折にふれて

季節の話題、写真など…。
音楽とともに、折にふれてあれこれ。

もうひとつのおわら風の盆 3

2024-10-04 | おわら風の盆・八尾

おわら風の盆に通いだしてやがて20年になる。

種明かしをすれば、風の盆で過ごす時間の大半は仕事がらみ。

ふだんからお世話になっている方たちを案内し

特別な体験として心に留めていただいているのだ。

一方で私自身が魅了されていることも事実で

役得とばかりにおわらの様子をカメラに納め

折々に当ブログでも紹介してきた。

しかし、それもふだんのおわらに限ったこと。

深夜のおわらまでは見たことがなかった。

案内した方たちを送り届けるのも仕事のうちで

深夜まで八尾に留まることができなかったからだ。

言葉が過ぎるかもしれないが、

観光客向けにアレンジされたおわらを見ていただけだったかもしれないのだ。

     

その深夜のおわらをようやくにして見ることができた。

その様子。若い踊り手たちの盛り立て役だった地方(じかた)の人たちが

踊り手たちを引き連れて町中を流す姿に

年配の女性たちの円熟した踊りの様子を

「もうひとつのおわら」として紹介してきた。

けれども彼らだけが主役だったわけでもない。

 

大方の観光客が去り、人通りが少なくなった通り。

菅笠を外し、素に戻って踊る若い踊り手たちがいた。

「見られている」という気負いも消え、素直に踊りを楽しんでいると

微笑ましく眺め、カメラに納めた。

       

そして、思った。

老いも若きもなく、町中の人たちがおわらを楽しむ姿。

それが「深夜のおわらはいい」と言われる所以だったかもしれないと。

 

さて。

前の稿で五木寛之の小説『風の柩』を読んで

勝手に創り出した深夜のおわらの風景のことを書いた。

それは闇の中から踊り手たちが現れる幻想的ともいえるもので

もちろんそんな風景に出会うことなどなかったのだが

代わりに、往来の真ん中でたむろする彼女たちがこんな風景を作ってくれた。

     

暗闇の中で映える彼女たちの姿に惹かれはしたが、

小説の世界とのギャップに「現実はこんなものかな」と苦笑しつつ、

彼女たちの作ってくれた風景をありがたく頂戴した次第だ。 

 

この稿終わり。

 

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もうひとつのおわら風の盆 2

2024-09-25 | おわら風の盆・八尾

物悲しいおわら節がどこからともなく聞こえ

やがて漆黒の中から嫋やかな女性の踊り手たちが現れる。

さらに衣擦れの音を響かせながら

キレのある男性の踊り手たちが続く。

菅笠を目深に被り、表情を隠した若い男女の

そんな幻想的なシーンを想像し、

さらに、こんなふうに撮ってみたい、と

構図まで勝手に思い浮かべていたのだが...。

 

「もうひとつのおわら」はまったくの別物だった、という話。

 

深夜の町流しをを見たくて訪れた八尾。

ある踊り手にどのあたりを流すのか聞いてみたところ

「どこで踊るのか、僕たちにはわからないのです。

 地方の人たちが決めて、僕たちはそれについていくだけです。」

という答えが返ってきた。

地方(じかた)とは三味線や胡弓を奏でる人たち、それに合わせおわら節を唄う人たちのこと。

撮影の主題と思っていた踊り手の「ついていくだけ」という言葉に

しばらくはその景色を思い描けなかったのだが...

     

これまで見てきたおわらは若い男女が主役だった。

深夜になると主役は少し年嵩の地方や踊り手に変わっていた。

けれども、決してがっかりした訳ではない。

むしろ、かれらが楽しむ姿こそ、

小説「風の柩」に描かれた「おわら」だったに違いない、と納得したからだ。  

 

     

菅笠を被った若い踊り手たちからは観客を意識した

気負いのようなものを感じていたが、

深夜の主役たちからはそんな気配はまったく感じられなかった。

ただ弾きたいから弾く。踊りたいから踊る。

そんな自分たちのおわらを楽しむ人たちに目が釘付けになったのだ。

そこには長年おわらとともに生きてきた円熟味も加わっていたと思うのだが

その円熟味が若い男女にはない凄みとして伝わってもくる。

そして、それこそが「ほんとうのおわら」なのかもしれない、と思ってもいた。

 

     

