母が夜に、あろうことか裸足で外に出た。83歳。それが認知症の始まりであった。
年齢を尋ねると、答えはいつも決まって「19歳」だった。同居の兄も首をかしげるだけで理由は分からない。叔母が見舞いに来てくれて、ようやくその謎が解けた。
母は19歳のとき、川向かい村から人力車でこし入れしたのだという。大正の当時、それはとりわけ羨望の的だったらしい。80年余りの人生で、そのことが一番心に残る思い出だったのだろうか。
半年後、母は脳梗塞で息をひきとった。
それから20年が過ぎ、今日は三女の結婚式。私は5人きょうだいの末っ子。三女はそのまた末っ子で、母が9人の孫の中で特に可愛がっていたのだ。
披露宴、私は娘の手をとって、客席の間をあいさつして回った。和装の花嫁の頭には、黒い朱塗りの半円形の櫛に螺鈿の花が舞い、金を施した彫りのある本べっ甲のかんざしが光っている。
それは母の死後、兄嫁が石蔵の中に見つけた遺品。明治時代の工芸品は、祖母から孫へ受け継がれたのである。
「見て、母さん、きれいよ」
私の声にならない呼びかけに、母が答えたような気がした。
「はい、私は19歳、その髪飾りをして、父さんのところへきたのよ」
宮崎市 三重野文子 2011/2/23 毎日新聞女 の気持ち欄掲載
年齢を尋ねると、答えはいつも決まって「19歳」だった。同居の兄も首をかしげるだけで理由は分からない。叔母が見舞いに来てくれて、ようやくその謎が解けた。
母は19歳のとき、川向かい村から人力車でこし入れしたのだという。大正の当時、それはとりわけ羨望の的だったらしい。80年余りの人生で、そのことが一番心に残る思い出だったのだろうか。
半年後、母は脳梗塞で息をひきとった。
それから20年が過ぎ、今日は三女の結婚式。私は5人きょうだいの末っ子。三女はそのまた末っ子で、母が9人の孫の中で特に可愛がっていたのだ。
披露宴、私は娘の手をとって、客席の間をあいさつして回った。和装の花嫁の頭には、黒い朱塗りの半円形の櫛に螺鈿の花が舞い、金を施した彫りのある本べっ甲のかんざしが光っている。
それは母の死後、兄嫁が石蔵の中に見つけた遺品。明治時代の工芸品は、祖母から孫へ受け継がれたのである。
「見て、母さん、きれいよ」
私の声にならない呼びかけに、母が答えたような気がした。
「はい、私は19歳、その髪飾りをして、父さんのところへきたのよ」
宮崎市 三重野文子 2011/2/23 毎日新聞女 の気持ち欄掲載