折にふれて

季節の話題、写真など…。
音楽とともに、折にふれてあれこれ。

June Bride

2024-06-14 | 自分史・家族史

6月に結婚する花嫁は幸せになれる

ギリシャ神話に登場する女神ジュノにまつわる言い伝えとのことだが

好天に恵まれた高原の一隅に集まった人たちに囲まれて

新婦は幸せ気分に包まれていた。

     

そんな人々の表情を捉えることができたなら、とカメラを構えたのだが、

ファインダーを通してでも人と目が合うのは苦手。

それで、人気のない写真がほとんどとなってしまった次第だが。。。

せめて、幸せの「間」を繋ぎ合わせることができたなら幸いだ。

     

 

新婦。そして、新郎に幸あれ。

 

J.D. Souther - You're Only Lonely (Live at Farm Aid 1986)

 

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「四番、キャッチャー ・・・」

2024-05-29 | 自分史・家族史

「公式戦に出るから応援に来て!」

長女からせがまれて孫Hの野球観戦へと出かけた。

 

Hが学童野球チームに入って3年。

ダブダブのユニフォームにやたらと大きいヘルメットとグラブ。

そんなHの印象しかなかったのだが、子供にとって3年間の成長は大きかった。

「四番、キャッチャー。H君」とのコールの後、

打席には見違えるばかりに凛々しい野球少年が立っていた。

    

そして、キャッチャーと言えば守備の要。

    

先輩の見様見真似もあるのだろうが、中々に堂々としたものだ。

そして、そのプレーの一端をご披露。

当たったら、軽く外野まで飛ぶぞ、とばかりのスイングで三振。

長女に言わせると、いいところを見せようとして大振りになったのだとか。

    

さらに、守備面では。

ボールがバットに当たるたびにヘルメットとマスクを後方に跳ね上げてボールの行方を追う。

また、大きく逸れたボールは体を使って止める

監督やコーチの指導のお陰だろうが、その鍛えられ方は頼もしく目に映る。

    

そんな攻守を目を細めて眺めていたのだが、さて、その結果は...。

先行は許したものの、8対1で4回コールド勝ち。お見事。

そして、最後の整列を終えてスタンドへと駆け寄る子供たちは満面の笑顔。

そのあどけなさが残る表情にまた目を細めていた次第だ。

    

それにしてもだ。

ひときわ目立つ坊主頭。

これまた長女に言わせると「何かプレースタイルとか、こだわりがあるみたい」

なのだそうだ。まだ4年生なのに!?

 

※空倶楽部はお休みします。

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Wembley Or Bust  Jeff Lynne's ELO

2023-05-31 | 自分史・家族史

一時帰国中の妹夫婦と毎夜楽しい時間を過ごしている。

妹のダンナ「K」はイギリス人。

あるグローバル企業の日本法人で技術者として20年ほど働いていたが、

三年前、定年を機に夫婦でイギリスに帰った。

日本には今でも友人知人が多く、その旧交を温めたいと思うのか、

また、妹にもさみしい思いをさせたくないのか

年に二回は夫婦で日本へやってきて一月ほど滞在する。

その滞在先のひとつが我が家というわけだ。

とにかく社交的、それでいて細やかな気づかいもできる。

それがたくさんの人に好かれる所以だろう。

そして、よく食べてよく飲む。

そんなわけで毎夜のどんちゃん騒ぎがやがて一週間は続いている。

あやしい日本語にあやしい英語で応えながら、

イギリスでの生活ぶりや先方の家族のこと、

最近出かけた旅行のことやちょっぴり政治の話など、

話題は多岐にわたる.