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もうひとつのおわら風の盆

2024-09-16 | おわら風の盆・八尾

越中八尾、おわら風の盆。

風の盆と聞いてまず思い起こすのは、

ゆったりとしたおわら節に乗せて若い男女が踊る姿だ。

そもそも踊りの所作は収穫に感謝するものなのだが、

互いに菅笠で素顔を隠し、艶やかに踊る姿に

見る人は男女の恋に思いを馳せる。

そこにおわら節の物悲しい曲調もあって、

一様に「哀愁を帯びた」と情緒を感じるものなのだが

一方では、若い未婚の男女が掛け合う姿だから、

哀愁を感じつつも華やかさも伝わってくる。

縁あって、そんなおわらを十数年見てきたのだが、

実はそれとは別に見てみたいおわらがあった。

 

十代の頃の話だが。

当時、五木寛之の小説を読み漁った時期があって

風の盆を舞台にした短編小説「風の柩」には

地元の人しか知らないおわらが描かれていた。

その印象がその後も長く心に残ることになったのだが。

深夜、人通りの途絶えた町。

そこにどこからともなく聞こえてくる胡弓の物悲しい音色。

見物客も帰り、踊り手も引き揚げたあと、

淋しい町になった時がおわらには似合う、とあった。

そんな記憶が勝手に作り出したおわらを見てみたかったのだ。

     

「風の柩」が書かれたのはもう50年以上も前のこと。

その時よりも風の盆はずっと有名になった。

今では全国的に注目を浴び、祭の3日間に訪れる観光客は

20万人とも30万人とも言われる。

つまり、深夜になっても、「風の柩」に描かれているように

人が途絶えてしまうわけではない。

けれども、そこには今まで目にしてきたものとは別物のおわらが

確かにあったのだ。

     

続く。

 

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風の乙女が帰ってきた

2023-09-03 | おわら風の盆・八尾

コロナ騒動で2年の中断。

ようやく再開された去年は踊り手たちは観客との距離をとり

自らもマスク姿で。

そして今年。風の乙女たちがいつもと変わらぬ姿でようやく帰ってきた。

富山市八尾。おわら風の盆。

9月1日から3日まで開催されるこの祭りに

全国から見物客がどっと押し寄せた。

人づてに聞いた話だと初日は7万人。さらに2日は10万人。

コロナの終息とともにいつもの活気が帰ってきたようだ。

さらに今年はNHKの中継も入るとかで

地元八尾の盛り上がりも絶頂。

1日、2日と今や全国にしれたおわらを楽しんできた次第だ。

 

 

 

 

 

 

 

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嵐を呼ぶ男たち  おわら風の盆 

2022-09-17 | おわら風の盆・八尾

おわら風の盆の起源は元禄の頃だという。

立春から二百十日、収穫の目前に吹く強い風を鎮めるために、

人々が三日三晩踊り歩いたのがその始まりだとか。

今年のおわらは三年ぶりの開催。

感染拡大の影響で縮小された開催となった上に、

地元の人によれば、これだけ雨に降られたおわらも珍しかったとか。

それでも、わずかな雨の合間を縫って町流しを見物できたことは幸運だった。

 

おわらといえば女性たちの嫋やかな踊りに目を奪われがちだが

今年は、どちらかというと男性たちの躍動感あふれる踊りに目が行っていた。

群舞による力強さ、そして、女性を気遣うようなやさしさなど。

様々な要素の表現を感じ取ることができたように思った。

さて、今年の北陸は盆過ぎから天候が安定せず、

おわらの天候をずいぶんと心配もした。

そして、おわらが終わった後に次々とやって来る台風。

強風を鎮める祭が皮肉にも強風を呼び込むことになった、などと思ったりもしたが

それも、おわらを楽しめた余裕があったからこそ...と、

「嵐を呼ぶ男たち」の写真にあらためて見入った次第だ。

 

 

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おわら町流し

2022-09-04 | おわら風の盆・八尾

おわら風の盆の話が続く。

 

八尾は富山市を外れた山間の町。

山が後ろに控えているせいか、夏から秋に季節が変わるころ雨が降ることも多い。

それよりも尚、土地の方に言わせると、今年ほど雨に降られる「おわら」も珍しいらしい。

それでも。。。

初日こそ晴れ間はまったく無かったが

二日目、三日目ともなると雨は小康状態。

そして、夜になるとようやく

雨の合間を縫って、あちこちで町流しも始まった。

 

