京都のまちを歩いていると必ず出会うのが「路地」です。京都では「ろ~じ」と言うそうです。路地とは別に「辻子」<図子>(ずし)と言うのもあります。路地は行き止まりになっていますが、辻子は、大路や小路を結ぶ細い道です。
ちょっと前(12月30日)に遊んだ路地です。奥には何があるんだろうと想像力を涌かせてくれます。
(四条通にある路地)
(松原通にある路地)
京都のまちは、平安京が誕生したときに碁盤の目状に作られました。一辺が120メートルの区画なので、どうしても区画の中心部は空き地になってしまいます。その空間に入っていくための道が「路地」なのです。(その後の長い歴史の変遷の中で生まれてきた「路地」もあります)
今回は、辻子を巡ります。はじめに訪れたのは「膏薬辻子」(こうやくのずし)です。四条烏丸からすぐのところにあります。
姉小路からスタートします。突き当たりを右に曲がって、また、突き当たりを左に曲がると、やがて四条通に通じています。
途中の神田明神には、この道の由来も書かれていました。空也上人が平将門の霊を弔った「空也供養(くうやくよう)」がなまって、「こうやく」になったとか…。
もう少し歩くと、こんどは撞木辻子があります。四条通から錦小路に通じていました。そこには「ぜぜかんぽっちり」という前に行ったことのある中華のお店がありました。(バーもありますよ)
少し先には、了頓辻子もありました。六角通から三条通に抜ける道です。安土桃山時代の茶人広野了頓がここに邸宅を構え、邸内の南北の通り抜けを許したためにできた道だそうです。スケールが大きい話ですね。
今日はここまでです。まだまだ魅力的な路地や辻子がたくさんありそうなので、これからもゆっくりと巡っていきたいと思います。
ちょっと前(12月30日)に遊んだ路地です。奥には何があるんだろうと想像力を涌かせてくれます。
(四条通にある路地)
(松原通にある路地)
京都のまちは、平安京が誕生したときに碁盤の目状に作られました。一辺が120メートルの区画なので、どうしても区画の中心部は空き地になってしまいます。その空間に入っていくための道が「路地」なのです。(その後の長い歴史の変遷の中で生まれてきた「路地」もあります)
今回は、辻子を巡ります。はじめに訪れたのは「膏薬辻子」(こうやくのずし)です。四条烏丸からすぐのところにあります。
姉小路からスタートします。突き当たりを右に曲がって、また、突き当たりを左に曲がると、やがて四条通に通じています。
途中の神田明神には、この道の由来も書かれていました。空也上人が平将門の霊を弔った「空也供養(くうやくよう)」がなまって、「こうやく」になったとか…。
もう少し歩くと、こんどは撞木辻子があります。四条通から錦小路に通じていました。そこには「ぜぜかんぽっちり」という前に行ったことのある中華のお店がありました。(バーもありますよ)
少し先には、了頓辻子もありました。六角通から三条通に抜ける道です。安土桃山時代の茶人広野了頓がここに邸宅を構え、邸内の南北の通り抜けを許したためにできた道だそうです。スケールが大きい話ですね。
今日はここまでです。まだまだ魅力的な路地や辻子がたくさんありそうなので、これからもゆっくりと巡っていきたいと思います。