はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

最先端の地

2006-07-31 17:18:34 | かごんま便り
 薩摩藩が幕末に鋳造した大砲「150ポンド砲」が復元され、仙厳園に展示された。その大きさ、重厚さ、迫力に圧倒される。長さ約8㍍の木製台車に重量約4・5㍍、重量約8・3㌧の砲身が載っている。当時、日本最大級だったそうだ。
 その姿は復元で見ることが出来た。次は大砲を撃ったらどんな音がするのか興味がわき、「空砲でもいいから撃てませんか」と仙厳園に尋ねた。「それは無理ですよ」との答えだった。
 説明によると大砲は150ポンド(約68㌔)の弾丸を飛ばす能力があり、射程距離は3㌔。さらに1㌔先の4㌔まで空気振動の影響があるそうだ。だから火薬を爆発させるだけで、空気の衝撃波が対岸の桜島まで伝わり、民家の窓ガラスが壊れる可能性があるという。
 鹿児島には祇園洲や天保山などに砲台跡が残っている。大小の大砲が海に向かって備えてあった。薩英戦争(1863年)の時には、150ポンド砲2門をはじめとする大砲が使われた。それほどの威力だから、担当した兵は、耳栓が必需品だったに違いない。英国軍艦も薩摩側も、ありったけの弾丸を撃ち合ったのだろう。
 というのも、私が以前に住んでいた熊本県植木町には、西南の役(1877年)の激戦地・田原坂がある。ここでは薩軍と官軍が一日当たり最多で計32万発の銃弾を使った。
 鹿児島市の私学校跡の石塀には弾痕が残っているが、田原坂には無数の銃弾が壁に埋まっている「弾痕の家」が復元してある。また田原坂資料館には、両軍が撃った弾丸が飛び交う空中で衝突してくっついた「かち合い玉」が展示してある。
 両軍とももっているだけの弾を激しく撃ち合っていることから、薩英戦争の際にも薩軍は備えていた砲弾を惜しげもなく使ったのではないかと思われる。
 幕末の薩摩は、西洋で出版された専門書を翻訳して優良な鉄を生産するための反射炉を造った。それから最大級の大砲が生まれた。国内でも科学の最先端の土地だった。
 ガス灯が磯の別邸内についたのが1857年。ところが、ガス灯の発祥の地とされているのは横浜市である。会社組織で1872年に設置された。薩摩が15年早く、発祥と言えるのでは。県外から来た私は、もっと全国にPRしてもいいと思うものが鹿児島にはたくさんあると思う。
   毎日新聞鹿児島支局長 竹本啓自  毎日新聞鹿児島版 2006/7/31 掲載より

バナナの成長

2006-07-31 15:16:31 | はがき随筆
 晩春、路地から塀越しに枯れた茎の重なりからスクッと芽が伸びたものが見えた。「よかった。今年もバナナの成長が見られる」。つい、つぶやいた。今は見上げる程に茂り、茎の間から赤紫色した包葉が見える。先日、包葉が1枚落ちた。その後に4㌢程の長さで先が黄色の管状のものが数個並んでいた。バナナの花は淡黄色の六片花と本にあるので、これはバナナでないかもしれない。しかし間もなくバナナそっくりの青い小さな実。次の包葉が散ると二段目のバナナが並ぶ。昨年は六段房がついた。今年は幾段房がつくか。このバナナの成長を楽しんでいる。
   出水市 年神貞子(70) 2006/7/31 掲載