前回の記事の続き。
金沢市南綜合運動公園 2021.05.23 17:48 Sony α7S2 Planar 50㎜ F1.4ZA SSM (f/1.4 , 1/640sec , ISO100)
大学二年、二十歳の時。
縁があって海外の留学生や研修生が寄宿する施設でアルバイトを始めた。
そこはアジア、中近東、アフリカ、中南米といった
当時、開発途上国と呼ばれた地域の人たちを受け入れて
日本語教育や日本文化の紹介など
日本企業での就業や研修を手助けする財団法人が運営する施設だった。
仕事はホテルでのフロント業務のようなものだったが、
日中は正規の職員が勤務し、夜間と休日は私を含めた6人の学生アルバイトが交代で担当した。
主には館内の案内や電話の取次ぎ、都内の交通案内など
中学生程度の英語力で大丈夫とのことだったので
外国人と交流することで自分の視野が広がるかな、という青臭い発想で応募したのだが、
そんな甘い話ではなかったことを身に沁みることになる。
それまで学んだ英語はほとんどが受験のためのもの。
言わば「畳水連」のようなもので、簡単な会話さえ全くついて行けなかったのだ。
他の5人は施設からほど近い東京外語大学の学生で
英語はもちろん聞いたこともないような外国語を流暢に話していた。
すぐに辞めようと思ったのだが
武道系の運動部に所属していたので
「ここは外国人同士のもめ事も多く、用心棒も必要だから」
と引き留められ、その後2年近く働くことになった。
アルバイトのリーダー格の先輩に教わったのは
受験英語が染みついていると文法にこだわるあまり言葉が出なくなるから
まずは必要な単語を並べなさい、ということだった。
なるほど、確かに通じた。
ところが、話す前に聞き取ることができない。耳が慣れていなかったのだ。
そこで思い出したのが...
" I beg your Pardon ? " (もう一度いってください)
実際には、「 Pardon ? 」の一言で通じるもので
すると、相手の外国人はていねいにゆっくりと話しかけてくれる。
これが外国人との初めての会話で、その後しばらくは「 Pardon ? 」を連発することになる。
その施設に寄宿する外国人は短くても数週間の滞在、
長ければ数年にもなるので、次第に気心も知れてくる。
気心が知れると、言いたいこと聞きたいこともなんとなくわかってくるもので
「 Pardon ? 」と聞き返すことも徐々に減って行き、
外国人たちとのふれあいが有意義で「楽しい」と思えるようになっていった。
その施設に寄宿していた人たちの国は今でこそそれなりの発展を遂げているが
その当時の暮らしぶりを聞く限り決して裕福なものではなかった。
また、イランやイラク、アフガニスタンなど今では渡航さえ難しい国の人たちや
南ベトナムなど無くなった国の人たちも暮らしていた。
その寄宿生たちが、時折り、お国自慢の料理を作りもてなしてくれた。
また、屋台のおでんを買ってきて夜遅くまで彼らと話し込んだこともあった。
決して明るい話ばかりでもなかったが、
まだ見たこともない外国の話は興味深く
多感な時期の2年間の経験はその後もずっと
忘れがたい記憶として心に刻まれた。
そう、彼らが私につけたあだ名「パードン君」とともに。