それら話題も決まって落ち着く先があって、それは音楽の話だ。

同年代の K と私はともに古い洋楽(彼にすればただのナツメロだが)が大好きで、

youtubeやディスクなど、音楽映像に歓声をあげながら酒宴が続くのである。

 

ずいぶんと前置きが長くなってしまったが、

この記事のタイトル『Wembley Or Bust』は K と私が酒宴のサカナにしている音楽ライブのことだ。

ジェフ・リンと彼を支える音楽ユニットELOがロンドン郊外のウェンブリー・スタジアムで行ったコンサートの映像が収録されている。

ちなみにこのユニットはジェフ・リンがかつて率いたバンド『エレクトリック・ライト・オーケストラ』(ELO)とは

別物と捉えたほうが良いかもしれない。

同じ楽曲であってもバンド時代の気負いがまったく感じられない。

メンバーの違いは当然として、ひと年廻ったジェフ・リンによる音楽は

親しみ易さはそのままに、洗練された演奏とコーラスからオトナの雰囲気が伝わってくる。

『Wembley  Or  Bust』を昨今のワカモノ言葉で表現するなら

「ウェンブリーでやるっきゃない!」もしくは「ウェンブリーに行くっきゃない!」とでもなるのだろうか、

タイトル通り、ステージも観客も大盛り上がり。

ジェフ・リンの50年を超えるキャリアもあって観客の年齢層は高め。

会場は同窓会さながらで、映像を通してもその懐かしさ、さらには

ほのぼのとした雰囲気も伝わってくる。そして、掛け値なしに楽しい。

十代、二十代にジェフ・リンとエレクトリック・ライト・オーケストラの音楽に親しんだ方必見のライブ映像だ。

二時間近い収録のうち、いくつかの曲がyoutubeでも見ることができる。

その中から Evil  Woman を取り上げてみた。

 

Jeff Lynne's ELO - Evil Woman (Live at Wembley Stadium)

 

さて、私が退職したら、K はイギリス各地を巡る旅に連れて行ってくれるらしい。

それはナロウ・ボートというキャンピングカーのような小さな客船を借りて

運河をのんびりと航行する旅だという。

そして、その旅にジェフ・リンのコンサートも盛り込むそうだ。

そんな夢のような旅が今から楽しみだ。

けれども、気がかりなこともある。

退職まであと二年。そして、ジェフ・リンはすでに75歳。

その時まで元気に頑張っていてくれることを心から祈るばかりだ。

 

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These Days

2023-04-13 | 自分史・家族史

千鳥ヶ淵での桜の話題が続く。


  千鳥ヶ淵(東京都千代田区) 2023.03.31  7:47am  Sony α7R3   FE24-70㎜/f2.8 GM2 (70㎜  f/5.6,1/320sec,ISO100)    

 

まだ人通りの少ない、朝の風景は気持ちを穏やかにさせてはくれたが

一方で、風が吹くたびに花びらがはらはらと散る桜を少しさみしく感じてもいた。

とは言っても、散りぎわの桜ばかりが気持ちを湿らせたわけではなく

前夜のジャクソン・ブラウンのコンサートの余韻が

そうさせたのかな、と思ったりもする。

50年来の思いを胸に出かけたコンサート。

自分自身の反応を意外に思うほど熱狂したことは直後の記事に書き留めた。

今度の日本公演でジャクソン・ブラウンが選んだ曲はほとんどが70年代のもの。

私にしてみれば10代から20代の初めにかけての思い出に繋がる。

曲ごとに様々な記憶が蘇がえり、その懐かしさや切なさ、

さらには、さみしさを散りゆく桜に映したのかもしれない。

そしてその時。ふと思い出した曲が『These days ( 邦題:青春の日々)』だった。

青臭い話ついでに曲への思いを留めておきたい。

 

Jackson Browne - These Days

 

コンサートでは歌われなかったが

ジャクソン・ブラウン初期の良く知られた曲だ。

彼がまだデビュー前、16歳の時に書かれたもので

この頃から彼特有の難しい表現が歌詞に現れているものの

「背伸び」したい気持ちが透けて見えるようにも感じる。

けれども、なんとなく言いたいことはわかるし、それが心の葛藤だと思うのだが、

直訳すると通じにくいので、思いっきり、というか独善的に意訳を試みてみた。

 

These days 

Well I've been out walking

I don't do that much talking these days

These days

These days I seem to think a lot

About the things that I forgot to do for you

And all the times I had the chance to

 

