はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

小欲知足

2018-08-09 18:29:23 | はがき随筆


 出不精の私に妻が「マテガイを採りに行っては」と私の趣味心に刺激を与えた。塩、くわの道具を整え海へ行く。6年ぶりの福ノ江海岸。くわを引き、穴に塩を注ぐ。獲物は大粒で楽しいが、手持ちの塩が乏しくなった。私の様子に年配の男性が「使いなさい」と、塩を容器ごと下さった。男性のかごをのぞくと少量のマテガイがあった。
 男性は「必要な分だけ採って、小さいものは採らない」と話してくれた。私が「近所の人にお裾分けする」と言ったら、男性は笑顔を返してくれた。自然の恵みを大切にする人に会えた喜びが妻への土産になった。
 鹿児島県出水市 宮路量温(71)2018/8/9 毎日新聞鹿児島版掲載

言葉 

2018-08-09 18:22:26 | はがき随筆
 3面の中村秀明さんのコラム「水説」に「立ち止まらせる言葉」とあり、文筆家の池田晶子さんのお話がありました。「しゃべり散らし、書き散らしで、たちまち忘れてしまうよね。大事でないから忘れてしまうんだ」「本当の言葉というのは、人間を、そこに立ち止まらせ、耳をすまさせ、考え込ませるものなんだ」学生時代、ドッジボールの球を胸できゅっと受け止めた感覚。そして全力で投げ返した時のさわやかな空気。そんな言葉のように思えてきました。木陰の下から青空を仰ぎ、せみしぐれの下でちょっと優雅な心の時間、そんな言葉を探しています。
 熊本県八代市 相場和子(91)2018/8/9 毎日新聞鹿児島版掲載

夏うなぎ

2018-08-09 18:11:54 | はがき随筆


 子供の頃の思い出があふれるから、夏大好き。中でも「うなぎ釣り」の場面は、毎晩のように思い出し、心地よい眠りへと誘う。
 夕方、兄と一緒に仕掛けを作り、次の朝、夜明けを待って川へと走る。
 「柳の木」に結んだ仕掛けがユサユサと揺れている。ヌメヌメと光る巨体に、思わず後ずさりして兄を呼ぶ。兄は慣れた手付きで、ポイとかごの中へ。
 その日の夕食は、炭火で焼いたかば焼き。父がうれしそうに、片手に杯を持ち、うなぎにかぶりつく。その姿こそ私には一番のご馳走だった。
 宮崎県日南市 永井ミツ子(70) 2018/8/9 毎日新聞鹿児島版掲載

悲しき口笛

2018-08-09 18:03:22 | はがき随筆
 先日テレビで見空ひばりを回顧していた。
 高校生のころ、映画の全盛期、映画館の人たちと懇意になり学校帰りに毎日寄った。初めのうちは看板の建て替えや館内アナウンスなどを手伝っていたが、そのうち映写機の操作を手伝わされるようになった。アーク式の映写機である。小さなのぞき窓からスクリーン見てピント、音声などを調整する。少女時代のひばりの「悲しき口笛」何回も何回も映写した。山高帽、えんび服、ステッキを小脇にあの独特に声音で歌う。
 ひばり、と聞くとあのシーンがよみがえってくるのである。
 鹿児島市 野崎正昭(86)2018/8/9 毎日新聞鹿児島版掲載

長生きしましょうよ

2018-08-09 17:56:48 | はがき随筆
 近くの田んぼも黄金色に実り始めた。通りかかると年老いた男性が声を掛けてきた。「猪がすぐ横の林にすみ着き、小さな谷を越えて稲を荒らしにやって来る。倒れた稲をスズメが食べつくす。もう手におえない」。訴えずはおれない様子だ。
 腰を曲げて、働く奥さんの姿も長く見ない。「認知症が進み施設に預けた。農業経験もないのに良く働いてくれた」。涙を浮かべながら彼の話は続いた。
 私もこのところ猛暑に投げ出し加減だった。急に我に返った。「ぼちぼち、できるひどのことをやって長生きしましょうよ」。ほんのり笑顔で別れた。
  宮崎市 川畑昭子(74)2018/8/9 毎日新聞鹿児島版掲載

誤配

2018-08-09 17:41:09 | はがき随筆
 8月3日の朝のこと。いつものように郵便受けに新聞を取りに行ったが、その新聞はいつもの毎日新聞ではなかった。誤って別の新聞が入っていたのだ。
 忙しい時間とは思ったが、8時過ぎに電話してみた。その対応に驚いた。電話してわずか15分後、マンションの部屋まで持ってきてくれたのだ。その中に「連絡電話料」として10円玉まで入っていた。何という対応、何という配慮。これぞ、ザ日本。その日も後から猛暑。それでもその日私の心には爽やかな風が吹いていた。新聞販売店の皆様、ほんとうにありがとうございました。仕事とはかくありなむ。
 熊本市中央区 志田貴志生(70)2018/8/9 毎日新聞鹿児島版掲載

健気に振り子時計

2018-08-09 17:10:36 | はがき随筆


 リビングの振り子時計を購入したのが、50年以上も前になる。当時は電池時計がはやりかけていたのに動力源のゼンマイ構造が気に入って、時代に逆行するが振り子時計にこだわった。
 あれから半世紀、「ネジ」さえ巻けば狂うことなく、カッチカッチとリズミカルに「時」を刻み続けてきた。近年、正確な「時」を示さなくなった。が、それもゼンマイの劣化のせいだと決め付けている。
 長い間の働きを労いつつ、今は第一線を電波時計に譲って、隠居暮らしを許しているのに、それでも健気にボンボンとアバウトな時刻を打ち続けている。
 宮崎市 日高達男(76) 2018/8/9 毎日新聞鹿児島版掲載