はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

通夜

2006-07-04 17:16:31 | はがき随筆
 友人3人で通夜に行った。1人の都合で10時に先方に行くことになった。狭い地域で私以外の2人とは顔見知りの間柄であった。10時と言えば親族だけ。帰りに1人が「私、話の途中で笑ったりして失礼ではなかったかしら」と心配する。「高齢だし、若い人が突然亡くなったのとは違うよ」と2人。もう30年以上も前、私の近所の人が亡くなった。高齢というわけでもなかった。親族や近所の人が集まって談笑していた。喪主の義弟が、種子島に来て間もない私を盛んに冷やかす。私は声を上げて笑った。今までにあんなに楽しかった夜はないように思う。
   中種子町 美園春子(69) 2006/7/4 掲載

仏の空間

2006-07-04 16:59:25 | かごんま便り
 自然と心が落ち着いてくる場所だった。川辺町にある「清水磨崖仏群(きよみずまがいぶつぐん)」。清水川右岸の高さ約20㍍、長さ約400㍍の岸壁に平安時代の間、仏像や五輪塔、梵字、宝篋印塔(ほうきょういんとう)などが刻んである。その数、約200基という。
 川のせせらぎだけが聞こえる空間で一基、一基を眺めた。長い年月で摩耗が激しいものもある。先に彫られた仏を消さずに離して彫ってあった。山奥だからこそ、平安時代からの空間がそのまま残っているのだろうが、この地を訪れて、磨崖仏を彫るとは並大抵ではない。
 驚いたのは、鎌倉地代中期の「月輪大梵字」。これは1264年に英彦山の僧侶が彫ったとする記録があるという。英彦山は福岡、大分県にまたがっている。以前、私が赴任していた管内にあった。
 修験道で有名な急峻な山である。英彦山神宮の参道は急な石段で、沿道には歴史を感じさせる山伏の家の跡などが連なっているのを思い出した。その英彦山から、川辺町まで徒歩で来て、さらに岸壁に彫るエネルギー。ものぐさな私には、とても理解することはできない。僧侶が彫った文字は梵字の5文字。現在は3文字だけが残っているという。
 もらったパンフレットによると「彫られた前年に月食がおこり、彫られた年に史上最大の巨大彗星が接近していた。不吉な前兆と考えられていたことから、薬師如来を中心とする仏の力で封じ込めようとしたのではないかと言われている」と説明してあった。
 この僧侶は世の安寧を願う一心で、薩摩半島の山中まで遠路はるばる彫りに来たとも言える。幾多の人たちが、それぞれの思いで彫った磨崖仏群。時代が変わっても、気持ちはそのまま伝わって来る空間だった。
 雨上がりの平日だったせいか、私の他に訪れている人の姿はなかった。磨崖仏群から駐車場まで続く小道沿いにはヤマモミジが植えられている。雨に洗われた幼葉の新緑が美しい。ウグイスの声も聞こえた。これも幼く練習中なのだろう。「ホーケキョイ」と中途半端だ。ほほ笑ましくなり、「がんばれよ」と言いたくなった。
 毎日のように社会面に掲載される悲惨な事件、金がらみの事件、保身に走る立場ある者の記事の数々。私にとって、ともすれば殺伐とした気持ちを落ち着かせる仏の群れだった。
   毎日新聞鹿児島支局長 竹本啓自 2006/7/3 掲載

ばら園に憩う

2006-07-04 16:27:57 | はがき随筆
 4月下旬から始まった、かのやばら園グランドオープン記念「ばら祭り二〇〇六」は期間中途、10万人の入園者を報じるなど盛況の中、6月初旬に記念行事の幕を閉じた。期間中、各界の著名人を招き、多彩な催し物で賑わう週末と祝日、ボランティアの人たちの炊き出しを、女性団体数名が交代で担い、その日は毎年「ばら」のフォトコンテストの選者でお馴染みの写真家のご来園とあって、200食の「ちらし寿司とスープ」を用意。5月の風に揺れて咲き競う「ばら」の甘い香りに包まれて「おいしかったよ」のひと言が心地よかった。
   鹿屋市 神田橋弘子(68) 2006/7/3 掲載

逆療法

2006-07-04 14:34:16 | はがき随筆
 「しまった、腰をひねった」。犬が寒かろうとシート張りをしていた時のこと。軽い痛み。家内が「温泉で温めてみたら」と言うので、温泉に通った。痛みが取れたような感じがしていたが、4日目に我慢できない激痛で整形外科に行った。2カ月近くの入院になってしまった。激しい痛みに耐えかねて1日2回の座薬。血圧低下、体力消耗で肺炎を併発。おまけに二男の手術、家内の弟2人の手術。心配の余り胃かいようで胃腸科へ。現在6カ月目に入った。痛みは取れたが腰が重く、好きなグランドゴルフも休み。冷やさなければならないのに逆療法は怖い。
   薩摩川内市 新開 譲(80)  2006/7/2 掲載

島津雨と恵比寿様

2006-07-04 14:24:56 | はがき随筆
 朝から激しい雨、足取りが重くなる。バスの中でリーダーが開口一番「出立時の雨を島津雨といい、昔、島津氏が落ち延びる時、大阪の住吉神社で雨の中を初代様が埋まれ、それ以来続いてきた島津家を賞賛しての言い伝えで、幸先の良い雨です」と、一斉に拍手が沸き、車中が明るくなる。笠沙恵比寿に着いた時には雨も上がり恵比寿様の笑顔が一層輝いて見えた。恵比寿様とは魚の群を指し、豊漁に導く恵比寿信仰は、港の多くにあり、南限はトカラ島とか。因みに大写しの馬祖様は中国福建省に由来する航海安全の守護神である。収穫の多い一日であった。
   南さつま市 寺園マツエ(84) 2006/7/1 掲載