そう、僕はこれまではずっと外に目を向けて歩んできた。

でも近頃は、そんなに人と話すこともしていない。

そして近頃は、君のためにやり忘れたことにひどく悔やんでいるようだ。

「いつだってそのチャンスはあったのに」ってね。

 

And I had a lover

It's so hard to risk another these days

These days

Now if I seem to be afraid

To live the life I have made in song

Well it's just that I've been losing so long

 

以前にも恋人はいたけれど

近頃は、別の恋をすることをためらってしまう。

近頃の僕が歌の中にあるような人生を怖がっているようなら

それは、僕がこれまでも逃げ続けてきたということだろうね。

 

I'll keep on moving

Things are bound to be improving these days

These days

These days I sit on corner stones

And count the time in quarter tones to ten, 

my friend

Don't confront me with my failures

I had not forgotten them 

 

物事を良いほうへ向けるなら行動を続けるしかないだろう。

でも近頃の僕はコーナーストーンに座り込んだまま

四分音で10を数えるようにのんびりしていたりもする。

でも友達なら、

僕の過ちを責めないでくれないか。

決して過ちを忘れてはいないのだから。

 

 

 

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桜とともに Jackson Browne 

2023-04-02 | 自分史・家族史

桜の開花とともにやって来たジャクソン・ブラウン。

その東京公演に行ってきた。

 

この年になって「今さら」という思いもないではなかったのだが...。

行ってよかった。コンサートを心底から楽しむことができたからだ。

ジャクソン・ブラウンとの出会いは十代。

彼のファースト・アルバムを衝動買いした高校生の時だった。

その時以来50年、折にふれて彼の音楽に耳を傾けてきた。

だが、過去何回かの来日公演があり、出かけるチャンスもあったにもかかわらず、

直に彼の音楽に触れようとはしなかった。

確かに、高校、大学時代とジャクソン・ブラウンの音楽に共感し熱狂もした。

けれども、社会に出てからというもの、

都会でしか開催されないコンサートに

休みをとってまで出かけようとは思わなかったのだ。

ところが今回は違った。

昨年暮れにジャクソン・ブラウンの来日を知った時、

最初は「ふーん、来るんだ。」程度の反応だったのだが、

彼がすでに74歳となっていることを知り、

ひょっとしたら、これが最後の来日になるかもしれないと思ったら

間近で彼の音楽を聴いておきたいとの思いが急に募り始めた。

幸いにして、今は仕事量を調整しやすくもなっているので

この機会は絶対に逃せない、と東京での追加公演のチケットを

発売開始と同時に申し込んでいた。

 

それからの3か月。気後れしないようにと最新アルバムを中心に

現在のジャクソン・ブラウンの音楽を繰り返し何度も聴いてきた。

昔のように歌詞を覚えるまで聴き込めたわけではないが、

どの曲が始まっても楽しめる準備は整っていた。

そして、公演の当日。

開演を待つ列に並ぶ人たちのほとんどが私と同年代。

彼の音楽に共感した人たちが同じ世代にたくさんいたことをうれしく思いながら開演を待っていた。

コンサートの選曲は意外にも大半が初期の4枚のアルバムから、

私がもっとも熱狂した時代の曲がほとんどだった。

公演の始まりこそ、だれもが大人しく聴いていたが、会場は次第に熱気を帯び

終盤には私自身も立ち上がって、若い頃に聞きおぼえた歌詞を熱唱していた。

観客総立ちの中、2回のアンコールの後のこと。

ジャクソン・ブラウンは演奏メンバーはもちろん、

日本人の運営スタッフもステージに呼び出し、

「Thank You Tokyo!」と手を振りながら、舞台の袖に消えていった。

 

その後も鳴りやまぬ拍手の中。

コンサートが完全に終わったことを確かめながら

私もゆっくりと会場を後にした。

そして、渋谷駅への道すがら。

「最近、これほど熱狂した時間を過ごしたことがあったかな」と

高揚のあまり、いくつかの曲を口ずさむ自分を不思議に思いつつ、

さらにこんなことを思ったりもしていた。

終盤の会場のどよめきを思う限り、私だけでなく観衆の誰もがあの時間を楽しんでいた。

そして、ジャクソン・ブラウンもまた、あのアンコールの曲『ロード・アウト』の歌詞のように

日本での最後の公演を満足してくれていたらいいな、と。

 

