はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

旅の抄その5

2011-04-08 18:09:58 | はがき随筆


 古代エジプトの首都メンフィス。その「死者の町」ダハシュール。灰色にくすんだ静寂な砂漠に屈折ピラミッド、赤のピラミッドがそびえている。
 子犬がバスの運転手からプラスチック容器で水をもらっている。飲み飽きて容器をくわえてじゃれる。運転手が笑って追いかける。もう1匹の子犬と母犬がいたずらっ子をおいかける。父犬はそれを見守っている。遠巻きに笑って見守る人々の目は皆温かく優しい。
 4匹は限りなく穏やかで優しい表情をしている。人間の情けを信じ切って生きる野良さんたち。泣きたくなった。
  鹿屋市 伊地知咲子 2011/4/8 毎日新聞鹿児島版掲載  画像はフォトライブラリより、赤のピラミッド

少年G

2011-04-08 18:00:42 | はがき随筆
 「9人兄弟の末っ子で食い物が回らんかった。腹が減って人ん家(げ)んとを食うて捕まった」。Gは先生に小さな声で言った。
 「他にもあったら、これに書いてごらん。怒らんから」。
 Gは時間をかけ用紙2枚半に盗みと万引きのことを書いた。先生は驚いた。Gの良心の光に照らされた詳細な記録に、先生は胸を射抜かれていた。
 Gのうわさを聞いた。「あん笑顔は別人じゃっど」と。「あっ」。先生にひらめきが走った。謎だった人間精神と自己に関する哲学者キルケゴールの文章の意味を、Gが教えたのだ。
 20年たった。今も忘れない。
  出水市 中島征士 2011/4/7 毎日新聞鹿児島版掲載

毅然と生きる

2011-04-08 17:42:07 | 女の気持ち/男の気持ち
 「俺が死んでも、毅然として生きるんだぞ」
 それが、今年5月に三回忌を迎える夫、仁一の最期の言葉だった。
 闘病中の夫と聴いた最期のコンサートの演目には「モルダウ」があった。帰る道々、「この曲大好き」と私が言うと、「うん。俺には少し切ない曲だ」と彼。
 はっとした。
 モルダウは哀調を帯びている。死を予感していたに違いない夫にかける言葉ではなかった。組んでいた腕に力を込め、肩を寄せた。
 夫が亡くなってからというもの、涙を流すばかりで家にこもりがちになった。うつにもなり、悶々とした日々を送っていた。そのうち「毅然と生きろ」と言った夫の言葉が少しずつ心の中で頭をもたげ始めた。そして、友達にも会いたい。外出もしたいという気にさせてくれた。
 先日、例年夫と出かけていたコンサートに行って来た。昨年はとても行く気力のなかったそのコンサートも、今年は思い出に浸りたいという気になって出かけたのだった。
 今年も桜が咲き始めた。闘病の頃が思い出され、涙することも少なくない。まだまだ毅然となど生きられてはいないが、「少しずつ元気になっているよ」と仏壇に語りかけながら毎日を過ごしている。
 今年の桜は見上げることができるよ、きっと。仁さん。
  福岡県春日市 安田彰子 2011/4/6 毎日新聞の気持ち欄掲載

声に押されて

2011-04-08 17:28:36 | 女の気持ち/男の気持ち
 東北を襲った大惨事からさかのぼること14時間。我が家の大事な大事な7歳半の番犬ロンがヒューンと一声鳴いて私の腕の中で亡くなった。朝を待って、納めた箱の中に庭に咲く花を入れた。ミニ水仙、ピンクのツバキ、もう散り始めていたけれど梅の花も。
 病院通い多い犬だったが、頭が良くて夫や私の言葉をよく解した。軽いうつを煩う夫を私の何倍もの優しさで慰めてくれた。犬畜生と言うけれど、そんな言葉は失礼だ。こちらの目をしっかり見て少し首をかしげる姿は、まるで人の姿そのものだった。
 結婚以来2匹目の犬の死。どんな巡り合わせなのか、最初の犬の死は9・11アメリカ同時多発テロの2日後。忘れようにも忘れられない。今度も絶対心から消えることはないだろう。私たちがペットロスの世界に入り込まないように、きっと世の中を見なさいと教えて逝ったのだ。もっと大きく深い悲しみがあるよ、しっかり頑張って生きてね、と。
 テレビでは次々と悲しみを伝える。ロンの最後の声に押し出されるように、県庁に設置された募金箱へ。 負けないでください。微力でも、私にできることで応援します。
 まず、差し込んだままのコンセントを抜きます。釣り銭をスーパーの募金箱に入れ続けます。ファイト!と祈り続けます。そう心に誓いながら。
 ロン、ありがとうね。
  佐賀市 中島君子 2011/4/5 毎日新聞の気持ち欄掲載

残り鶴の北帰行

2011-04-08 17:23:12 | はがき随筆
 クルー、クルー。鶴がいる干拓地への交通が規制されて、2ヵ月以上たった。干拓地の外から眺めると、何も知らない鶴たちが盛んに餌をついばむ。そこには親子鶴、群れている鶴など以前と全く変わらない風景がある。一応ねぐらを仕切っていた網は撤去されている。水も温かくなっていよう。あぜにはツクシもいっぱい出ていよう。足もとの名もない小さな花は、風に揺れている。
 出入りが自由になったら、ウオーキングも楽しもう。まだ残り鶴の北帰行をたのしめるかもしれない。そんな日が早く来ることを祈って眺めていた。
  出水市 畠中大喜 2011/4/6 毎日新聞鹿児島版掲載

西出水っ子

2011-04-08 17:16:36 | はがき随筆
 子どもの成長、大人以上にすごい。驚異! ただ驚くばかりだ。卒業していくすべての子どもが、この1年間で大きく成長した姿を堂々と見せつける。
 教育委員会、PTA会長の真後ろに座ることができた幸せ。1人1人の卒業生。賢くたくましく成長した姿で、笑顔を忘れずに直立不動であいさつしてくれる。昨年3月の時よりも一段と……頼もしい西出水っ子。
 大きな夢を抱き、中学校に入学。そして地域ボランティアにと、受け入れる地域の方々の期待に応える日々。満足、充足な私。卒業生に感謝し、ずっと感動の一言に尽きた。
  出水市 岩田昭治 2011/4/5 毎日新聞鹿児島版掲載

被災児童の支援長く

2011-04-08 17:03:49 | 岩国エッセイサロンより
2011年4月 8日 (金)
  岩国市   会 員   片山 清勝

 東日本大震災の被害の大きさと深さに心を痛めている中、卒業証書を手にした児童らの顔に一筋の明るさを感じた。

 大きな揺れの後、押し寄せる山のような津波の恐怖、家族や多くの友を失った衝撃、住み慣れた町の無残な姿…。子どもたちには、あまりにも大きくて重すぎる現実だった。

 そんな中、避難所や土砂を除いた講堂、壊れた自宅でと、卒業証書授与の場所はいろいろだったが、証書を渡したいという学校と住民、親の熱い思いや願いが、かなえられた。

 避難という厳しい環境下で証書を手にした児童は、この喜びを決しておろそかにはしない。それは「復興へ立ち上がる力になる」という強い決意を話していることからうかがえる。

 「助かった命を大切にして故郷再興の力になる」。被災地で、そう誓う子らの新学期がはじまった。

 しかし、気の毒だが学習できる環境にはほど遠く、修復には長い時間を要するだろう。遠く離れた地からできるのは、息の長い支援を続けながら、力強く学んでほしいと願うしかない。

  (2011.04.08  中国新聞「広場」掲載岩国エッセイサロンより転載