9月に入っても、日中は34度とジリジリ焼け付くような暑さだが、陽が落ちると涼やかな風が吹いてきた。
今、戸締まりをしようと勝手口に下りると、かすかに虫の声。
まだか細いけれど、コオロギが鳴いている。虫の声が昼間の暑さを忘れさせてくれた。
猛暑ももうしばらく、秋が短い鹿児島はすぐに冬…ということになるんだろうなあ。
虫の声を聞くと忘れられない幼い日の記憶が甦ってくる。
末っ子の私をかわいがってくれ、我が家の大黒柱だった次兄は、昭和17年8月、太平洋戦争で戦死した。日本軍が最初の大敗を喫したし言われる、ガダルカナル海戦である。
搭乗していた兄の飛行機が被爆し即死だったであろうと戦友が知らせに来てくれたのをかすかに記憶している。
出身地が東京だったため、兄の国葬は横須賀鎮守府で行われることになった。母と上の姉が上京し、10歳の姉と8歳の私はやむなく家に残された。私たちの世話は近くのおばちゃんに頼み、母と姉は涙ながらに出発した。私たちは母が乗る連絡船が出る古江港まで見送りに行った。
帰りはとっぷり日も暮れ、寂しさに私はずっと泣きじゃくっていたのだろう。いつもは喧嘩ばかりしてる姉が私の手をしっかり握り続けていたのを覚えている。
母と別れて帰る列車の中で、私は確かに虫の鳴き声を聞いたのだ。
うるさいほどにいろんな虫の声がした。
いま思うと、走っている列車の中で虫の声が本当に聞こえたのだろうか? と思うのだが、その虫の声は70年近くたった今でもはっきりと耳に聞こえるのだ。
皇国の母と言われ、最愛の息子をお国に捧げなければならなかった母の悲しみ…。
戦争の悲惨さは、体験した私たちが伝えて行かなければならない! と強く思う。
by アカショウビン
今、戸締まりをしようと勝手口に下りると、かすかに虫の声。
まだか細いけれど、コオロギが鳴いている。虫の声が昼間の暑さを忘れさせてくれた。
猛暑ももうしばらく、秋が短い鹿児島はすぐに冬…ということになるんだろうなあ。
虫の声を聞くと忘れられない幼い日の記憶が甦ってくる。
末っ子の私をかわいがってくれ、我が家の大黒柱だった次兄は、昭和17年8月、太平洋戦争で戦死した。日本軍が最初の大敗を喫したし言われる、ガダルカナル海戦である。
搭乗していた兄の飛行機が被爆し即死だったであろうと戦友が知らせに来てくれたのをかすかに記憶している。
出身地が東京だったため、兄の国葬は横須賀鎮守府で行われることになった。母と上の姉が上京し、10歳の姉と8歳の私はやむなく家に残された。私たちの世話は近くのおばちゃんに頼み、母と姉は涙ながらに出発した。私たちは母が乗る連絡船が出る古江港まで見送りに行った。
帰りはとっぷり日も暮れ、寂しさに私はずっと泣きじゃくっていたのだろう。いつもは喧嘩ばかりしてる姉が私の手をしっかり握り続けていたのを覚えている。
母と別れて帰る列車の中で、私は確かに虫の鳴き声を聞いたのだ。
うるさいほどにいろんな虫の声がした。
いま思うと、走っている列車の中で虫の声が本当に聞こえたのだろうか? と思うのだが、その虫の声は70年近くたった今でもはっきりと耳に聞こえるのだ。
皇国の母と言われ、最愛の息子をお国に捧げなければならなかった母の悲しみ…。
戦争の悲惨さは、体験した私たちが伝えて行かなければならない! と強く思う。
by アカショウビン