幸運にもある町流しのそばに

三脚を立てさせてもらうことができた。

それで初めて、町流しを動画撮影。

 

さらに続く。

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雨のおわら

2022-09-03 | おわら風の盆・八尾

越中八尾で毎年9月1日より3日間開催されるおわら風の盆。

今年は3年ぶりの開催となった。

それにもかかわらず・・・

今年の初日はあいにくの雨。

風の盆の最大の見どころは町流し。

哀愁ただようおわら節に乗せて踊る男女。

それが坂の町八尾を流して歩く。

その踊りを演ずるのが未婚の男女となれば連想するところは「恋」。

激しい恋を連想するか、しのぶ恋と思うのか。それは見物客次第。

今や、それを目当てに全国から30万人もの観光客が押し寄せる。

ところが雨が降れば町流しも中止。

残念だったが天候ばかりはどうしようもない。

 

けれども、例年なら観光客でごった返す街もこの通り。

祭はあと二日ある、と風情ある八尾の町を楽しんだ次第。

 

 

 

 

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越中八尾曳山祭

2022-05-15 | おわら風の盆・八尾

5月3日。

無数の提灯に飾られた曳山に惹かれ出かけた越中八尾。

「なるほど見事なものだ」と

曳山ばかりに目を奪われていたのだが、

曳山に付いて歩いているうちに、

次第に興味は別のものに・・・。

祭の主役はなんといっても「ひと」。

ひとの後ろ姿から祭を追ってみた。

 

祭を主催する氏子衆に

 

曳山を引き回すひと達。

 

さらに、曳山に群がるひと、ひと、ひと...

 

ひとの背中から三年ぶりの楽しさが伝わってきた。

そして、熱狂の一夜は「あっ」という間に過ぎていったのである。

 


ジョン・オーツのソロアルバム 『PHUNK  SHUI』(風水のことらしい)から 。

 
    All Good People    John Oates

ともするとダリル・ホールの陰に隠れがちだった彼。

その音楽センスを証明したともいえる素晴らしいアルバムだと思う。

 

 

 

 

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回想 風の乙女たち

2021-09-03 | おわら風の盆・八尾

この時期、決まって訪れるのが富山市八尾。

9月1日から3日まで開かれる越中おわら風の盆を見物するためだ。

 

 

ところが、コロナの影響で昨年、今年と開催が中止。

なんとも寂しい秋の訪れとなったのだが、

例によって、未公開フォルダに置き去りにしてきた写真を公開。

題して「回想 風の乙女たち」

夕刻前に八尾に入ると通りのあちこちから

物悲しい胡弓と三味線の音色が聞こえてくる。

越中おわら節だ。

そのおわら節に合わせて若い男女が艶やかな踊りを披露するのだが

そのボルテージが上がるのは陽が落ちてから。

この風の盆の見どころは

町内ごとに編成された踊り手、囃子方による町流し。

立春から二百十日、収穫の頃に吹く強い風を鎮めるため、

三日三晩、八尾の人たちが町を踊り歩いたのがその起源だという。

胡弓と三味線の哀愁を帯びた音色に合わせ、未婚の男女が織りなす恋の踊り。

人口が一万人にも満たない山間の小さな町に

おわら節と彼らの踊りに魅せられた人たちが

全国からやって来る。

その数は二十万人を超えるという。

 

そのひとたちをもてなしてくれる風の乙女たち。

 

来年こそ、この騒ぎが終息して

ふたたび彼女たちに会えることを切望してやまない。

 

 

 

 

 

 

 

 

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艶姿 風の乙女

2019-09-06 | おわら風の盆・八尾

立春から二百十日。

今年の秋もおわらから始まった。

三日三晩のおわら風の盆。

その初日、9月1日に越中八尾を訪れることが恒例となって10年以上もたつ。

元禄の頃に起こった収穫の無事を祈る行事。

それが今日に伝わったものとされるが

たしかにこの頃は秋の長雨に台風の襲来など天候の不純な時期。

それだから、一週間ほど前から八尾の天気を気にし始める。

  ♪ 八尾坂道 別れてくれば 露か時雨か オワラ ハラハラと

おわら節の一節のとおりハラハラと当日を待つのである。

 

そして...。

前日まで降り続いた雨を追い払ってくれた今年の風の乙女は彼女。

その艶姿に年甲斐もなく釘づけになった次第である。

 

 

 

 

※ご訪問ありがとうございました。

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