Jackson Browne The Load Out/Stay

 

 

『ロード・アウト』

客席は空っぽ。

さあ、設営スタッフにステージを受け渡そう。

会場は取り壊され、荷造りが始まる。

彼らは最初にここにやってきて、そして最後にここを出る。

わずかな賃金で働いてくれて

そして、別の街でまた会場を準備してくれる。

今夜、観客はとても素晴らしかった。

ちゃんと列を作って待ってくれていた。

そして、立ち上がってショーを盛り上げてもくれて、

すごく心地よかった。

でも、今、僕の耳には観客が聞くことがなかった

椅子を片づける音やドアが閉まる音が聞こえているんだ。

 

片付けが進んで、最後のギターが仕舞われても

僕はまだ歌っていたいんだ。

だからピアノを片づけるのは待ってくれないか。

 

みなさん。僕たちのコンサートに力をくれるのはあなたたちです。

座って待つのもいいけど、僕たちを引っ張ってください。

僕たちと一緒に歌いましょう!

 

『ステイ』

みなさん。もう少しだけいてください。

僕たちはもう少し演奏していたいんです。

開催者だって気にせず許してくれるでしょう。

だから、時間をとってもう一曲歌いましょう。

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お化け煙突はどこだ!  続き

2023-03-03 | 自分史・家族史

「お化け煙突」の話が続く。

 

地下鉄千代田線の町屋駅から北に20分ほど歩くと隅田川に出る。

そして、尾竹橋を渡ったところ、帝京科学大学キャンパスの一画に

「お化け煙突モニュメント」がある。

円筒のモニュメントの上半分が「お化け煙突」の一部。

煙突の解体後、当時近くにあった小学校の滑り台の台座に転用されたそうだが、

小学校が廃校となった後、ここでモニュメントして残されたという。

また、その足元では当時の写真とともに「お化け煙突」こと

千住火力発電所の概要や歴史も紹介されている。

 

「お化け煙突」の1/20スケールのモニュメント。

一節が1mほどで四節だから4m。

つまり、煙突の高さは80mほどあったようだ。

この高さは30階近い建物に相当する。

当時、東京タワーは別格として、

これだけの高さの建造物はそう多くはなかったはずで

今で言うランドマーク的存在だったのだろう。

さらに4本の配置を角度を変えながら眺めると

見える本数が変わるという「お化け」の由来も理解できる。

 

 

 

さて、「お化け煙突」が実際に建っていた場所はこのあたり。

右に見える帝京大学千住グラウンドからその奥にある東京電力資材置き場にかけて

「お化け煙突」があったようだ。

 

「お化け煙突」こと千住火力発電所は大正15年に稼働開始。

戦時中も空襲の被害を受けることなく稼働を続けたが

施設の老朽化、また豊洲に新しい火力発電所が建設されたことなどから

昭和38年に稼働を停止、翌39年に解体されている。

昭和39年は先の東京オリンピックが開催された年。

当時の私は8歳。小学校三年生だった。

前回の記事では東京で過ごした学生時代に「お化け煙突」を探したことを書いた。

受験で上京する新幹線の車中、

新横浜を過ぎたあたりからは車窓に顔を押し付けるように

東京の街並みに目を凝らしていた。

さらにそれからの4年間。都内の見晴らしのいい場所では

決まってそれらしい煙突を探したものだった。

だが、その時。「お化け煙突」はすでになく、

そのことを知らずに記憶の中の風景を探し求めていたのだ。

 

