哲学の道は、哲学者の西田幾太郎が散策し、思索にふけったといわれ、この名前がついたそうです。
しかし、この日の哲学の道は思索にふけるどころではありませんでした(笑)
桜は見頃を迎えていました。
ここでの撮影は桜と疎水と道がメインですが、どう切り取っても人が入ってしまいます。
縦画面にして疎水を中心に撮りました。
桜を見上げるか、アップにするしかないようです。
でも、そればかりでは哲学の道に来た意味がないので、人も写してしまいます。結局、納得のいく構図は見つけられませんでした。
哲学の道を歩くと必ず立ち寄るところがあります。それが法然院です。
この時期は白砂壇も桜が描かれていました。
ここだけは静かな時間が流れていました。
再び哲学の道にもどって、映り込みをねらったのですがイマイチです。
京都市内を流れる川は基本は北から南に流れるのですが、この疎水は南から北に流れます。
水の色が綺麗でした。もう少ししたら花筏が綺麗でしょう。
この日はこの後、嵐山に向かう予定でしたが急用が入ったので、慌てて京都を後にしました。
※訪問日 2019.4.5
しかし、この日の哲学の道は思索にふけるどころではありませんでした(笑)
桜は見頃を迎えていました。
ここでの撮影は桜と疎水と道がメインですが、どう切り取っても人が入ってしまいます。
縦画面にして疎水を中心に撮りました。
桜を見上げるか、アップにするしかないようです。
でも、そればかりでは哲学の道に来た意味がないので、人も写してしまいます。結局、納得のいく構図は見つけられませんでした。
哲学の道を歩くと必ず立ち寄るところがあります。それが法然院です。
この時期は白砂壇も桜が描かれていました。
ここだけは静かな時間が流れていました。
再び哲学の道にもどって、映り込みをねらったのですがイマイチです。
京都市内を流れる川は基本は北から南に流れるのですが、この疎水は南から北に流れます。
水の色が綺麗でした。もう少ししたら花筏が綺麗でしょう。
この日はこの後、嵐山に向かう予定でしたが急用が入ったので、慌てて京都を後にしました。
※訪問日 2019.4.5