はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

ああ、虫の声

2010-09-03 21:58:44 | アカショウビンのつぶやき
 9月に入っても、日中は34度とジリジリ焼け付くような暑さだが、陽が落ちると涼やかな風が吹いてきた。 
今、戸締まりをしようと勝手口に下りると、かすかに虫の声。
まだか細いけれど、コオロギが鳴いている。虫の声が昼間の暑さを忘れさせてくれた。

 猛暑ももうしばらく、秋が短い鹿児島はすぐに冬…ということになるんだろうなあ。

 虫の声を聞くと忘れられない幼い日の記憶が甦ってくる。

 末っ子の私をかわいがってくれ、我が家の大黒柱だった次兄は、昭和17年8月、太平洋戦争で戦死した。日本軍が最初の大敗を喫したし言われる、ガダルカナル海戦である。
搭乗していた兄の飛行機が被爆し即死だったであろうと戦友が知らせに来てくれたのをかすかに記憶している。

 出身地が東京だったため、兄の国葬は横須賀鎮守府で行われることになった。母と上の姉が上京し、10歳の姉と8歳の私はやむなく家に残された。私たちの世話は近くのおばちゃんに頼み、母と姉は涙ながらに出発した。私たちは母が乗る連絡船が出る古江港まで見送りに行った。

 帰りはとっぷり日も暮れ、寂しさに私はずっと泣きじゃくっていたのだろう。いつもは喧嘩ばかりしてる姉が私の手をしっかり握り続けていたのを覚えている。

 母と別れて帰る列車の中で、私は確かに虫の鳴き声を聞いたのだ。
うるさいほどにいろんな虫の声がした。
いま思うと、走っている列車の中で虫の声が本当に聞こえたのだろうか? と思うのだが、その虫の声は70年近くたった今でもはっきりと耳に聞こえるのだ。

 皇国の母と言われ、最愛の息子をお国に捧げなければならなかった母の悲しみ…。

戦争の悲惨さは、体験した私たちが伝えて行かなければならない! と強く思う。 

by アカショウビン

人生の教科書

2010-09-03 21:01:53 | 女の気持ち/男の気持ち
 私が河野裕子さんの歌と出合ったのは今から10年前、長男が2歳のころのこと。当時の私は初めての子育てで戸惑ったり迷ったり、なによりくたびれていた。
 そのころの息子は、夜は寝ないし、日中もおんぶしないと眠らない。そして私以外には絶対にだっこされないのだった。
 もちろん息子はとても可愛いが「いつになったらゆっくり眠れるのかしら」と、そんなことばかり考えていた。河野さんの歌を知ったのはそんな時だった。
《朝に見て昼には呼びて夜は触れ確かめおらねは子は消ゆるもの》 
 この歌は私の心の奥に深くやさしく入ってきて「ああそうだ。私はこの一瞬をもっと大切にしなければ」と気づかせてくれた。
 今では12歳、9歳、5歳の3人の男の子の母となった私だが、子育てに迷うといつもこの歌を暗唱する。
 けれど、たったの10年の間に長男と次男は1人で何でもできるようになり、放課後などは自転車でさっそうと出かけていってしまう。ああ私は置いてきぼりだなあと思ったこのごろは、心の奥からこんな歌を取り出して涙したりする勝手な母だ。
 《さびしいよ息子が大人になることもこんな青空の日にきっと出てゆく》
 河野さんの歌に、私はどれだけ励まされ、助けられたことだろう。
 河野さんありがとうございました。あなたの歌は、私の人生の参考書です。
  福岡市南区 藤崎 智子(42) 2010/9/3 毎日新聞の気持ち欄掲載

感動

2010-09-03 20:54:56 | はがき随筆
 山間の清流に沿って、長い山道が続く。この道が好きでよく散歩する。7月中旬、早朝のこと、小雨の降る中を歩いていると、大きな木が倒れて山道をふさいでいる。後ろを見ると、1台の車がバックしながら迂回している。そこに青年が、雨にぬれながら、倒木を取り除く作業をしている。「おはようございます。大変ですね」と言うと青年は「車が通れないと皆さんが困るから」と言い、作業を続けている。
 この光景を見た私は心温まる青年の親切、真心にふれ感動した。あれから2ヶ月。白いは並びの顔が忘れられない。
  出水市 橋口礼子(76) 2010/9/3 毎日新聞鹿児島版掲載