「お化け煙突」は山手線からも見えたというから、

私の年代を含む多くの人がその存在を知っていて、

しかも愛着をもってその姿を眺めていたことだと思う。

煙突が解体されると決まった時、

地元の人たちによる「お別れの会」が開催されたとの記録がある。

奇妙な話だ。

なぜなら、今の時代、火力発電所はその社会的な必要性はともかく、

近隣住民にとっては迷惑施設に他ならないからだ。

けれども、近隣の人たちにとっては、その「迷惑」を差し引いてなお、

「お化け煙突」は親しみの存在だったのだろう。

近くを散歩する年配の方、お二人に声をかけてみた。

お二人とも懐かしそうに「お化け煙突」のことを話してくださった。

「お化け煙突」は記憶の中の風景でしかなかったが

実際にそれを見ていた人たちの話を聞くことでその輪郭がはっきりとした。

それで満足だった。

 

小一時間ほど辺りを散策した後、

もうここに来ることも無いだろう、帰りかけたのだが...。

隅田川を渡ったところで足が止まり、

そして、対岸を振り返っていた。

大きく広がる空に、もう一度「お化け煙突」の記憶を重ねてみたくなったのだ。

その日の東京は快晴。澄み渡る冬空の青さが目に痛いほどまぶしかった。

 

 

 

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お化け煙突はどこだ!

2023-03-01 | 自分史・家族史

子どもの頃、もう60年近くも前に

心の奥底へ刻まれたある記憶。

だが、その記憶は大人になるにつれて次第に薄れ、

ふたたび思い出すことなどないはずだった。

ところが、ふとしたきっかけがその記憶を呼び戻した。

ここがその記憶の場所。

「お化け煙突」はここにあったのだ。

 

小学校に入って間もない頃だったと思う。

子供向けの科学雑誌で「お化け煙突」のことを知った。

東京のどこかに、広い空を突きあげるように高い煙突が立っていて、

もくもくと煙を吐いている。

煙突は4本あるのだが、あるところではそれは1本に見え、

またあるところでは2本になったり、3本になったりもする。

ひし形に配置された4本の煙突が見る場所によって重なり合うだけのことなのだが

威圧するような巨大さ、そして「お化け」という形容が芽生えたての好奇心を煽ったのだ。

ところがどういうわけか。

その強烈な印象にもかかわらず

「お化け煙突」の本当の名前も場所もまったく覚えていなかった。

その時から10年以上も経った東京での学生時代。

「お化け煙突」のことはまだ覚えていて、

東京タワーなど高い場所に昇ると見渡す景色に目を凝らしたものだった。

けれども、ついに「お化け煙突」を見つけることはできなかった。

そして、卒業とともに東京を離れ、

就職、結婚、子育てと日々の生活に追われるうちに

その記憶は次第に薄れ、思い出すことさえなくなっていった。

 

ところが。

ある偶然からその記憶が突然目を覚ましたのである。

それは今から10年ほど前のこと、「お化け煙突」を知ってから50年近くも経ってからだった。

その頃、一緒に仕事をしていた建築設計者の名刺の裏にこんなプリントがあった。

   

その人が務める設計会社が関わった塔建築が図解されていて

当時、竣工間近だった東京スカイツリーのほか、東京タワーなど名だたる塔建築が並んでいる。

それぞれの塔建築に興味がわき、調べ始めたところ、

日本の塔建築の構造設計には内藤多仲という建築家が大きく関わっていることを知った。

さらに内藤多仲氏の略歴を探し出し、読み進めるうちに

驚きのあまり思わず声を上げそうになった。

記事には氏が構造設計に関わった建築物の写真が載っていたのだが

その一枚が子供の頃、目に焼きつけた

あの「お化け煙突」だったからだ。

      

千住火力発電所。それこそが「お化け煙突」の正体だったのだ。

 

続く。

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4月になれば

2022-04-02 | 自分史・家族史

4月1日は誕生日。

長女からお祝いにと和田屋の山菜お節が届いた。

 

和田屋は白山麓鶴来町で150年続く老舗料理旅館で、

山菜や川魚、猪など白山の恵みを素朴に供してくれる。

 

 

