藤井寺市道明寺のあたりをぶらりとしました。
近鉄道明寺線に乗ったり、東高野街道を歩いて古墳や遺跡を巡ったりと、コンデジ片手に歩いてきました。
まずは、柏原駅から近鉄道明寺線に乗り鉄です。道明寺線は近鉄電車の中でももっとも歴史が古い路線です。開業当時は河陽鉄道でした。
柏原南口駅が見えてきました。単式ホームの駅です。
柏原南口駅を出ると大和川にかかる橋梁を渡ります。路線の歴史同様に近鉄で最古級の橋梁です。
出発した柏原駅から2.2キロで終点の道明寺駅に到着です。元々は道明寺線が先に出来たのですが、今はあとから出来た南大阪線が大きな顔をしています(笑)
このあたりの話は以前、「近鉄南大阪線がおもしろい」2015.12.18で書きました。
今回のぶらり旅で行きたかったのは河内国府跡ですが、その前に藤井寺の藤の花を見に行きました。(藤井寺の藤は次回にアップします)
藤井寺駅から土師ノ里駅にやって来ました。駅前は古墳だらけです。最近「世界遺産」になったようですが、変わったことといえば「世界遺産登録」の垂れ幕があったくらいでした。
土師ノ里駅前にある手前が鍋塚古墳とその向こうの大きいのが仲ツ山古墳(仲姫命陵古墳)です。この古墳も造られた年代と被葬者が合っていない古墳の一つです。
こちらは市の山古墳(允恭天皇陵古墳)です。今は厳重に守られていますが、江戸時代には綿畑に利用されていたそうです。この古墳の被葬者も?だそうです。
そして、やって来たのが踏切です。ではなく、「東高野街道」です。「東高野街道」も部分的に歩いていますが、まだ未完走です。
特急がやって来ました。「撮り鉄」もしなくてはならないので忙しいです(笑)
雰囲気のある街道を歩きます。
道明寺の地名にもなった道明寺です。
なかなか立派なお寺でした。
その隣には道明寺天満宮がありました。こちらも立派な神社でした。
再び先ほどの踏切に戻ってきて、次は国府遺跡をめざします。嬉しくなるような案内板です。長尾街道というのも古代の官道で、古くは「大津道」とも呼ばれ、堺の港から飛鳥の都をつないでいました。
住宅が建ち並んで昔の面影はありませんが、街道だけが歴史を語っています。この曲がり具合がなんとも魅力的です(笑)
市の山古墳(允恭天皇陵)の陪塚と国府八幡神社です。ここの地名は国府(こう)なので、この辺りが国府のあった所でしょうか。
国府とは奈良時代に各地に置かれた国庁のことです。国府は「こう」「こくふ」「こくぶ」などとして今も各地に地名として残っています。
志紀県主神社(河内国惣社)にやって来ました。今回の旅の目的地の河内国の国府跡です。
右の石碑に河内国府址と書かれていました。
志紀県主神社から少し離れた所にある国府遺跡(こういせき)です。
実は国府遺跡は旧石器時代の遺跡です。残念ながら国府としての施設の跡は発見されてないようですが、国府という地名や惣社などがあることから、ここに国府が置かれていたのは間違いないでしょう。
帰り道は大和川を渡って柏原駅まで歩きました。近鉄道明寺線が歴史のある橋梁を走ります。
実は今渡っている大和川は江戸時代に付け替えられた所です。昔は橋梁のあるあたりをまっすぐに左の方向に流れていました。
この辺りは大坂夏の陣の戦場でもありました。後藤又兵衛が討ち死にしたのもこの近くです。遠くには二上山や葛城山、金剛山も見えました。
久しぶりの街道歩きは、たくさんの歴史に触れることができて楽しかったです。
※訪問日 2021.4.12
近鉄道明寺線に乗ったり、東高野街道を歩いて古墳や遺跡を巡ったりと、コンデジ片手に歩いてきました。
まずは、柏原駅から近鉄道明寺線に乗り鉄です。道明寺線は近鉄電車の中でももっとも歴史が古い路線です。開業当時は河陽鉄道でした。
柏原南口駅が見えてきました。単式ホームの駅です。
柏原南口駅を出ると大和川にかかる橋梁を渡ります。路線の歴史同様に近鉄で最古級の橋梁です。
出発した柏原駅から2.2キロで終点の道明寺駅に到着です。元々は道明寺線が先に出来たのですが、今はあとから出来た南大阪線が大きな顔をしています(笑)
このあたりの話は以前、「近鉄南大阪線がおもしろい」2015.12.18で書きました。
今回のぶらり旅で行きたかったのは河内国府跡ですが、その前に藤井寺の藤の花を見に行きました。(藤井寺の藤は次回にアップします)
藤井寺駅から土師ノ里駅にやって来ました。駅前は古墳だらけです。最近「世界遺産」になったようですが、変わったことといえば「世界遺産登録」の垂れ幕があったくらいでした。
土師ノ里駅前にある手前が鍋塚古墳とその向こうの大きいのが仲ツ山古墳(仲姫命陵古墳)です。この古墳も造られた年代と被葬者が合っていない古墳の一つです。
こちらは市の山古墳(允恭天皇陵古墳)です。今は厳重に守られていますが、江戸時代には綿畑に利用されていたそうです。この古墳の被葬者も?だそうです。
そして、やって来たのが踏切です。ではなく、「東高野街道」です。「東高野街道」も部分的に歩いていますが、まだ未完走です。
特急がやって来ました。「撮り鉄」もしなくてはならないので忙しいです(笑)
雰囲気のある街道を歩きます。
道明寺の地名にもなった道明寺です。
なかなか立派なお寺でした。
その隣には道明寺天満宮がありました。こちらも立派な神社でした。
再び先ほどの踏切に戻ってきて、次は国府遺跡をめざします。嬉しくなるような案内板です。長尾街道というのも古代の官道で、古くは「大津道」とも呼ばれ、堺の港から飛鳥の都をつないでいました。
住宅が建ち並んで昔の面影はありませんが、街道だけが歴史を語っています。この曲がり具合がなんとも魅力的です(笑)
市の山古墳(允恭天皇陵)の陪塚と国府八幡神社です。ここの地名は国府(こう)なので、この辺りが国府のあった所でしょうか。
国府とは奈良時代に各地に置かれた国庁のことです。国府は「こう」「こくふ」「こくぶ」などとして今も各地に地名として残っています。
志紀県主神社(河内国惣社)にやって来ました。今回の旅の目的地の河内国の国府跡です。
右の石碑に河内国府址と書かれていました。
志紀県主神社から少し離れた所にある国府遺跡(こういせき)です。
実は国府遺跡は旧石器時代の遺跡です。残念ながら国府としての施設の跡は発見されてないようですが、国府という地名や惣社などがあることから、ここに国府が置かれていたのは間違いないでしょう。
帰り道は大和川を渡って柏原駅まで歩きました。近鉄道明寺線が歴史のある橋梁を走ります。
実は今渡っている大和川は江戸時代に付け替えられた所です。昔は橋梁のあるあたりをまっすぐに左の方向に流れていました。
この辺りは大坂夏の陣の戦場でもありました。後藤又兵衛が討ち死にしたのもこの近くです。遠くには二上山や葛城山、金剛山も見えました。
久しぶりの街道歩きは、たくさんの歴史に触れることができて楽しかったです。
※訪問日 2021.4.12