はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

ぼけ&ぼけ

2007-07-01 16:33:35 | はがき随筆
 デイ・サービスの朝、笑顔の母と食卓につく。
 「おや、入れ歯はどうしたの?」
 「あ、忘れた。どこかなあ」
家中探し回ってようやく見つけた。
 「さあ、食べましょう」
 「いただきます。これはスプーンで食べるのね」
 「いいえ、お箸よ。あら、ないねえ。お母さんのボケがうつったのかな」
 「私も由井ちゃんのがうつったんだろうねえ」
 「そうかもね。すみません」
 「いいのよ。親子だから」
89歳の母との一日が始まる。
   阿久根市 別枝由井(65) 2007/7/1 毎日新聞鹿児島版掲載

偶感

2007-07-01 16:27:52 | はがき随筆
 「なんだ、こりゃ」と思う作品がある。例えばピカソの絵、斎藤史さんの短歌、それに、さまざまな写真や彫刻など、何が何だか分からないので放り出すが、なぜか、心に残る。しばらくして、また眺めてみるが分からない。
 歳月を経て、また手にとって見る。いったい何を表現しているのであろうかと眺めているうちに、今まで目に見えなかったものが、ふっと見えることがある。
 そうだったのか。芸術は目に見えない確かなものを表現しているのだ。再読、再見の効果を再認識した。
   肝付町 竹之井 敏(82) 2007/6/30 毎日新聞鹿児島版掲載

飛行場跡の思い出

2007-07-01 16:12:22 | はがき随筆
 ふと、足をとめさせた庭の紫の花。
 私は、幼時、爆弾の穴が残る出水の飛行場跡近くに住んでいた。跡地の荒れ畑に同じ小花が咲いていた。
 ニワゼキシヨウという名だった。小さい星に似た可憐な花だ。
 花と共に、農家の厚意により、同じ地の芋とり後の畑で、唐芋の屑拾いをしてリヤカーを引く父母の手伝いをした、よちよちしていた思い出が浮かぶ。終戦間もない私の3~4歳頃は、食糧難の時代だったのだろう。
 やがて、父母の年忌が来る。芋拾いとニワゼキショウの花が、重なって甦る日の記憶は、どこか悲しい。
   出水市 小村 忍(64) 2007/6/29 毎日新聞鹿児島版掲載
写真はparusさんからお借りしました。

王子とツバメ

2007-07-01 16:03:40 | はがき随筆
 ツバメが巣作りを始めた。4日ほどで完成。抱卵に入ったようで常に1羽が巣に残る。その日も姿を確認して日課の散歩に出た。散歩の最後は海岸線を2㌔戻って我が家である。
 戻り始めた時、私を追って土手を駆け上がる二つの黒い塊。まだ捨てられたばかりの小犬。追い払うが必死についてくる。振り払おうと小走りに逃げるが、短い足でこけつ転びつついてくる。いじらしさを見てしまう。
 こうなるとこっちの負けである。とうとう家まで来てしまい、置いてやるより仕方がない。王子にあやかって名前は遼太郎と佑次郎。
   志布志市 若宮庸成(67) 2007/6/28 毎日新聞鹿児島版掲載

最敬礼

2007-07-01 15:56:33 | はがき随筆
 今日は梅雨空。はっきりしない空模様の中、私は英語検定の様子を見に、喜界高校に足を運んだ。試験前の緊張した顔。終わった後、口々に感想を話し合う笑顔を見て安心した。午後からの検定の生徒を待つ間、車の中でおにぎりをほおばっていたら…。校門を入ってバイクを押す野球部の生徒と目が合った。彼は立ち止まり、大声で「こんにちは」と頭を下げた。私もあわてて「こんにちは」と頭を下げた。こんな高校生もいるんだなと感動していたら、来る野球部員が皆そうするのだ。そんな事が私を幸せにしてくれる。もう梅雨空は気にならなくなっている。
   喜界町 福崎康代(44) 2007/6/27 毎日新聞鹿児島版掲載