色とりどりの料理、さらにこの下には

数々の山菜の煮しめがびっしりと詰まっていた。

お品書きを見ると、煮しめの中に、蕗の薹、楤の芽、薇、土筆、独活、薊など素材名が記されている。

順にふきのとう、たらの芽、ぜんまい、つくし、うど、あざみのことだが、

さらに「こごみ」や「ぎぼうし」など、この時期ならではの山菜が並ぶ。

このほか、岩魚、桜鱒、稚鮎、猪、すっぽんといった野趣あふれる素材もふんだんに。

それぞれの料理名を紹介したいところだが

料理の数にして21品、煮しめ一品だけでも8種類の素材が使われているし、

そもそも料理名を並べ立てたところでその美味しさが伝わるものでもない。

それで、お品書きに添えてあった店主のご挨拶を全文ご紹介。

気持ちのこもった文章から、「白山麓の春」を感じていただけたなら幸いだ。

 

山々がこれから一斉に芽吹く季節となりました。

皆様にご注文頂戴いたしました山菜お節の為に、

先日山にまいりましたら、いつも通れるはずの林道に

雪がたくさん残っておりまして、道路まで木々が倒れ、

今年の雪の多さを改めて感じておりました。

山菜お節の上に付いております木は、

その時に山から採ってまいりました、

白山麓の「黒文字(くろもじ)」の木でございます。


黒文字は、清涼感のよい香りがすることから、

お茶や、生薬にすることがある木でございますが、

中国地方では「福木」とし、「福が来る縁起の良い木」として

用いられるそうでございます。

黒文字の枝の根元を少し切ってくださいますと、

清々しい深山の香りが蘇ってまいります。


本日は当屋「山菜お節」をご注文いただきまして

誠にありがとうございます。

どうぞ、白山麓の春の芽吹きを、心を込めて

木箱にたくさんお詰め致しました。

白山近郊のさまざまな種類の山菜を五感で楽しみ、

たくさんの春を感じていただけましたら

この上なく嬉しく思います。

 

和田屋七代目主人 和田壮央

 


 
  Simon & Garfunkel - April Come She Will (from The Concert in Central Park)

 

 

 

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立春大吉、雛人形。そして、カレン忌

2022-02-05 | 自分史・家族史

一日遅れたが、立春に寄せて。

 

金沢は相変わらず断続的に雪が降り、今朝は久しぶりの積雪となった。

立春とは名ばかりの気候だが、それでも、暦に「春」の字が入るだけで

気持ちは明るくなるものだ。

 

そして・・・。

立春だから、というわけでもないだろうが

我が家に雛人形が飾られた。

今年3歳になる孫のすみれ。

日増しに女児らしくなる、その姿を家内が思い浮かべたのか

数年ぶりに飾り付けたのだ。

 

この雛人形、長女が生まれた時に父が買ってくれたものだが、

その時いちばん喜んだのは家内。

父を引っ張るように出かけ、選んだのがこれだった。

以来、母娘で楽しんできたのだが、その長女も今年39歳になる。

長女は狭い貸家住まいなので、今は我が家に飾っているが

いずれ、この雛人形は長女の家へと移り、

そして、すみれへと引き継がれていくのだろう。

 

ところで・・・。

立春、いや2月4日といえばもうひとつ思い出すことがある。

 
 Carpenters, The Royal Philharmonic Orchestra - Superstar

偶然見つけ、見入った動画。

何年か前、リチャード・カーペンターが

ロンドンのロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラを従えて

カーペンターズの楽曲をリメイクしたCDが発売された。

その録音風景、もしくはリハーサルの一部だと思う。

そこに、カレンの映像が重なっているのだが、

この模様を眺めながら、ふと「カレンが亡くなったのはいつだったろう」と、気になり始めた。

それで、すぐに調べてみたところ、それが1983年の2月4日だった。

今でも時々、カレン・カーペンターの歌声を耳にする。

それゆえにカレンが亡くなったのが、ついこの前のように思っていたのだが

実に39年もの年月が、「あっ!」という間に流れている。

一方で、1983年、つまり昭和58年は長女が生まれた年でもある。

幼かったころのこと。就学。大学受験。就職。結婚。

そして出産と、折々を思い出すと39年は長い。

雛人形とともに積みあがった時間に

カレンが亡くなってからの「あっ!」という間の時間を重ねながら、

時間感覚の不確かさ、あるいは不思議さを感じずにはいられなかったのである。

 

