昨年4月から新幹線開通まで1年間、息子が川内へ転勤となった。家族を鳥栖に残し、出水の実家から通勤するようになり、久しぶりに弁当作りを再開した。朝が早いパート勤めの私は午前4時起きの奮闘である。あれこれと作り、詰め込むと山盛りとなり、ふたが閉まらないなど四苦八苦。
22年前、息子は全寮制の高専へと進んだ。「高校に弁当を持たせたかったな」と、15歳で巣立つ子に、人知れず涙したものだった。
そんな私の弁当作りも、新幹線全線開通とともに、めでたく終了である。
出水市 塩田きぬ子 2011/4/10 毎日新聞鹿児島版掲載
22年前、息子は全寮制の高専へと進んだ。「高校に弁当を持たせたかったな」と、15歳で巣立つ子に、人知れず涙したものだった。
そんな私の弁当作りも、新幹線全線開通とともに、めでたく終了である。
出水市 塩田きぬ子 2011/4/10 毎日新聞鹿児島版掲載