見本の原案は,20年以上前に通信制大学の卒論で行った非言語コミュニケーションの研究
SunQは理科教諭だが,実は文系の論文も書いたことがあるのだ。昔の苦労が現代に役立ちラッキー
同僚の先生方からは「とても分かり易いよ,Qさん!」と喜んでもらえた。生徒たちにも少しはわかってもらえたかな?
今日の発表会終了後,大学の先生方に書いて頂いた総評を読んでみると,概ね良い評価
昨年より,レベルアップしてるとのことである。やったね!
課題研究のQさん は まだまだ頑張るぞ! 今年度が終わったとき,一人でも多くの生徒から「課題研究やって良かったです!」と言ってもらうために・・・

SGH(スーパーグロバルハイスクール)であるから,研究テーマは「アジアでの共生」
理系の課題研究と違って,いわば文系の研究である

今日はその中間発表会とも言える相談会。互いにここまでの研究成果を見せ合い,質疑応答や意見交換を行うのだ。会場には大学の先生にも来てもらい,指導助言をしていただくという趣向である。

普通教室は冷房が効いているが,SunQの担当の化学室は空調無し

生徒たち,汗を拭き拭き頑張りました

大学の先生も本当に熱心に聞いて下さって,感謝感激!
実はここまでが大変な道のりだった

生徒たちは2学年の生徒全員。理数科40人だけが課題研究を行う前任校とは規模が違う!

学年教員を総動員して,さらに数人指導者を増員してもなかなかきめの細かい指導を行うのは難しい。
彼らは1年の時既に研究の仕方やテーマ決めについて指導を受けているはずなのだが,消化不良気味は否めない
一番の壁は,調べ学習と課題研究の違いを理解していないということ。
小中学校で行ってきた所謂「調べ学習」では,調べたことをただ並べて見せればよい。
しかし,高校での「課題研究」が目指のは,もう一段高い段階。客観的な事実を収集して問題の存在を確認し,その原因や解決策について論理的に考察を加えなければいけない。


黒板にステップを簡潔に示し説明しても,なかなか理解してもらえない
ついには,「面倒くさい,もうやりたくない」とつぶやき始める始末だ
難しい研究に取り組むことが当然だった理数科の生徒と意識が全く違うのだ・・・
文系・理系の違いは,研究の方針にも大きな影響を与えていた。
理系の研究は,現象をできるだけ微細で単純な過程に分けてその一過程を研究する方向に向かう。例えば,大テーマを東京湾の水質汚染とすると
汚染源を見ると産業排水と家庭雑排水に二分される → 家庭雑排水中の汚染物質はどんなものがあるか? → 汚染物質の一つを取り上げそれが環境に影響を与えるプロセスについて研究する
といった具合(理系科目の先生が研究を指導するとこの方向に進むことが多いと思う)。
ところが,文系の研究では,単純にその原理を適用すると研究が立ちいかなくなってしまうケースが出てくる。 要は,分析ツールが機能する範囲内では,小さいプロセスに分けた方が分析がしやすいが,分析ツールの能力を超えて小さいプロセスに分けてしまっては研究できないということ(ちょっと抽象的で分かりにくいけど,具体例はなし,ゴメン)。
文系の研究では,逆に現象を色々なサイドから眺めたり,現象をカテゴライズしたりすることも考察として成立しうるということは,理系科目担当の先生にはなかなか理解してもらいにくいところである。
そこで,次の手段として研究の見本を示すことにした。テーマ設定後,どのように資料を収集し,どのように結果を整理するか。そこから導かれた課題をどのようにして調査していくかを定型の記入用紙で示し,同様のものを各自つくるよう促した。

今日発表で使うポスターの見本も作った。研究のタイトル,目的,情報収集で分かったこと,
問題点,これからの方針などを分かり易く示した。

見本の原案は,20年以上前に通信制大学の卒論で行った非言語コミュニケーションの研究
SunQは理科教諭だが,実は文系の論文も書いたことがあるのだ。昔の苦労が現代に役立ちラッキー
同僚の先生方からは「とても分かり易いよ,Qさん!」と喜んでもらえた。生徒たちにも少しはわかってもらえたかな?
今日の発表会終了後,大学の先生方に書いて頂いた総評を読んでみると,概ね良い評価
昨年より,レベルアップしてるとのことである。やったね!
課題研究のQさん は まだまだ頑張るぞ! 今年度が終わったとき,一人でも多くの生徒から「課題研究やって良かったです!」と言ってもらうために・・・
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