さて。カレンが存命なら72歳。

「今頃、どんなおばあちゃんになっていただろう」などと

つまらないことを考えて、思わず頬を緩めていたりもした。

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CIRCUS

2021-07-10 | 自分史・家族史

先月の話になるが

21世紀美術館で開催された「北陸二科展」へ行ってきた。

そこに展示された家内の絵を見に行ったのだ。

「CIRCUS」というタイトルの三枚の絵だが

飾られたとはいえ、これはまだ、

秋に東京で開催される「二科展」に向けた研究展示でしかない。

けれども、絵を描き始めてやがて5年。

そのひとつの成果だと考えるなら、喜ばしいことだ。

 

 

         

 

そのことはともかく。

日本でサーカスといえばすぐに頭に浮かぶのが『木下サーカス』。

今でもあるのかな、と思い、検索してみたところ、

立派なホームページが出てきた。

創立以来、120年もの歴史を重ねているそうだから、堂々たる長寿企業(?)。

今も全国あちこちを回り、現在は大阪で公演をしているらしい。なによりだ。

さて、自分にとってサーカスの記憶となると、それはもうはるか昔。

おそらくは小学校にも上がっていなかったころだと思う。

鉄道の線路わきの空き地に建てられた大きなテント。

そのサーカス小屋へ親に手を引かれ出かけたことを

おそらくは60年近くも前のことだが、今でも覚えている。

薄暗がりのテントの中で見た光景。

サーカスの出しものといえば、空中ブランコなどアクロバットが思い浮かぶが、

幼かった自分にとって、それらの記憶はあいまいで

それよりも、馬や象、ライオンなど

大型の動物がたくさんいたことが、鮮明な記憶として残っている。

今でこそ地方にも動物園はあるが

その頃は犬や猫以外の動物を見る機会などめったになく

大きな動物たちを間近にしたことが強い印象として残ったのだろう。

しかも、その動物たちがサーカス団員と親密に触れ合う姿を物珍しく見ていた。

実はきびしい躾の結果なのだが、子供心にそんなことがわかるはずもなく

ただ、動物たちのしぐさを微笑ましく眺めていたのだと思う。

そんな記憶を辿りながら、家内の絵を眺めていたのだが、

家内が何を思ってサーカスをテーマに選んだのか、は聞いていない。

もしかしたら、家内も、あの線路わきのサーカスに出かけていて

その記憶を手繰っているのかもしれない、と思ったりもした。

次の作品の構想に入ったようだが、やはり、テーマはサーカス。

そして、なにげなくデッサンを覗き込むと

どうもそこに、象を登場させるようだ。

もし、家内の記憶も幼いころのサーカスに繋がっているとすれば、

あの動物たちがどんなふうに描かれるのか、

楽しみでもある。


折にふれての選曲。

サーカスのことを書いていて、思い浮かんだのが『Little  Wing 』

洋楽通の方なら、かつて、エリック・クラプトンが率いたロックバンド

デレク&ドミノスの楽曲を思い浮かべると思う。

オリジナルはロックギタリストのジミ・ヘンドリックス。

彼は薬物中毒で早世しているので、

シュールな歌詞を眺めると、「幻覚症状...?」などと思ったりもするが

ここは、懐かしい思い出、さらには誰か愛するひとへの思いと素直に受けとめたい。

そして、選んだのはこの曲の美しさをもっとも引き出している(あくまでも主観だが)

スティングのカバーとした。

 
    Little Wing -  Sting 

     Well she’s walking through the clouds                 彼女は、駆け回るサーカス団員のような心持ちで
     With a circus mind that’s running round     雲の間を歩いていく
     Butterflies and zebras                 蝶々にシマウマ
     And moonbeams and fairy tales           そして、月の光やおとぎ話
     That’s all she ever thinks about            それが彼女が考えるすべてのこと

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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