平泉寺がある福井県勝山市は奥越と呼ばれる山間部にあって
金沢からだと国道157号線で約70キロ、1時間半ほどの道のりだ。
一般道の70キロとは言え、沿線にいくつものスキー場があるほどの山道で
県境の谷峠では標高900mを超える。
秋などは紅葉が美しい山岳道路だが、
厳冬ともなるとかなり雪深い難所を抜けることになる。
そして、平泉寺に着いて出迎えてくれた景色もこのとおり。
さらに境内へと向かうのだが、歩くことができるのは先に進んだ誰かが雪を踏み固めただけの道。
少しでも踏み外そうものなら深い雪に足を取られて転びそうになる。
さて、正式な名前は平泉寺白山神社。
「寺」と「神社」がつく奇妙な名前だがざっくりとその歴史を書き連ねると。
元々は8世紀に、富士山、立山と並ぶ三霊山のひとつ、白山を神体として開かれたとある。
山岳信仰、つまり自然環境を畏敬することから始まったようだが
12世に比叡山延暦寺の庇護を受けることになった。
庇護の事情までは記されていないが、経済的な理由とかってに想像している。
つまりこのころに平泉寺と呼ばれるようになったが
明治期の神仏分離令により仏教色が褪せた後も
寺の字だけは残り『平泉寺白山神社』と呼ばれるようになったとある。
その歴史を照らしつつ境内図を眺めてみると
拝殿や供養塔、発掘跡など興味深いものが多い。
ところが残念ながらすべては雪の下。
平泉寺のほんとうの魅力はこの景色からは伝わらないのだ。
今回の訪問はただの思いつき。
雪化粧した山寺への憧れからだったが
その縁起を知ると雪の下に隠れた平泉寺を眺めてみたいとの思いが俄然募ってきた。
木洩れ日。青々とした緑の苔と石畳。早春、初夏、秋と折々の
そんな境内を思い浮かべながら雪景色を後にした。
平泉寺白山神社。
もう2年以上も前に奈良の室生寺を訪れた時に
その時は秋だったが、季節を飛び越して
雪化粧した山寺の風景を重ねていた。
雪と伽藍のモノクロの世界。
そんな人気のない静寂な風景を眺めてみたいと思ったのだ。
北陸は雪が降る上に信仰の厚い土地柄でもあるので
山寺の雪景色など案外簡単に出会えるとその時は思っていた。
ところが、悪天候が続く北陸の冬に、
しかも週末に出かけようと思うと
中々その機会が巡って来なかった。
昨日はこの冬初めてと言ってもよいくらいの晴天。
この日は逃せないと福井県山あいの勝山市にある
平泉寺へと向かうことにした。
山寺の雪景色を求めて訪れたにもかかわらず、
平泉寺に着いた当初はたじろいだ。
伽藍は雪に埋もれていて思い描いた景色と大きく違っていたのだ。
平泉寺を訪れたのはこれが初めて。
観光写真で知る平泉寺は石と苔に覆われたイメージが強く
そこにコントラストとして雪が加わると勝手に想像していたのだが。。。
一面が深い雪に覆われていて、参道にはわずかに人が歩いて踏み固めた雪道が出来ているだけ。
長い参道を雪に足をとられながら歩き始めたものの
「この銀世界では」と引っ返そうかとも思ったのだが
けれども、北陸では珍しいせっかくの好天。
気を取り直して、ファインダー越しに境内を眺めて見たところ
それなりの雪景色かなとも思えてきた。
ということで、二回に分けて雪深い平泉寺白山神社をご紹介することにする。
白山比咩神社、令和7年元旦午前6時。
我が家の初詣は元旦早朝の白山さんと決めている。
白山さんとは白山比咩(しらやまひめ)神社のことで格式でいうと加賀一の宮。
さらに全国に三千社余りある白山神社の総本宮でもある。
一の宮だけあって三が日、とりわけ元旦は参拝客の車で周辺道路が大渋滞するので
いちばん空いている早朝に参拝している。
そう決めてからもう20年ほどは経つが、もうひとつ決めていることがあって
それは白山さんで引いたおみくじを一年間財布に入れておくことだ。
格式ゆえからか白山さんのおみくじは末吉か小吉がほとんどで
大吉が出たという話はあまり聞かない。
そして、おみくじに記された神託にしてもかなりの辛口だ。
「願事」「商売」「旅行」など細目を気にしたら社会生活など成り立たない。
けれども、いつの頃からか、その神託には中々実があると思うようになって
それ以来、財布にしまい込んで、時折り神託を見直すようになった。
そして、今年のおみくじ。
吉凶は例によって末吉。その神託はというと。。。
「此のみくじに逢う人は、おいおい古い物事を改めてゆく兆しがあるから
宜しきに従って程よく改め、常に心も生活も清々しくするように心掛ければ
人からも親しまれ、自分も幸福になる運勢である。
志を固く辛抱を遂げる者は後、必ず幸せであるが、
姦計を以って私利私欲をたくらむ者は大凶である。」
今年、サラリーマン生活に区切りをつける。
しばらくは会社に残ることにはなるが
業績に対する責任などからは解放される。
つまり「古い物事をあらためる」のである。
そして、「常に心も生活も清々しくするように心掛ければ幸せになる運勢」とある
「私利私欲をたくらむ」などあるはずもないから
吉凶は「末吉」であろうが、新しい生活を前にした自分にとっては「大吉」に違いないと
このおみくじを財布にしまい込んだのである。
謹んで初春のご挨拶を申し上げます。
能登の地震から一年。
さらに追い打ちをかけるように9月の豪雨災害。
例年通り、初詣など正月の行事に向かったものの
なんとなく気が重いのは私だけではないようだ。
また今年の冬は例年に増してきびしく
積雪こそないものの11月の終わりから悪天候が続いている。
そんなこともあって今年の年賀状には少しでも早い春の訪れを願って
二年前に訪れた長野県小川村の春景色をコラージュして知人に届けた。
そのおすそ分けとして当ブログにも掲載した次第だが
明るい春、そして今年一年の希望につながっていただけたなら幸いだ。
春よ、来い -和楽器ver.-ーJapanese traditional musical instruments ensemble "MAHORA"