原発事故のため、福島県南相馬市から熊本市に避難して1カ月がたった。
3月11日午前2時半に洗濯物を取り込んでいると、烏が数十羽飛んできて、聞いたこともない声で一斉に鳴き始めた。「変だ」と夫に話した16分後、震度6弱の大揺れ。夫婦で柱にしがみつき、この世の終わりかと青ざめた。
福島県沿岸は、地震、津波、原発と三大被害にあった。私の住まいは原発から20~30㌔圏内だ。15日に屋内避難と言われたが、スーパーはすべて閉まっている。冷蔵庫の残り物と乾物、缶詰でしのいだ。電話も通じず、外界から遮断された状況だった。
16日に電話が通じ、熊本市に住む夫の弟が「貸家を探しておくからこっちへ来い」と言ってくれた。30数年前に家を建てた時に原発の存在を知り、「もしも」が常に頭に合ったので、持ち出す物はまとめて置いていた。それをバッグやリュックに入れ、17日に自宅を後にした。必要なものは、パーフェクトにそろっているはずだった。
知り合いに手紙を書こうとして愕然とした。住所録が入っていない。涙が出た。ある日、毎日新聞の「希望新聞」欄に私を案じて投稿してくれた秋田の女性がいた。名前を見た時、うれしさのあまり、また涙が出た。係の記者さんの尽力で住所もわかり、文通が出来る。毎日を愛読して40年を超えた。新聞はやっぱり大切だとつくづく思う。
熊本市 五十嵐靖子 2011/4/21 毎日新聞女の気持ち欄掲載
3月11日午前2時半に洗濯物を取り込んでいると、烏が数十羽飛んできて、聞いたこともない声で一斉に鳴き始めた。「変だ」と夫に話した16分後、震度6弱の大揺れ。夫婦で柱にしがみつき、この世の終わりかと青ざめた。
福島県沿岸は、地震、津波、原発と三大被害にあった。私の住まいは原発から20~30㌔圏内だ。15日に屋内避難と言われたが、スーパーはすべて閉まっている。冷蔵庫の残り物と乾物、缶詰でしのいだ。電話も通じず、外界から遮断された状況だった。
16日に電話が通じ、熊本市に住む夫の弟が「貸家を探しておくからこっちへ来い」と言ってくれた。30数年前に家を建てた時に原発の存在を知り、「もしも」が常に頭に合ったので、持ち出す物はまとめて置いていた。それをバッグやリュックに入れ、17日に自宅を後にした。必要なものは、パーフェクトにそろっているはずだった。
知り合いに手紙を書こうとして愕然とした。住所録が入っていない。涙が出た。ある日、毎日新聞の「希望新聞」欄に私を案じて投稿してくれた秋田の女性がいた。名前を見た時、うれしさのあまり、また涙が出た。係の記者さんの尽力で住所もわかり、文通が出来る。毎日を愛読して40年を超えた。新聞はやっぱり大切だとつくづく思う。
熊本市 五十嵐靖子 2011/4/21 毎日新聞女の気持ち欄掲載