その陶工が世を去って百年が経った。
九谷焼が、石川県南部の、今は加賀市に併合された山あいの地、九谷村で起ったのは1650年頃と伝えられる。
加賀前田家の支藩である大聖寺藩が、当時、姻戚関係に合った佐賀鍋島藩の有田に藩士を遣わし、
有田焼の技法を学ばせ、殖産政策のひとつとしたことがその始まりだった。
しかし、九谷という名が示す通り、その地はいくつもの山や谷が折り重なる辺境の地、
ましてや冬ともなると、豪雪で人の行き来すらも滞ってしまう。
そのせいか、わずか50年ほどで九谷焼はすたり、
以来、その技法はもちろん、その地すらも忘れ去られ、「古九谷」というわずかな作品の記憶を残すだけとなる。
ところが、それから一世紀余り後、九谷焼を復興させようとの動きが加賀地方各地で起り、
その動きのひとつとして、大聖寺の豪商、吉田屋伝右衛門がふたたび九谷の地に窯を開いた。
これが再興九谷、吉田屋窯の始まりである。
吉田屋窯は、江戸後期の名窯としてよく知られ、世に数多くの名品を送り出している。
だが、その厳しい自然環境がまたしても経営に影を落とし、
開窯から二年後に山代の地(加賀市山代温泉)へと窯を移したが、
その衰退を止めることができず、紆余曲折の末、大聖寺藩がその経営を引き取ることとなった。
藩はその管理を、藩士、藤懸八十城(ふじかけやそき)らにあたらせるとともに、
京の名工、永楽和全を招へいするなど、技巧向上の指導と後継者の育成に、藩をあげて取り組んだのだった。
永楽和全作 金襴手鳳凰図向付
さて、その陶工、清七の話である。
当時の九谷焼は「古九谷」以来の青手と呼ばれる技法が主流で、
これは、加賀五彩(緑、黄、紫、紺青、赤)のうち、主に、赤をのぞく四色を重厚に塗り固めた大胆な構図が特長だった。
その芸術的価値は広く認められるところで、現代の九谷焼の技法としても引き継がれているが、
それはまた、当時の九谷焼の弱点を補う技法でもあったともいわれる。
その弱点とは焼物そのものの素地の粗さで、
もともとは、窯の構造や焼き方などは有田焼に学んだものの、
その出来栄えは、どうしても有田焼には及ばなかった。
おそらくは気候の違いが大きく影響していたものと思われるが、
当時としては、その出来栄えを埋める知見が不足していたのだろう。
永楽和全はまず素地の改良に取り組み、その弟子としたのが、若き陶工、清七だった。
和全は清七を有田へ留学させることで、素地の研究にあたらせようとしたのだが、それには大きな障害があった。
身分の低い清七には、留学はおろか、学問をさせることさえ許されなかったのだ。
ところが、そこへ助けの手を差し延べたのが、藩吏、藤懸八十城だった。
藤掛は清七を養子とし、武士の身分を与えた上で、有田へと送り出したのである。
かくして、九谷焼の素地は改良され、清七ら陶工の手によって、
「赤絵」や「金襴手」と呼ばれる精緻で繊細な作品が作りだされることとなり、
その窯は九谷本窯と呼ばれるようになった。
清七作 銀欄手茶器
... この稿、続く。
In My Life The Beatles
※ 作品の写真は、九谷焼窯跡展示館(石川県加賀市)で開催された企画展「寿楽窯今昔」に展示されていたもので、
撮影制限のかかっていないものです。
※ 参考文献
九谷の文様 中田喜明 著 京都書院
和全九谷の華 中田喜明 著 中田康成・向陽書房
一体何度聞いたことでしょう。
「In My Life」はもちろん
「Drive My Car」「Norwegian Wood」
「Girl」など名曲揃いですよね。
ただ、Norwegian Woodは
「ノルウェーの森」と訳すのはおかしく
「ノルウェー産の木製家具」なんですよ^ ^
応援ぽち
全くの門外漢でして
九谷焼のこともほとんど
知識がないんですよ。
関西には信楽焼、丹波立杭焼などがあり
窯元に行くのは好きなんですがねぇ。
応援ぽち
焼き物、陶器が好きなので面白く読ませていただきました。
冷たく堅い陶器も温かさを感じます。ずっといたい空間です^^
でも・・趣味で集めた陶器(洋、和)・・2回の地震で無くしてしまったものも・・諦めきれないものをあります(><)
知っておられるのはさすがだなぁと思いました。
私は変わった地名があると
すぐに由来を調べたくなるんですよ^ ^
応援ぽち
ノルウェーの森!
そうだったのですか?
インド風のアレンジも何か関係があるのでしょうか?
調べてみます。
陶磁器のこと。
私もどちらかというと門外漢です。
ただ、九谷焼のルーツを調べた機会があって、
あるきっかけから、それを書いています。
もう少し続きますが、よかったら読んでみてください。
間人のこと。
奈良在住の従兄がいて、
ずいぶんと昔、彼から教えてもらいました。
斑鳩の中宮寺にある天寿国繍帳が
聖徳太子と母親の間人皇女の供養のために
作られたという話を思い出しただけです。
あるきっかけから、九谷焼と清七という陶工のことを
書いてみたくなりました。
もう少し、続きますが、よかったら、またお寄りください。
・・・私のルーツにも関係するので気恥ずかしいところもあるのですが(苦笑)