はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

「最期の選択」

2011-02-01 17:38:03 | 岩国エッセイサロンより
  岩国市  会 員   安西 詩代

グループホームに入居する96歳の義母は、食欲がなくなって2ヵ月近くたつ。足がむくみ、肺やおなかにも水がたまるようになった。主治医から昨年11月、「終末期です」と言われた。施設でも最期のみとり方を相談した。

いざという時の救急車の搬送は断った。しかし、本当に最後の苦しみはないのだろうか。救急車を呼ばず、後悔はしないのか。正直、わからない。

義母は早くから日本尊厳死協会のカードを持っていて、「単なる延命治療はしない」と言っていた。食欲はなくなったが、まだまだのどは通る。

1日3回は通えないけれど、夕食だけでも食べてもらおう。スタッフの人では□を開かない。でも私だと、どういうわけか「もういらない」と言いながら完食してくれる。義母ののどが食物を拒否し、通らなくなるまで食べてほしい。

そしてすべての器官が終わりを告げ、ロウソクの火がそよ風でふっと消えてしまうように、息が止まることを析る。

悲しい別れが遠くないことを感じつつ、穏やかな死を、と願っている。そのうち必ず訪れる私の最期のときの理想の死を義母に求めて、そして重ね合わせる。

さあ、午後6時だ。夕食が始まる。自転車のあかりをつけ、義母のもとへ出かけよう。

(2011.01.26 朝日新聞「ひととき」掲載)岩国エッセイサロンより転載

霜の朝

2011-02-01 17:25:07 | はがき随筆
 夜明けの庭から東方に稜線がくっきり見え、ひときわ矢筈岳が高くそびえている。
 朝日に染まった空が刻々と白く明るさを増す。頭上は、ふんわり薄い綿雲が小間切れに浮かび、その間に月が白く高く浮かんでいた。風のない静寂な朝。
 一面、白い粉を振りかけたような霜の菜園を、ザクザクと霜柱を踏みながら歩く。白菜もネギも葉は硬直して触れるとポキンと折れた。イチゴの葉の周りのきざみは白く凍り、キラキラ光ってまるで、宝石のようだ。あまりの美しさに見とれた。
 ふと、空を仰いだ。月も雲も消え澄んだ空が広がっていた。
  出水市 年神貞子 2011/2/1 毎日新聞鹿児島版掲載

夢であいました

2011-02-01 17:06:37 | はがき随筆
 不思議な夢を見た。1月12日の夜明け前だった。
 夢の中の人に「私は寂しいのよ」と話すと、黙ってハグしてくれた。その人は、あの斎藤佑樹投手だった。私は夢に、どっぷりつかっていた。目が覚めたのは、しばらくしてからだ。
 不思議な夢を見るものだと思い、おかしくなった。12日のテレビ番組を見る。各局とも話題の人を取り上げている。「日ハム斎藤投手、開幕1軍目指し始動」「自主トレ開始。地元も熱狂」などもあった。夢との接点はこれだ。やっとナゾが解けた。時間帯に合わせて私はテレビの前にいた。
  鹿児島市 竹之内美知子 2011/1/31 毎日新聞鹿児島版掲載

年賀状読み返し感慨

2011-02-01 16:47:22 | 岩国エッセイサロンより
2011年1月28日 (金)
岩国市   会 員   片山 清勝

 お年玉つき年賀はがきの抽せんが終わった。当たり番号を探しながらあらためて読み返す。大方の人と年に1度だけの情報交換。そこにはうれしい知らせが多い。しかし「これで年賀を失礼します」と書かれた何通かがことしも届いた。

 「年と病でことしは賀状を毎日少しずつ書いた。ことし限りで失礼します」。続けて病状を記された一枚に目が潤む。

 病を押して書かれた一字一字にきちょうめんな性格がしのばれる。1年にはがき1枚だが、何十年も続いたその交流に感謝を込め、お見舞いのはがきを出した。

 メールの普及で、年賀はがきの利用者が減少しているという。外国ではクリスマスカードを送り合う習慣がある。年賀状は新年のあいさつと近況を報告し合い、日ごろの疎遠を埋める大切な日本の文化だと思う。

 私の賀状は、版画からパソコンヘ変わって長い。それがいつまで続くか分からないが、キーが打てる間は続けたい。

 これまでとは違った思いで賀状の整理をしていることに気づく。古希をすぎて初めてのそれがそうさせるのだろうか。

   (2011.01.28 中国新聞「広場」掲載)岩国エッセイサロンより転載