自然と心が落ち着いてくる場所だった。川辺町にある「清水磨崖仏群(きよみずまがいぶつぐん)」。清水川右岸の高さ約20㍍、長さ約400㍍の岸壁に平安時代の間、仏像や五輪塔、梵字、宝篋印塔(ほうきょういんとう)などが刻んである。その数、約200基という。
川のせせらぎだけが聞こえる空間で一基、一基を眺めた。長い年月で摩耗が激しいものもある。先に彫られた仏を消さずに離して彫ってあった。山奥だからこそ、平安時代からの空間がそのまま残っているのだろうが、この地を訪れて、磨崖仏を彫るとは並大抵ではない。
驚いたのは、鎌倉地代中期の「月輪大梵字」。これは1264年に英彦山の僧侶が彫ったとする記録があるという。英彦山は福岡、大分県にまたがっている。以前、私が赴任していた管内にあった。
修験道で有名な急峻な山である。英彦山神宮の参道は急な石段で、沿道には歴史を感じさせる山伏の家の跡などが連なっているのを思い出した。その英彦山から、川辺町まで徒歩で来て、さらに岸壁に彫るエネルギー。ものぐさな私には、とても理解することはできない。僧侶が彫った文字は梵字の5文字。現在は3文字だけが残っているという。
もらったパンフレットによると「彫られた前年に月食がおこり、彫られた年に史上最大の巨大彗星が接近していた。不吉な前兆と考えられていたことから、薬師如来を中心とする仏の力で封じ込めようとしたのではないかと言われている」と説明してあった。
この僧侶は世の安寧を願う一心で、薩摩半島の山中まで遠路はるばる彫りに来たとも言える。幾多の人たちが、それぞれの思いで彫った磨崖仏群。時代が変わっても、気持ちはそのまま伝わって来る空間だった。
雨上がりの平日だったせいか、私の他に訪れている人の姿はなかった。磨崖仏群から駐車場まで続く小道沿いにはヤマモミジが植えられている。雨に洗われた幼葉の新緑が美しい。ウグイスの声も聞こえた。これも幼く練習中なのだろう。「ホーケキョイ」と中途半端だ。ほほ笑ましくなり、「がんばれよ」と言いたくなった。
毎日のように社会面に掲載される悲惨な事件、金がらみの事件、保身に走る立場ある者の記事の数々。私にとって、ともすれば殺伐とした気持ちを落ち着かせる仏の群れだった。
毎日新聞鹿児島支局長 竹本啓自 2006/7/3 掲載